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【連載版】 ヒロイン大渋滞な世界は、一般人にはつらすぎる  作者: 榎本モネ


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16、学園祭イベントに、正解はない(中編)


 ダンテ様が正気を取り戻してからも、学園祭の喧騒は止まらなかった。

 音楽。笑い声。呼び込みの声。色とりどりの旗が風に揺れ、人の流れはなおも増え続けている。

 ——なのに。私の足元だけ、世界が一段沈んでいるように感じられた。


「……ダンテ様」


 名前を呼ぶと、彼はわずかに肩を震わせた。握りしめていたブローチを、まだ離していない。


「大丈夫だ。今は……今は、ちゃんと自分で考えられてる」


 そう言いながらも、声がかすれている。自分の意思を取り戻した安心よりも、失いかけたことへの恐怖が、まだ彼の中に残っていた。

 私は、その横顔から視線を外し、周囲を見回す。異常は、終わっていない。


「……リーナ」


 メロちゃんが、そっと声を落とした。彼女が指さした先には、ロメオ様がいた。

 展示スペースの端にひとりで立つロメオ様は、腕を組み、片足に重心を預け、口元には薄い笑みを浮かべている。一見すれば、いつもの「余裕ある魔術師」だ。

 ——けれど。彼の様子は、ダンテ様以上におかしかった。視線が定まらない。指先が、微かに震えている。


「……いやー、これさ」


 ロメオ様が、独り言のように言った。


「気分的には、すっごい面白い状況なんだけど」


 指先で、こめかみを軽く叩く。


「笑えないジョークが、頭の中で勝手に回ってる感じ」

「ロメオ様……無理してません?」

「んー?」


 ロメオ様は、いつもの調子で首を傾げる。メロちゃんが一歩、近づいた。


「無理ってほどじゃないけどさ。ただ——ちょっと……考えが、変な方向に引っ張られてる。

 俺、『断る』って言葉を、十通りくらい思いつくのに。どれも、口まで届かないんだよね」


 彼は自分のこめかみを押さえた。軽口なのに、冗談になりきっていない。私は、背中に冷たいものが走るのを感じた。


「ねえ、ロメオ様」


 メロちゃんが、ぐっと距離を詰めた。


「今のそれ、面白がってる場合じゃないやつですよね?」


 一瞬。ロメオ様の目が、わずかに見開かれた。


「……鋭いな、メロディ」

「当たり前です」


 彼女は、少しだけ怒ったように眉を寄せる。


「ロメオ様、そういうとき、いつも笑って誤魔化すから」

「だってさ、深刻な顔しても似合わないでしょ?」

「似合うかどうかじゃありません」


 メロちゃんは、きっぱり言った。


「今、ロメオ様は——怖いんですよね?」


 その一言で。ロメオ様の軽さが、ふっと剥がれた。


「……参ったな」


 小さく息を吐く。


「ばれてる?」

「ばればれです」


 メロちゃんは、視線を逸らさない。


「ロメオ様、考えすぎるときほど、冗談が増えるんです」


 沈黙。ロメオ様は、少しだけ困ったように笑った。


「……そう」


 そして、正直に言った。


「怖いよ。自分の専門分野で、足元すくわれてる感じがして。理屈はわかっているはずなのに……そこに行き着けない」


 その瞬間、私の胸に、ひとつの疑問が浮かんだ。

 ダンテ様の手の中にある、小さな装飾品。この金のブローチはそもそも、ロメオ様が魔術をかけたものだ。精神干渉を弱め、冷静さを保つための魔術。ダンテ様が私を守るために、ロメオ様に依頼して設計したはずのもの。

 なのに、その魔術に行きつけない?


「ロメオ様」


 私が名を呼ぶと、ロメオ様は一瞬、きょとんとした顔をした。


「ん?」

「このブローチ……誰が作ったか、どんな能力か、覚えてます?」


 ダンテ様が手を少し開いて、金色のブローチをロメオ様に見せる。

 一拍。ロメオ様の表情から、飄々とした余裕が消えた。


「……」


 沈黙。目を伏せ、何かを探るように、言葉を選んでいる。


「……あれ?」


 喉が鳴った。


「……俺がかけたもの、だよね?」


 疑問形だった。自分で構築したもののはずなのに、確信が持てていない。その事実に愕然とする。

 彼は魔術師だ。天才とすら称されている。精神干渉の異常に、真っ先に気づくべき人間のはずだった。

 なのに。


「……はは」


 ロメオ様が、乾いた笑いを漏らした。


「参ったな。これ、俺……防げるはずなんだ」


 声が、震えている。


「理屈は全部、頭にある。自分に精神干渉防御をかける術式も、構築できる」


 それなのに、と。


「……身体が、言うこと聞かない」


 その一言が、ひどく重かった。ダンテ様が、ぎゅっと拳を握る。そして、そのまま自身の拳をロメオ様に押し付けた。


「ロメオ。これを……元々、お前の魔術だ」

「……ありがと」


 小さく呟き、ブローチを握る。そして、短い詠唱。今度は迷いなく、自分自身へと魔術を流し込む。

 空気が、静かに落ち着いた。


「——あ」


 ロメオ様が、ぱちりと瞬きをする。


「……うん。今なら、ちゃんと考えられる」


 彼は、いつもの笑みを浮かべた。けれど、それは誤魔化しではなかった。


「いやー、ほんと。好き勝手やってる魔術師ほど、油断しちゃいけないね」


 メロちゃんは、ほっと息を吐く。


「戻ってきました?」

「おかげさまで」


 ロメオ様は、彼女に向かって、少しだけおどけた調子で言った。


「支えてくれる人がいると、案外あっさり戻れるもんだ」


 その視線は、はっきりとメロちゃんを見ていた。私は、そのやり取りを見て、胸の奥で静かに思う。

 ——大丈夫だ。ロメオ様は、もう流されない。


 彼は視線を巡らせ、学園祭の中心へと目を向けた。


「さて、ここからは、俺の仕事だね」


 ダンテ様にブローチを戻しながら、軽く肩を鳴らす。


「次は——俺が、引き戻す番だ」


◇◇◇


 中央広場の案内台は、まるで磁石の中心だった。人が、集まりすぎている。誰かが強引に誘導しているわけではない。

 ただ、「そこに行けばいい気がする」という曖昧な衝動だけが、重なっている。

 その中心に立っているのが、ウィリアム殿下だった。


「順番にお願いします」


 声音は穏やか。判断も正確。その様子を見たロメオ様が小さく息を吐いた。


「なるほどね」


 軽い口調だったが、目は完全に仕事モードだった。


「これ、本人の善意を“支点”にして引っ張ってるタイプだ」


 殿下は責任感が強い。生徒会長として、場を壊さないことを最優先する。

 ——その性質そのものを、利用されている。


「殿下」


 ロメオ様が一歩前に出る。


「少しだけ、止まってもらってもいいですか」

「……?」


 ウィリアム殿下が、ほんの一瞬だけ言葉を失う。それでも、体は自然と次の対応をしようと動きかけ——

 その瞬間。ロメオ様は、殿下に向けに手を伸ばした。

 ロメオ様の手を起点に、淡い光が走る。円環。幾何学模様。複数の魔術式が、静かに重なり合って展開されていく。


「っ……!」


 私は、思わず息を呑んだ。派手ではない。だが、精度が異様に高い魔法陣だった。


「精神干渉系の外圧を、直接弾くと反発が出る」


 ロメオ様は淡々と説明する。


「だからこれは、“切断”じゃなくて、“遮音”」


 指先が、陣の中心に触れる。


「——《思考干渉遮断・限定展開》」


 短い詠唱。魔法陣が、ふっと沈むように消えた。

 一瞬、風が止まった気がした。


「……あ」


 ウィリアム殿下が、はっきりと息を吸う。肩が、わずかに下がった。


「……これは」


 殿下は、自分のこめかみに指を当てる。


「ずっと、頭の奥で……“急げ”“まだ足りない”と囁かれていたような……」


 言葉を探すように、視線が揺れる。ロメオが軽く頷いた。


「思考自体は本人のもの。でも、“優先順位”だけを歪められてた」


 殿下は、苦く笑った。


「厄介だな」

「でしょう?」


 ロメオ様は肩をすくめる。


「責任感が強い人ほど、かかりやすい」


 その会話を聞きながら、私は詰めていた息をそっと吐いた。

 ウィリアム殿下は、浅く息を吸い込み、まるで長い夢から覚めたように瞬きをする。


「……私は……」

「はいはい、そこまで。自己反省タイムはあとでね」


 軽い調子で遮ったのはロメオだった。だが、指先はまだ魔力の残滓を帯び、完全に気を抜いている様子はない。


「殿下は“重症”寄りだった。これ以上人前に立たせると、また引きずり戻される」

「……助かった」


 ウィリアム殿下は短くそう告げ、深く一礼した。その所作には、先ほどまでの焦燥や強迫観念はない。冷静で、理性的な生徒会長の顔だった。

 ロメオ様はそれを確認して、ようやく肩の力を抜く。


「よし。じゃあ次」


 あまりにも軽く言うので、メロちゃんが一瞬、目を見張る。


「次、って……」

「決まってるでしょ。あと二人」


 ロメオ様は人混みの向こうをちらりと見やり、どこか愉快そうに口角を上げた。


「アルフレッドは“責任感を刺激されるタイプ”。イアンは逆に、“選ばれなきゃ意味がない”って追い詰められる」


 それは説明というより、独り言に近かった。


「どっちも、性質が違う分、放っておくと面倒くさい」

「……まるで、知ってるみたいな言い方ですね」


 メロちゃんが言うと、ロメオ様は肩をすくめる。


「まあね。こういう場面、嫌というほど見てきたから」


 そこでふっと、いつもの軽薄な笑みが消える。


「でも今回は、さすがに度が過ぎてる」


 声は低く、冗談の余地がなかった。


「このまま行くと、次は“感情の正解”を決めろって流れになる。誰が悪いか、誰が正しいか、誰が選ばれるべきか――」


 ロメオ様は一瞬だけ言葉を切る。


「……それ、いちばん壊れるやつ」


 メロちゃんは、ぎゅっと拳を握った。


「途中で止めないと、全員まとめて巻き添えになる」


 そして振り返り、ウィリアム殿下とダンテ様を見る。


「殿下。ダンテ。ここ、頼んだ」

「任せてくれ」


 ダンテは迷いなく頷いた。ウィリアム殿下もまた、状況を即座に理解し、周囲に視線を走らせる。


「私が人の流れを抑える。舞台は、まだ保つ」

「助かる」


 ロメオ様はそれだけ言って踵を返した。

 その背に、メロちゃんが一歩、迷いなくついていく。


「……私も行きます」


 ロメオ様がちらりと振り返る。


「いいの? 怖いよ、これから」

「うん。でも――」


 メロちゃんは、小さく息を吸い込んでから、まっすぐ言った。


「ロメオ様が一人で無理するほうが、もっと嫌」


 一瞬、ロメオ様の目が見開かれた。次の瞬間、いつもの、どこか茶化した笑みが戻る。


「はは。参ったな」


 そして、軽く手を振る。


「じゃあ、エスコートお願いしようかな。正気係さん」

「それ、役職なの?」

「今、即席でできた」


 二人は並んで、人混みの中へと消えていく。

 その背後で、中央ステージの空気は、確実に変わり始めていた。


 誰かが泣き、誰かが責め、誰かが“正しさ”を求め始める――

 破綻は、もうすぐそこまで来ている。





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