1話 秘書としての役割と日常業務
目を覚ましたとき、俺は真っ黒な天井を見つめていた。
「……ここ、どこだ?」
口からこぼれた言葉が、やけに反響する。床は冷たく、石造り。
空気はひんやりとしていて、どこか鉄の匂いがした。自分がいたのは、まるで中世の城のような場所だった。
直前の記憶を辿る。俺はたしか、徹夜明けで資料をプリントアウトしに行って、階段を踏み外したのだ。
そう、ブラック企業勤めの俺は、いつものように寝不足のまま業務をこなしていた。
――そして、気づけばここにいた。
「ようこそ、異世界へ。お前は本日より、魔王陛下の秘書として任命された」
突如、現れたローブ姿の老人がそう告げた。耳が長く、目がやけに鋭い。
見たことのない種族だが、言葉は日本語……いや、脳に直接響くような不思議な感覚だった。
「秘書……?」
「そうだ。前任は三日前に精神崩壊を起こして辞職した。貴様には期待しているぞ」
いや、待て待て。異世界に転生したのはわかった。
だけどなんでよりによって“魔王の秘書”なんだよ。
戦士とか魔法使いとか、そういうのじゃないのか?
「詳しい説明は省くが、貴様の“前世のスキル”がこの職に最適と判断された」
どうやら異世界には「転生者のスキル判定機構」があり、
人格・経験・職歴などから適性職種が割り振られるらしい。俺のスキルは――
《業務整理(S)》《スケジュール管理(A)》《社内調整(A)》《プレッシャー耐性(S+)》《報告・連絡・相談(S)》……。
うん、見事なまでに“社畜スキル”だった。
翌日から、俺の秘書生活が始まった。
まずやることは、“本日の魔王陛下のスケジュール確認”である。とはいえ、相手は魔王――。
「えーと、本日は10時から悪魔連合の定例会議、13時に四天王との執務会議、15時から……」
「キャンセルだ。眠い」
「……は?」
「全部キャンセルだ。今日は昼まで寝る」
朝からスケジュールが総崩れである。
俺は前職で散々上司の気まぐれに翻弄されてきたが、魔王はその比ではなかった。
とはいえ、彼の“気まぐれ”には理由がある。
魔王の魔力は精神状態に大きく左右されるらしく、ストレスや疲労が溜まると統率力まで下がるのだ。
「……仕方ありません。では午後からの会議は代行に切り替えます」
「やはり貴様、有能だな。気に入った」
魔王陛下は、俺の手配した温泉宿のチラシを見ながらご機嫌であくびをしていた。
それから俺は、魔王の執務室にある膨大な書類を整理し、部下の予定を取りまとめ、会議資料を作成し、さらに“部下の部下”の体調管理まで一手に担うことになった。
「やること多すぎじゃね?」
誰に問いかけるわけでもなく、そうつぶやく日々。
それでも、どこか懐かしく感じるこの“仕事漬け”の日常。
かつての会社と違い、ここでは“やった分だけ成果が目に見える”。
「……あれ? 俺、ちょっと楽しいかも?」
異世界での秘書ライフは、こうして幕を開けた――。




