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150話 婚約の夜 ―約束は静かに、確かに

王宮の高殿。天蓋のある寝室ではなく、政務棟の一角にある古い小広間。

その場所は、長年アークとミカが言葉を交わしてきた、あの執務の合間にたびたび二人きりになっていた小さな空間だった。


ろうそくの灯が揺れている。天井の高い部屋に、わずかな焚香が静かに香る。

正装ではない。アークは軍衣を脱ぎ、淡い麻の装束に身を包んでいた。ミカもまた、式服ではなく、白銀の刺繍がほどこされた淡紅の薄衣をまとっていた。


「……緊張しているのか?」


アークがふと、肩越しに尋ねた。


ミカは小さく微笑んで首を振った。


「いいえ。ただ……今日が、本当に来るなんて、少し、信じられないだけです」


声が震えていた。それは冷えでも、不安でもなく、ずっと胸の奥に秘めてきた想いが、形になっていく過程で生まれる震え。


アークは近寄り、椅子の横に膝をつき、ミカの手をそっと取った。


「これが政略であれば、君はとっくに逃げていたかもしれないな」


「そうですね……でも、逃げようと思ったことは一度もありません」


「それは、なぜ?」


ミカは静かに息を吸い、ゆっくりとその瞳をアークに重ねる。


「あなたのそばにいたいと思ったから。私は、“秘書”という役目で始まりました。でも……それはただの入口だったんです」


アークの瞳に、かすかな揺れが生まれる。


「君は、私にとって……ただの側近ではない。命を賭ける戦場に立つときも、民の嘆きを聞く夜も。隣にいてほしいと、思う唯一の存在だ」


ミカの目に、涙が溜まった。


「私は……あなたを、愛しています。肩書きも立場も、関係なく。あなたという人の温もりを、心から、愛しているんです」


アークは、そっとミカの額に唇を落とす。


「ミカ。今夜、ここに誓おう。世が安らぎを得るまで、我らの愛は秘されるものとなるかもしれない。それでも、私は君を正妃として迎える。たとえ、すべてを敵に回しても」


ミカは頷いた。その目は涙に潤んでいたが、何よりも強く澄んでいた。


「それでも、私は幸せです。あなたが、私を“選んだ”のではなく、あなたと“歩もう”と誓ってくれたのだから」


二人の手が重なる。


そして、そっと口づけが交わされる。


それは誰に見せるでもなく、誰の記録にも残されない。

けれど確かに、そこには二つの心の灯が、寄り添っていた。


「……これで、婚約の誓いは交わされた」


「はい。静かに、でも確かに……私は、あなたと共に生きていきます」


夜は深まり、窓の外には銀の月。

風が囁くように、二人の未来を祝福していた。

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