102話 初陣と空回り ―ミカはこうしなかったのに!
――翌日、三人はそれぞれの任務に就いた。
だが、“代行”という肩書きが意味する重圧は、想像以上に重かった。
セレン:医療行政室
「感染症リスクの高い区域を優先して医薬品を再配分します。こちらがデータに基づく新しい指針です」
セレンは、几帳面にまとめた書類を広げた。
衛生管理官や老医師たちが囲む医療会議の場。だが――。
「おいおい、これは“数字”で命を操作してるだけじゃないか」
中年の医師が、資料を机に叩きつけるようにして言った。
「机上の空論だ。現場を知らない奴が作った指針なんざ、患者にゃ使えねぇよ」
その一言で、場がざわついた。
「でも……それでは資源が不足します。合理的な優先順位が……」
「合理性? 子どもが咳き込んでるのに、“優先外”だって突き返せってのか?」
セレンは言葉を失った。
正しいことをしている――はずだった。けれど、その正しさが誰にも届いていなかった。
ユーリ:市民調整局
「ですから、要望書に記載のある三地区のうち、まずは浄水設備の老朽化が深刻な第三区域を優先に……」
「はあ? うちは今月も食料が足りてねぇってのに、また後回しか?」
市民代表の怒声が、会議室に響く。
ユーリは小さく身をすくめた。
「……でも、そうしないと公平性が……」
「公平? 笑わせるな。お前たち上の人間は、誰も“顔”を見て決めちゃいねぇ!」
吐き捨てるような言葉が胸に突き刺さる。
ユーリは咄嗟に言い返せなかった。
“ミカさんなら……こんな時、どうした?”
答えはわからない。ただ、自分が言った言葉が、誰一人救えていないことだけがはっきりしていた。
ラッカ:防衛指令室
「防衛線を西側に三区画下げる。民間区域との距離を確保して、訓練場を再配置する」
ラッカは地図の上に印を打ち、淡々と指示を出した。だが――。
「……ったく、生意気な口ききやがって」
古株の兵士が、椅子を軋ませて立ち上がった。
白髪混じりの筋骨隆々とした男だ。ラッカよりも年齢も経験も遥かに上。
「お前、現場で汗流したことあんのか? 俺たちが守ってるのは紙の上の線じゃねぇんだよ」
「それは……分かってる。けど、安全性を――」
「命令口調はやめろ。ミカ様はいつも、“頼む”って言ってきた」
その一言に、ラッカは言葉を呑み込んだ。
「……すみません」
言葉が苦かった。拳を握りしめる。
“俺じゃ、ミカさんみたいに、誰の心も動かせないのかよ……”
夜、資料室
日が落ち、三人は無言で、同じ場所に集まっていた。
誰に言われたわけでもない。ただ、自然と足が向いたのだ。そこは、ミカがよく座っていた資料室の机。
沈黙が数分、重く流れた。
「……失敗しました」
セレンが静かに言った。
「現場の医師たちに、“数字で命を動かすな”って怒鳴られました。私、間違ってました……」
ユーリもゆっくりと頷いた。
「僕も……うまくいきませんでした。優先順位なんて言ってるうちに、市民代表の信頼、全部失った」
ラッカも俯いたまま、低く言った。
「……偉そうに指示出したら、全部跳ね返された。兵士たちの信頼なんて、ひとかけらもなかった」
しばらく、三人は誰も口を開かなかった。
ただ、資料棚に積まれたミカの手帳や記録を、ぼんやりと眺めていた。
「なぁ……ミカさんって、なんであんなにすごいんだろうな」
ラッカの声は、珍しく弱かった。
「“正しいこと”をするだけじゃ……誰も納得してくれないなんて、思わなかった」
ユーリの目元には、かすかに光るものがあった。
そして、セレンがぽつりと言った。
「ミカさんは、きっと“誰かの気持ち”から始めるんだと思う。正しさじゃなくて、“思い”から」
その言葉に、三人の間に静かな共感が広がった。
正しさとは何か。優しさとどう両立するのか。
“自分のやり方”とは何か――。
ミカの代わりにはなれない。けれど。
自分にしかできないことが、あるのかもしれない。
夜の資料室の灯りは、消えそうで、けれどまだ、確かに三つの光を照らしていた。




