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【連載版】 ヒロイン大渋滞な世界は、一般人にはつらすぎる  作者: 榎本モネ


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18/19

18、正解が示されない、この世界で



 学園祭が終わって、数日が経った。


 校舎は、驚くほどいつも通りだった。朝の鐘が鳴り、生徒たちは決められた時間に教室へ向かい、授業は淡々と進む。笑い声も、噂話も、以前と変わらない。まるで、あの騒動が最初から存在しなかったかのように。


 ――戻ったのではない。ただ、皆が「何事もなかった顔」をしているだけだ。


 私は中庭を抜け、中央ステージのあった場所へ足を向けた。学園祭の名残は、ほとんど片付けられている。仮設の装飾も、観客席も、綺麗さっぱり消えていた。


 けれど、あの場所だけは違った。

 中央に立っていた装飾柱――水晶を抱えたあの柱は、黒い布と簡易結界で覆われ、近づけないようにされている。立ち入り禁止を示す札が、いくつも無言で並んでいた。


 誰も、そこに近づこうとはしない。視線を向ける生徒はいる。足を止める者もいる。でも、誰一人として口には出さない。

 あの柱が何だったのか。なぜ封鎖されているのか。あの日、何が起きたのか。問いは、空気の中に浮かんだまま、誰のものにもならずに消えていく。


 物語なら、ここで祝福が入るはずだ。騒動が終わり、誤解が解け、誰かが選ばれ、拍手と音楽が鳴る。正解に辿り着いたことを、世界がはっきりと肯定してくれる。

 でも、この世界は違う。何も説明してくれない。何も評価しない。間違っていたとも、正しかったとも言わない。

 ただ、日常だけが続いていく。


 私は封鎖された装飾柱から視線を逸らし、再び歩き出した。その背後で、学園はいつも通りの音を立てて動いている。まるで、本当に、最初から、何もなかったかのように。


◇◇◇


 放課後に訪れた喫茶ステラは驚くほど静かだった。あれほど騒がしかった日々が嘘のようで、カップに注がれるコーヒーの音すら、少し大きく感じる。

 いつもの個室席で、ダンテ様、ロメオ様、メロちゃん、そして私がテーブルを囲う。

 最初は、本当にどうでもいい話だった。片付けの愚痴とか、学園祭限定メニューがもう飲めないこととか。誰も、あの話題に触れようとしない。……しない、はずだった。


「ねえ」


 メロちゃんが、ストローをくるくる回しながら、ふと顔を上げた。


「結局さ。あれって、何だったんですか?」


 カップを置く音が、やけに大きく響いた気がした。一瞬、空気が止まる。誰もすぐには答えなかった。それでも、逃げる気はない沈黙だった。


 先に息を吐いたのは、ダンテ様だった。


「……説明は、必要だな」


 視線を落としたまま、静かに言う。


「あの後、教師たちと生徒会が独自に調査した結果、ある程度のことはわかったんだが――中央ステージにあった装飾柱のことは、覚えているだろう」


 私は、無意識に指先を握った。あの、水晶が埋め込まれた柱。


「あれには、魔法具が組み込まれていた」


 私とメロちゃんは顔を見合わせた。


「……どんな魔法具なんです?」

「争いを避けるための魔道具《共感増幅核レゾナンス・コア》だ。」


 淡々と、事実だけを並べる。


「大規模な行事のとき、人の感情は荒れやすい。だから、場の流れを“丸く”する補助として設置された」

「お守り、みたいなもの?」


 私がそう言うと、ダンテ様は小さく頷いた。


「それに近い。空調設備のような扱いだ。常時作動しているわけじゃない。学園祭のような、大きなイベントのときだけだ。設置当時は、『若者たちが感情的な判断で取り返しのつかないことをしないように』という善意で用意されたものらしい」


 そこまで言って、一拍置く。


「……だからこそ長年、問題にならず、誰も疑わなかった」


 その言葉が、妙に重く落ちた。


「で、その“誰も疑わなかった部分”が、今回まとめて破綻したわけ」


 ロメオ様が、肩をすくめて口を挟む。いつもの皮肉っぽさはあるが、目は真剣だった。


「悲しい人がいれば、慰める。怒っている人がいれば、落ち着かせる。あの魔道具も、本来はその程度の共感を引き出す補助しかしない」


 彼はテーブルに肘をつき、指先で空中をなぞる。


「でも、今回は違った。同じ方向を向いた感情が、同時に、しかも大量に流れ込んだ」


 ちらりと、私たちを見る。


「恋への期待。選ばれたい気持ち。自分の想いが正当だって信じたい感情。それが、同じ場所に、同じ対象へ、一斉に向けられた」


 私は、喉の奥がひりつくのを感じた。


「共感増幅核は、“衝突を避ける流れ”を探す装置。多数の感情がぶつかりそうになったとき、一番摩擦が少ない方向へ、そっと背中を押す」


 ロメオ様は、言葉を選ぶように続ける。ダンテ様が、低く補足した。


「問題は、その“摩擦の少なさ”の定義が、今回ひどく歪んだことだ。拒絶しないことが、最も安全だと判断された」

「そうだね」


 ロメオ様は肩をすくめた。


「誰かを明確に拒めば、必ず誰かが傷つく。怒る。泣く。責める。装置は、それを“衝突”として避けようとした。

 結果、どうなるか。誰も否定しない。誰も悪者にならない。全員の期待を、一時的に肯定する」


 指を一本立てる。


「つまり、“応じる”。それが、装置にとって一番丸い」


 胸の奥が、ひどく冷えた。ロメオ様の声が、少しだけ低くなる。


「しかも今回は、条件がさらに悪かった」


 指を二本に増やす。


「学園祭という環境。見られている。期待されている。演出が過剰。感情が引き返せない状況だった」


 三本目。


「生徒会の反省会で、過度な善意を切った。結果、救われなかった感情が、行き場を失った」


 そして最後に、四本目。


「恋に前のめりな大量の女子生徒。似た期待が、同時に、同じ型で流れ込んだ」


 ロメオ様は、静かに結論を置いた。


「装置は壊れたわけじゃない。 ただ、“もっとも無難な物語”を作り続けるしかなくなった」


 ダンテ様が、短く肯定する。


「拒絶しない。応じる。ロマンチックな流れに乗る。それが、あの場での“正解”にされた」


 カップの中のコーヒーは、もうすっかり冷めていた。


「……つまり、あれが最後に派手に弾けたのは、“事故”じゃない」


 ロメオ様はスプーンを指先で軽く回しながら、どこか醒めた声音で言う。メロちゃんがぱちりと瞬きをした。


「事故じゃないって……わざと?」

「わざと、というより――耐えきれなかった」


 ロメオ様は言葉を選び、ちらりとダンテ様を見る。ダンテ様は小さく頷いた。


「共感増幅核は、感情を集めて均す装置だ。怒りや不満が尖らないように、場の空気を滑らかにする」

「でも、均すだけなら、壊れるほどになります?」

「普通はならないね」


 ロメオ様が即答した。


「問題は、均そうとした“中身”」


 彼はスプーンを止め、指で空中に円を描く。


「学園祭。注目。選択。告白。期待。失望。それが一斉に、しかも同じ方向――“正解を出せ”って圧で流れ込んだ」

「正解……?」


 私が呟くと、ロメオ様は視線だけをこちらに寄越す。


「誰も傷つかない答え」

「誰も悪者にならない展開」

「全員が納得した“物語”」


 少しだけ、口角が歪んだ。


「そんなもの、本来は存在しない」

「……」

「でも、あの場には“欲しがる感情”が多すぎた」


 ダンテ様が静かに補足する。


「装置は、答えを出すためのものじゃない。だが……答えを求める感情を、同時に浴びすぎた」

「じゃあ、最後は……」


 メロちゃんが息を呑む。


「“一番無難な展開”を、無理やり形にしようとした」


 ロメオ様の声は淡々としていた。


「全員が少しずつ我慢すれば、丸く収まる。誰も強く否定しなければ、争いは起きない。――そういう、歪んだ正解をね」


 ダンテ様は否定しなかった。


「結果として、内部で均衡が崩れた。感情を押さえつける方向に振り切れた装置は、逃げ場を失った」

「それで……破裂?」

「うん。壊れたんじゃない。感情は圧縮できても、消せない。行き場を奪えば、最後は外に噴き出すものだよ」


 私は、胸の奥がひやりとするのを感じた。――だから。あのとき、あんなにも居心地が悪かったのだ。

 誰かを救っているようで、誰の気持ちも尊重していない。あれは調和じゃない。ただ、押し付けられた“丸さ”だった。


 カップに残った冷たいコーヒーを見下ろしながら、私は静かに理解した。

 破裂したのは、装置じゃない。あの場に集められた「答えがほしい」という感情そのものだったのだ。


 そんなことを思いふけっていたら、メロちゃんが立ち上がった。そして、ロメオ様に目配せをする。


「先に外で待ってるね」

「え?」

「ほら、行きますよ、ロメオ様」


 からかいも探りもない、自然な声だった。二人はそのまま席を離れ、個室には私とダンテ様だけが残った。


 喫茶店のざわめきは続いているのに、ここだけ空気が落ち着いている。私は一度、深く息を吸った。


「……もう、ああいう争いは起きないと思います」


 ダンテ様は急かさず、ただこちらを見ている。


「私たちが婚約した理由も……なくなりました」


 カップに添えた指先に、意識が集まる。逃げずに言葉を続けた。


「それでも……」


 視線を上げる。


「それでも、私が婚約者で、いいんですか?」


 一瞬の沈黙。

 ダンテ様はすぐには答えなかった。けれど迷いというより、どう言えば伝わるかを考えているようだった。


「俺は、最初からリーナがいい」


 その声は落ち着いていて、確信がある。


「守るためじゃない。選びたいと思ったのが、君だった」


 胸の奥が、じんわりと温かくなる。私は短く、でもはっきり答えた。


「……私も」


 一拍置いて、続ける。


「ダンテ様が、いいです」


 その瞬間、ダンテ様がほんの少しだけ目を伏せた。珍しい仕草だった。


「……そう言われると、さすがに」


 小さく息を吐き、照れを隠すように視線を戻す。


「嬉しい」


 その言葉に、今度は私の方が戸惑ってしまう。

 ダンテ様の手が、そっとこちらに伸びた。指先が触れ、ためらいがちな一瞬のあと、指を絡めてくる。驚くほど、自然だった。

 私も、そっと握り返す。すると、ダンテ様の指に少し力がこもった。


「これからも、一緒にいよう」


 宣言というより、確認に近い言葉。私は、少しだけ照れながら頷く。


「はい」


 役割でも、仮の関係でもない。選び合った結果として、こうして手を取り合っている。

 そのまま手を離さずにいると、ダンテ様がもう一言、低く付け足した。


「……当たり前みたいに、隣にいてほしい」


 胸が、きゅっとなる。役割でも、仮の関係でもない。選び合った結果として、こうして手を取り合っている。

 これから先、忙しい日も、穏やかな日も、きっとある。それでも、この手を離さなければいい。そんな簡単で確かな答えが、ここにあった。

 絡めた指先が、少しだけ動く。それが、これから始まる日々への合図のように感じられた。




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― 新着の感想 ―
「……当たり前みたいに、隣にいてほしい」 すごく素敵な告白でキュンとしました。
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