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123話 “ミカ”の名の意味

魔王城の最奥にある“命名の間”は、まるで時間が止まってしまったかのように静謐だった。  荘厳な石造りの壁に、淡く揺れる燭台の灯火が神聖な影を描き、空気そのものが清らかな重みを持っていた。


悠真──いや、今はまだその名を捨てることができない彼──は、魔王アークの隣に立ちながら、刻まれた古代碑の文様に視線を落としていた。


「……この碑文、読めるような……読めないような……」


ふと呟いた彼に、アークは静かに微笑む。その眼差しには、まるで長い旅路を共にしてきた友に向けるような深い慈しみがあった。


「読めなくて構わない。だが、感じるだろう。ここに込められた“意味”を」


「……はい。なんとなく、ですけど」


悠真は、胸の奥で微かに震える何かを抱えていた。  それは恐れや疑問ではなく──まるで、もう一人の自分が、ずっと待ち続けていた瞬間を迎えたような、奇妙な期待だった。


「“ミカ”という名を、私は贈ろう」


アークの言葉が、命名の間に静かに響いた。


「ミカ……」


悠真は、その音を唇に乗せてみる。確かにそれは柔らかく、優しく、温かい音だった。だが同時に──明らかに“女性の名”だ。


「それは……女性の名、ですよね?」


恐る恐る問いかけた悠真に、アークは真っ直ぐに頷いた。


「“ミカ”とは、古語で“新しき陽の器”」 「君の中にある陽だまりのような心、優しさと静けさを……私はずっと見ていた」


アークの声音は、まるで暖かな春風のようだった。押し付けがましくもなければ、拒絶もない。ただ、そこに“確信”がある。


「君の魂は、その形を選んでいた。私は……それに気づいただけだ」


悠真の喉が、ぎゅっと締めつけられたような感覚に包まれる。  胸の奥、心のさらに奥に隠していた何かが、静かに開かれた気がした。


「……俺、は……ずっと……」


目に溜まった涙が、堰を切ったようにこぼれ落ちた。


「……この世界でも、前の世界でも……“誰か”が、俺を……本当の俺を……」


「理解してくれた者が、いなかったんですね」


アークの声は、優しく、そして深い。


「ですが、私は見ていた。ずっと。君の背中を、言葉を、まなざしを。そして、ようやく辿り着いた今──“君”に、名を贈りたい」


悠真は、涙を拭おうともしなかった。  それは悲しみの涙ではない。苦しみでもない。  その涙は、ただひたすらに“受け入れられた”ことへの歓喜だった。


「……“ミカ”」


もう一度、呟く。  すると不思議なことに、体の内側で何かがすうっと馴染んでいくのを感じた。  それは違和感ではなく、むしろ長く忘れていた自分自身との再会だった。


「……ミカ。私は……ミカ、です」


涙を浮かべながら笑ったその姿を見て、アークの表情もやわらぐ。


「ミカ。ようこそ。新しき名と共に、生まれなおした君を、私は心から歓迎する」


ミカ──悠真ではない、新たな“彼女”は、まっすぐにアークを見つめ返す。  そこにはもはや、迷いも、恐れもなかった。


ただ一つ、確かな決意があった。


──私は、私として生きる。


この世界に転生してからの年月が、ようやく一つの形を結んだ瞬間だった。

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