9、メイドイベント、誤解が深い
休日。
学園も生徒会も関係ない、完全な自由時間。
私はその日、ダンテ様のタウンハウスを訪れていた。
名目は「婚約者として顔を出す」――それだけ。
勉強会でも、用事でもない。ただ一緒に過ごすための訪問だ。
この家に来るのは、これが三度目になる。
前回は侯爵家の面々との顔合わせ。形式的な挨拶と軽い茶会だけだった。二度目はダンテ様に誘われて勉強会を二人で行い、今日はもっと私的な時間として招かた。
玄関をくぐると目に入る、その落ち着きながらも豪華な装飾に「お金がかかっている……」とあらためて思う。
前回の訪問で私がそう言ったら、ダンテ様は苦笑してたっけ。
「フィオリーナ様、いらっしゃいませ」
出迎えたのは、一人の若いメイドだった。たぶん、私たちと同じぐらいの年頃。
淡い栗色の髪をお下げにしていて、顔も可愛い。
――あ。
この時点で、なんとなく察してしまった。
「こんにちは。今日はお邪魔しますね」
そう返すと、彼女は一瞬だけ、私の胸元に視線を落とした。正確には、ダンテ様から贈られたゴールドのブローチに。
「……どうぞ。ダンテ様は、応接室にいらっしゃいます」
“ダンテ様”。
そう呼ぶ声が、少しだけ柔らかい。
ああ、なるほど。私は内心で、ため息をついた。
メイド系ヒロインかぁ……。
◇◇◇
応接室で待っていたダンテ様は、いつもどおりだった。
ラフな服装だけど、姿勢は崩れていない。
「来てくれてありがとう。フィオリーナ」
「こちらこそ。休日に押しかけてしまって」
他愛もない会話。けれど、ダンテ様はどこか落ち着かない様子だった。
視線が、時々、扉の方へ向かう。
「……何か気になりますか?」
「いや。気になるというか……」
言い淀んだところで、扉がノックされた。
「お茶をお持ちしました」
先ほどのメイドが、トレイを持って入ってくる。
完璧な所作。けれど、私の前にカップを置くときだけ、ほんの一瞬、手が止まった。
「……素敵なブローチですね」
ぽつり、と。
「ありがとうございます。婚約の記念にいただいたんです」
正確には護身用に贈られたものだけど、婚約をきっかけに贈られたものであることは間違いない。
私の言葉を聞いて、彼女は一瞬だけ目を伏せ、それから微笑んだ。
「……とても、お似合いです」
その瞬間、ブローチが熱を持つ。
……あー、発動してるわ。
私の笑顔の引きつりに、ダンテ様も気づいている。
厳しい表情でメイドを見ていた。
それからの時間は、穏やかなようで、そうでもなかった。
メイドは必要以上に部屋に出入りした。
紅茶のおかわり、菓子の追加、窓の調整。理由はいくらでも作れるらしい。
その間、視線は何度もダンテ様に向けられていた。熱を帯びた、けれど触れられない距離の視線。すごいな、と素直に感心してしまった。
「ダンテ様は、昔からお優しくて」
「お怪我をなさった方を見ると、放っておけないんです」
「身分に関係なく、誰にでも分け隔てなく――」
“彼はそういう人です”
“私はそれを一番近くで見てきました”
“あなたより、ずっと前から”
言外の主張が、あまりにも分かりやすいので、私は自分の目が死につつあることが分かった。
彼女はきっと、「両片思いだけど、身分が違うから諦めている可哀想な私」という立ち位置に、自分を置いている。もしかしたら、心からそう思っているのかもしれない。
……けれど。
私はちらりと、ダンテ様のほうを見る。
ダンテ様はというと、明らかに状況を把握しきれていない顔をしていた。困惑、というより、「なぜこの流れになっているのかわからない」という白い目だ。
たぶん、このメイドからのアプローチに気づいていてはいたのだろう。だから、下手に干渉してほしくなくて、彼女以外の使用人に来てほしいと思って扉を見ていたんだと思う。
「……あの」
ついに、彼女が踏み込んできた。
「フィオリーナ様は、ダンテ様のことを……その……」
そこで言葉を濁す。「身を引く健気なヒロイン」の自己演出が、これでもかと詰め込まれていた。
私は、少しだけ首を傾げた。ブローチが、静かに精神干渉を弾いているのがわかる。
「大切な婚約者だと思っていますよ」
それ以上でも、それ以下でもない事実。ダンテ様に視線を送ると、彼ははっきりと言った。
「君は侯爵家に雇われた、ただの使用人のはずだが、それはどういった意図で俺の婚約者に聞いてるんだ?」
逃げ道を与えない言い方だった。メイドは、はっと息を呑む。少しうるんだ目は、なんだか悲劇のヒロイン感を頑張って出しているように見えた。
「……私は、ただ」
「先ほどからの言動も不愉快だ」
ダンテ様は、私の方を見た。
「もう来なくていい。業務に戻れ」
それだけ。でも、その一言で十分だった。
メイドはひどく傷ついた表情で部屋を辞した。
◇◇◇
「……あのメイド、やけに馴れ馴れしいから、俺の部屋付きから外してもらったんだ。
なのに、こうやって関わってくるんだから、本当に鬱陶しい」
すごく疲れた顔で言うダンテ様。彼の背中をちょっと撫でて慰める。
「うーん。もしかして、ダンテ様の家も、何かの乙女ゲームの舞台なのかもしれないですね」
「は?」
「長男のダンテ様、双子の弟2人、やけにイケメンな執事長……あとイケメンって誰かいます?」
「……うーん。たしか、見習い料理人が顔が整っていると聞いた気が……」
「じゃあ、その5人が攻略対象なのかもしれないですね」
「嘘だろ」
絶望しているダンテ様。学園のゴリラ戦線に疲れているのに、自宅でもゴリラに絡まれるのか……と肩を落としている。
「……今度から、休日に会うときは外が私の家にします?」
「――ぜひ」
やけくそな笑顔を返されて、さらにダンテ様が不憫に思えた。
帰り際。
ダンテ様がに玄関まで見送ってもらう。
「お邪魔しました」
貴族の令嬢らしく、にっこりと笑顔で別れの挨拶をすると、ダンテ様は少し口元をまごつかせた。
「……フィオリーナ」
それから、少しためらったように間を置いて、再び口を開いた。
「今度から、愛称で呼ばせてほしい」
直球だった。でも、照れや迷いが、隠しきれていない。
私は、少しだけ驚いてから、微笑んだ。
「はい、もちろん」
それだけで、彼は目を見開いた。そして、ゆっくりと、
「……リーナ」
噛み締めるように、そう呼んだ。
胸の奥が、静かに温かくなる。派手な事件も、劇的な告白もない。でも、確かに一歩、前に進んだ。
そんな休日だった。




