4、ゴリラの初手は、正面突破お涙頂戴
一週間後、学園の空気が一段階だけ騒がしくなった。
正確に言うなら、私の周囲だけ。
「ねえ、聞いた?」
「フィオリーナ様の件?」
「そうそう。泣かせたらしいわよ」
「何か圧を感じたらしいけど」
「やっぱり悪役令嬢……?」
訂正する余地が一切ないのがつらい。いや、悪役令嬢ではないけども。
昨日の出来事を、きちんと思い返してみる。
「フィオリーナ様」
中庭。昼下がり。
私はベンチで本を読んでいただけ。
そこに、ヒロイン(ゴリラ)ご一行が来た。
主役のヒロイン(ゴリラ)は、友人を2人ほど従えていて、本人はすでに目に涙を溜めていた。
早い。展開が早すぎる。
私の脳内で、どこか冷静な声が鳴る。
イベントだ。しかも、正面突破お涙頂戴型。でも、乙女ゲームというよりも少女漫画な気もする。
まあ、一般的な乙女ゲームのイベントを全部知っているわけではないから、こういう友達と一緒に!みたいなイベントもあるのかもしれない。
「少しお時間、いただけますか」
右側の子が、きっぱりと言った。
泣きそうな本人ではなく、付き添いの友達が前に出る構図。
ああ、なるほど。
これは一人で来るよりも、かなり完成度が高い。
「……あの」
と、私が言う前に。
「ダンテ様に近づくの、やめてください!」
先鋒は友人Aだった。
ちょっと待って。近づくのをやめろってどんな話?
「私たち、ずっと見てきたんです!」
「ダンテ様、フィオリーナ様と過ごしていると、とっても辛そうに見えます!」
ちなみに、私とダンテ様が初会話をしてから10日ほどしか経っていない。
その間、ヒロイン(ゴリラ)はというと。
「……っ、ひっ……」
完全に泣いている。もう泣いている。
まだ何も起きていないのに。
泣き声は、ほとんど聞こえない。でも、その分、余計に可哀想に見えるのがすごい。
「この子、ずっと、ダンテ様のことが好きだったんです」
友人Bが、はっきりと言った。
「入学した時から」
「でも、自分の立場も分かっていて」
「身の程も弁えていて……」
友人AとBが、中央のヒロイン(ゴリラ)の心情を代弁してる。
友人たちが、感情を丁寧に言語化していく横で、本人は泣く担当らしい。
「……ええと」
私は何か言ったほうがいいのだろうか。
丁寧に作りこまれた被害者ムーブに、どうするべきか対応に困ってしまう。
友人Aがキッと私を見て言う。
「ただ、想っていただけなんです。
それなのに、急に婚約の話が出て…」
友人Bが中央のヒロイン(ゴリラ)を慰めながら、私を見た。
「私たちは、責めたいわけじゃありません。
ただ、彼女の気持ちを、知ってほしくて」
それが合図のように、中央のヒロイン(ゴリラ)が、ゆっくり顔を上げた。
涙で赤くなった目。
震える唇。
「……っ」
一度、息を吸って。
「……ダンテ様のこと」
声が、掠れる。
「私の方が……私の方が、先に好きだったのに……!」
堰を切ったように、涙が落ちる。
友人Bが、すかさず支える。
「ね、だから」
「フィオリーナ様も、分かりますよね?」
分かりますよね、という言葉。
それは質問じゃない。
“身を引くべきだ”という、圧だ。
――でも、私が引く理由には、ならない。
「婚約は、私一人の意思で決まったことではありません」
「……っ」
その瞬間だった。
泣いていたヒロイン(ゴリラ)の表情が、変わった。
驚いたように目を見開き、一歩、後ずさる。
私を見ているというより、自分の内側を見ているような目だった。
「……え?」
友人Aが、戸惑った声を出す。
「どうしたの?」
友人Bが支えようとするが、彼女は、ふるふると首を振った。
「私……私、なんで……」
言葉が、続かない。
言葉にできない違和感に、混乱しているように見えた。
「ごめんなさい……!」
絞り出すように言って、彼女は、そのまま踵を返した。
泣きながら、走っていく。
「ちょっ……!」
友人2人が、慌てて後を追う。
取り残されたのは、私だけ。
「……一体、何があったの」
呆然とその背を見送る。
そして次の日には、もう噂が広がっていた。
その日の午後。私はダンテ様に誘われて、メロちゃんとロメオ様とともに、侯爵家御用達のカフェへ来ていた。個室なので、話を聞かれることがないらしい。
「――で?何があったんだ?」
「本を読んでいました」
「それだけ?」
「それだけです」
ダンテは少しだけ眉を寄せた。
「……それで、泣かれた?」
「泣いていました。最初から」
「なるほど」
女心はわからない…と遠い目をするダンテ様。
その隣にいるロメオ様は、相変わらず、眠そうな顔だ。
「昨日の昼、俺のところに通知が来たし、そこで何かあったんでしょ」
「通知?」
何の通知だ。私が疑問を返すと、2人は、顔を見合わせた。
そして、ロメオ様が面倒そうに説明する。
「そのブローチ、一定以上の感情干渉とか、精神負荷が発生すると、俺に知らせが来る」
「……初耳です」
「言ってなかったっけ?」
「聞いてません」
「まあ、聞いてないよね」
そのままロメオ様は「昨日は実習で外に出てたから、通知が来たけど、重要度が高くなさそうな通知だったし、まあいっかなぁと思って放置した」と悪びれもせず言う。
ダンテ様が、軽く咳払いした。
「……想定外の事態に備えてだ」
「フィオリーナ嬢の判断力を鈍らせるような状況が発生した場合、把握できるようにしている」
「判断力……?」
そこで、ふと思い出す。
「……そういえば」
口に出すと、2人が、こちらを見た。
「私、あの時、いつもより、感情に引っ張られなかった気がします」
泣いている相手に、必要以上に感情が引っ張られなかった。妙に冷静だった、ともいう。
ロメオ様が、小さく頷く。
「それが、精神干渉耐性」
「耐性……?」
「魅了とか、洗脳とか、媚薬とか、そういうのを無効化するほど強くはしてない。
…その石の大きさだと、そこまで強い魔術は仕込めなかったし」
さらっと物騒な単語が出てくる。そして、この石に魔術が込められていることがしれっと伝えられた。
「だから、“冷静さを保てる”程度に、弱めてる」
ダンテ様が、静かに続けた。
「泣き落としや、被害者ムーブに対して、過剰に自分を責めたり、無理な選択をしなくて済むように」
……なるほど。
「でも、周りからは、冷たく見えたかもしれません」
ダンテ様は、あっさり頷いた。
「ああ、見えたと思う」
「即答やめてください」
そこで、ずっと静かにメロンソーダフロートを飲んだいたメロちゃんが、口を開いた。
「つまり――
リーナは何もしてないけど、冷静で動じないので、結果として“泣かせた側”に見える、と」
「最悪の構図では?」
あまりにひどい事態に、目が遠くなった。
「それでも」
そこで一言区切って、ダンテ様はじっと私を見た。
「流されて後悔するより、ずっとマシだ」
私は、深く息を吐く。そして、コーヒーフロートをずずっと飲んだ。
……甘さが沁みる。
その夜。
私は、日記にこう書いた。
――
正面突破は、ブローチにより即死。
なお、私は無傷。
学園の噂だけが、また一段階ひどくなった。
――
ページを閉じて、ため息をつく。
ゴリラ戦線は、今日も平常運転である。




