101話 影として立つ ―託された席
その朝、魔王城の執務室には、張りつめた空気が漂っていた。
ミカの不在。それは、この城にとって一種の“異常事態”を意味していた。
「王都会議に呼ばれました。三日間、席を外します」
静かに告げられた一言に、ユーリとセレン、ラッカは目を見開いた。
「えっ、今週……大規模支援物資の配布と、難民区の医療会議、軍の再配置案まで……」
セレンが次々と挙げる日程は、どれも通常であればミカが自ら指揮する重要任務だ。
しかし、ミカは微笑を浮かべたまま言った。
「すべて、あなたたち三人に一任します」
一瞬、時間が止まったようだった。ラッカが口を開く。
「待てよミカさん、冗談だろ? 俺たち、まだ半人前の見習いだぞ」
だが、ミカの表情は真剣そのものだった。
それどころか、目の奥には確かな“信頼”の光が灯っていた。
「だからこそです、ラッカさん。見習いだから任せられない、なんて考え方――私はしません」
「君たちは、すでに“誰かのために決断する重み”を知っている。ならば、十分です」
そして、三人にそれぞれの任務が告げられた。
「セレンさんは医療行政の調整を。難民区の衛生改善案をまとめ、医師団との会議に臨んでください」
「ユーリさんは、市民調整局の支援配分担当に。各地区の声を集め、優先順位を立ててください」
「ラッカさんは、防衛連携指令室へ。軍の再配置と民間防衛訓練の調整を一任します」
三人の顔に、それぞれ違った色の緊張が浮かぶ。
セレンは眉間に皺を寄せ、資料に目を走らせる。ユーリは指先を不安げに揺らし、ラッカは腕を組んだまま沈黙した。
「……無理です。ミカさんの代わりなんて、できません」
セレンのつぶやきに、ミカは首を横に振る。
「“代わり”じゃありません。“あなた”にしかできない仕事をしてほしいのです」
「命令ではありません。ですが、私は――あなたたちなら、やれると信じています」
その言葉に、部屋が静まり返った。
三人は互いに目を見合わせる。
ふと、ユーリが小さく頷いた。
「……僕、怖いです。でも、あの支援現場で――“判断の責任”を知った以上、逃げたくない」
「医療記録は、私が一番読み込んでますから。任せてください。……やるしか、ないですね」
セレンは自らを奮い立たせるように、メモ帳を握りしめた。
ラッカはゆっくりと背筋を伸ばし、低く呟いた。
「この任務、成功させて帰ってきた時……ミカさんに“でかくなったな”って言わせてやる」
ミカは柔らかく微笑んだ。
その瞳には、まるで“親が子の旅立ちを見送る”ような、穏やかで誇らしげな光があった。
「では、行ってまいります。三日後、この城で――お会いしましょう」
ミカが部屋を出ていった瞬間、空気が少しだけ変わった。
重責が、確かに三人の肩に乗ったのだ。
だがその背中は、迷いの中にあっても、確かに少しだけ――“秘書の影”として、立ち上がっていた。




