14話 市場・文化・観光の現地視察
「本日のお出かけは、公式視察ですわ。浮かれすぎてはダメですのよ、秘書殿」
そう言いながらも、リリス様のドレスはいつになく艶やかで、馬車の中には魔族製の洒落たお菓子が用意されていた。
「わかってます。ただ……外の空気も、たまには吸いたくて」
ここ最近、魔王城での業務が多忙を極めていた。魔導炉の改善、会議体制の再編、部門間フローの見直し――
おかげで自室と執務室と会議室の三点往復しかしていない。
リリス様曰く、「現場視察を兼ねたリフレッシュ」だそうだが、当然、ただの観光では済まされないだろう。
馬車が着いたのは、魔王領の中核都市「ガルバナス」。
城下町というより、もはや“大都市”だった。石造りの建物が並び、魔導灯で街道が整備されている。
頭に角を生やした鬼人族、翼を持つ飛行族、石肌のゴーレム系市民――様々な種族が行き交う雑踏は、異世界の多様性そのものだった。
「リリス様、ここは……」
「ええ。魔王軍直属の“文化都市”ですのよ。魔族の民が平和に暮らせるよう、“生活”を重視した統治都市のモデルですわ」
俺はその言葉に、少なからず驚いた。
魔王軍と聞けば、“力による支配”や“戦争の主導者”といったイメージが強かったが、実際には“暮らし”を支える土台づくりもしていたのだ。
まず訪れたのは、「中央市場」だった。
肉、果物、香辛料、布地、魔石――さまざまな商品が屋台で売られており、威勢のいい掛け声が飛び交っていた。
「いらっしゃい! 新鮮なバジリスクの卵だよ!」
「そこの兄ちゃん、魔導織のマントなんてどうだい? 軽くて丈夫!」
俺は思わず足を止めた。
「すごい……前世の“アメ横”みたいだ」
リリス様は微笑みながら答えた。
「商売というものは、どの世界でも“生きること”と密接に結びついていますもの」
さらに進むと、劇場前の広場ではストリートパフォーマンスが行われていた。
火を操る魔法芸人、氷で彫刻を生み出すスノーエルフ、空中に音を鳴らす精霊楽団――
「文化って……戦いとは真逆の“平和の表現”ですね」
「ええ。そして文化を育てるには、安定した統治が必要ですわ」
その言葉に、俺はふとある疑問を口にした。
「魔王様は……なぜ、こういう“文化都市”を造ったんでしょうか?」
「――争いだけでは、国は保てませんもの」
リリス様の声が、ふいに低くなった。
「かつて、魔族の多くは“恐怖”で束ねられていました。でも魔王様は、“尊敬”と“安心”で統べることを選ばれたのですわ」
俺は、その言葉を噛み締めた。
表の顔が“恐るべき魔王”であっても、その実態は“施政者”であり“理想家”なのかもしれない。
次に訪れたのは、都市の“観光区”だった。
魔力を取り込んだ温泉施設や、空中回廊の展望台、ドラゴン骨格の博物館など、どれも個性派揃い。
「これは……テーマパークレベルですね……」
「民が心から笑うこと。魔王様はそれを“国力”とお考えですのよ」
実際、観光業が盛り上がることで雇用も生まれ、他種族との交流も活発になる。
魔族の経済基盤は、“戦争”よりも“平和”の方に重きを置いているのかもしれない。
「ん?」
不意に、小さな悲鳴が聞こえた。見ると、観光客らしき猫耳の少女が泣きながら走っていた。
「すみません! あの、妹が……迷子になって……!」
後を追ってきた女性が、泣きそうな顔で訴えた。
俺はすぐさま現地の警備隊に事情を説明し、リリス様には少しだけ視察を中断してもらった。
警備隊は魔導通信で全域に連絡し、すぐに捜索を開始。周辺の店主たちも声をかけて協力してくれた。
15分後――
「お姉ちゃーん!」
迷子の少女は、菓子屋の前で発見された。どうやら、美味しそうな匂いにつられて歩いてしまったらしい。
泣きながら抱き合う姉妹を見て、俺は胸を撫でおろした。
「ご協力、本当にありがとうございました……!」
女性の深々としたお辞儀に、俺はただ頭を下げるしかなかった。
その後、無事に視察を再開。夕刻、馬車での帰途についた。
「今日は……いろんなものを見ましたね」
「そうですわね。ですが――あなたの対応、見事でした」
「いえ……秘書の仕事は、目の前の“困っている人”を助けることだと思ってますので」
リリス様が、ふと窓の外を見てつぶやいた。
「この国には、まだ“整っていない場所”も多くあります。でも……少しずつ、光が届いていますのね」
その言葉に、俺は静かに頷いた。
この世界の“日常”は、驚きと混沌に満ちている。
けれど、そこには確かに“暮らし”があり、“人の営み”がある。
俺は、もう単なる“転生者”ではない。
――この国に、住む理由ができた気がする。




