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131話 揺れる心、隠したままで

視察旅行から戻って数日が経った。


魔王アークと共に歩いた静かな村の道、手作りの温もりある料理、そして星降る丘で交わしたあの言葉。すべてが心に焼きついて離れないのに、ミカは再び魔王城の執務室に戻り、秘書としての業務を淡々とこなしていた。


「次の王国会議の議題草案、整いました。ご確認ください、アーク様」


差し出した書類にアークは目を通し、頷く。


「うん。いつもながら丁寧な仕事だ。ありがとう、ミカ」


「いえ、当然の務めです」


言葉はいつもの距離感だった。だがその中に、彼の視線に、ふとした優しさが滲むのを感じてしまう。


(……この人は、前からこんなふうに笑っていただろうか)


まるで、旅の間に少しだけ変わったような……あるいは、自分がその変化に気づくようになっただけなのかもしれない。


業務を終えたあと、ミカは一人、執務室を後にし、城の中庭に足を運んだ。


薄暮の空の下、整えられた花壇の前で立ち止まる。季節の花が静かに揺れ、風が頬を撫でる。そのひとときが、心の奥に隠していた想いを浮かび上がらせる。


(アーク様と過ごした時間……あれは、職務の一環だったのよ)


自分に言い聞かせるように、ミカは胸元を握る。


(私は秘書。あの旅も、視察という名の任務だった)


そう、あれは任務。彼と話したのも、笑ったのも、魔王を支えるための――


「……でも、もしそうなら、なぜ……こんなに苦しいの?」


知らず涙がにじむ。


彼の言葉を思い出す。「君が“君”である限り、私は傍にいる」――あの声が、何度も胸の奥で反響する。


そして、旅から戻ったあの日、城の門をくぐった瞬間に感じた、言葉にできない寂しさ。まるで、何か大切なものを置いてきてしまったような喪失感。


(私は……何にこんなに怯えてるの?)


自分の気持ちに名前をつけることが、どうしようもなく怖かった。


翌朝、ミカは普段通りに書類の束を腕に抱え、執務室へ向かった。ドアをノックし、静かに開ける。


「失礼いたします。今日の報告書を……」


言葉の途中で止まる。


アークは窓際で、朝日を背に書を読んでいた。柔らかい陽光が銀の髪に落ち、その横顔に影を作っている。


「……ああ、ミカ。おはよう」


その一言が、胸の奥をじんわりと温めていく。


「おはようございます……アーク様」


笑顔が自然にこぼれてしまった自分に、驚く。


(どうして、たった一言が、こんなにも嬉しいの……?)


午前の執務を終えた頃、アークが不意に声をかけてきた。


「今日の午後、王立図書館に同行してくれるか。古文書の整理が必要でね」


「はい、承知しました」


図書館の静寂の中、二人きりで並んで書棚を調べる。アークの指先がふと彼女の手に触れた。


「……すまない」


「い、いえ……」


何気ない一瞬だった。でも、ミカの心臓は痛いほど高鳴った。


(ああ、まただ……また、この感じ……)


自分の中に芽生えてしまった想いは、もう見て見ぬふりができないほど大きくなっている。


夜。執務を終え、自室に戻ったミカは、机の前で手帳を開いた。


そこには、旅の間に綴った小さな記録がある。


「夕食のとき、アーク様が微笑んだ。なんだか、とても嬉しかった」

「丘の上で星を見た。隣にいたのが、彼で良かったと思えた」


指でその文字をなぞりながら、ミカはそっと呟いた。


「……私、もう……誤魔化せないのかもしれない」


翌日も、その次の日も、日常は変わらず過ぎていった。

だが、ふとした瞬間のアークの仕草――頬にかかる髪を払い、書に没頭する真剣な横顔、そしてふとミカを見るときの目――それら一つひとつに、心が揺れる。


(職務の忠誠、じゃない。

尊敬、でもない。

それだけでは……この想いを説明できない)


「……どうして、こんなにも……あなたを目で追ってしまうの……」


鏡の中で呟いた自分の顔に、ほんの少しだけ赤みが差していた。

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