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140話 誰にも言わぬ誓いを胸に

夜が明け始める頃、魔王城の玄関にはまだ深い影が残っていた。

その中に、ひときわ静かな呼吸が重なっている。


ミカは扉の前に立ち、ほんの少しだけ後ろを振り返った。


そこには、アークがいた。

彼の銀の髪は夜露に濡れ、月明かりの名残を肩にまとっている。

手はまだ、ミカの手を離していなかった。


言葉は交わさない。

ただその掌の温もりだけが、ふたりの誓いを繋いでいた。


「この国が落ち着いたら……君を正妃に迎えたい」


それが、昨夜アークが口にした“願い”だった。

それは命令でも約束でもない。

けれどミカの胸には、誰よりも深く刻まれていた。


ミカは、指をほんの少し絡めるように、彼の手を握り返す。


「“いつか”ですね。その“いつか”を、私は信じて生きます」


声に出して言葉を繋ぐのは、今この一瞬だけ。

この想いは、誰にも見せる必要はなかった。

公にするものでも、報告するものでもない。


ただ、“ふたり”だけが知っていればいい。

それで十分だった。


アークは小さく頷くと、ミカの額にそっと口づけを落とす。

祈りのように、そっと、静かに。


「君が傍にいる限り、私は……魔王でいられる」


その言葉は、決して国に向けられたものではなかった。

王としてではなく、一人の“アーク”として放たれた言葉。

ミカの心が柔らかく震える。


たった一人に、全てを捧げたくなる瞬間。

それが、今だった。


「私、あなたに“選ばれた”のではなく、あなたを“選びたい”」


ミカの言葉に、アークの表情が崩れる。

微笑みではない。

戸惑いとも違う。

ただ、喜びと安堵が胸いっぱいに広がっていく気配だった。


「ありがとう、ミカ」


その一言だけで、世界の色が変わったように思えた。


――カラン……


外の石畳に、風に吹かれた小さな花弁が落ちる音がした。

まだ満開には早い桜の木が、ひと足早く咲いた一輪だけを差し出すように。


玄関の黒は、ゆっくりと朝の光に解かれていく。

銀灰のひかりが床を撫で、やがて桜の花のような輪郭を形作る。


ミカはその光を一歩、また一歩と踏みしめながら進んだ。

アークの隣へ。

王でも、部下でもない、ただの“ミカ”として。


「私は、誰にも言いません」

「君にだけ、言ってくれれば、それでいい」


ふたりの声が重なり、玄関の扉がゆっくりと開かれる。


政務の朝が始まる。

けれどその奥にある静けさは、昨夜交わした唇と心に、確かに残っている。


名もなき誓い。

誰にも告げられぬ願い。

だがそれは、どんな文書よりも、どんな契約よりも強く、ふたりの未来を繋いでいた。


今日も、魔王と秘書として。

だが心はもう、“それ以上”の存在として。


――これは、誰にも言わぬ、ふたりだけの誓い。

その始まりの朝だった。

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