15、学園祭イベントに、正解はない(前編)
「学園祭当日は、なんとか時間を作るから、一緒に回ろう」
「ふふ、嬉しいです」
そんな、ダンテ様との会話はどこへ行ったのか。不安とともに期待もしていた、楽しみにしていた文化祭。その開始を告げる鐘が鳴った瞬間、私は――少しだけ、嫌な予感がした。
理由は分からない。根拠もない。ただ、空気だけが、わずかに重い。
「……多くない?」
隣で、メロちゃんが小さく呟いた。
彼女の視線の先。正門から中央広場にかけて、人、人、人。例年より明らかに多い。来場者だけじゃない。生徒の密度そのものが、異様だった。
「こんなに詰め込む予定だったっけ」
「ううん。配置表では、もっと余裕があるはず」
メロちゃんは、事前に渡されていた動線図を思い出すように眉を寄せる。私も同感だった。本来なら、人の流れはもっと分散される。中央に集中しすぎないよう、展示も出し物も、わざと散らしてある。
――なのに。人は、理由もなく、同じ方向に吸い寄せられている。
理由は分からない。誰かが誘導しているわけでもない。ただ、気づけば皆、似たような進路を選んでいる。
「……歩きにくいね」
「ええ」
肩が触れ合う距離。足を止めたくなくても、自然と速度が落ちる。
楽しいはずの学園祭。なのに、妙に息苦しい。
少し離れた魔術科棟の前で、ざわめきが一段階大きくなった。
「あ……」
メロちゃんが気づいたのは、ほぼ同時だった。ロメオ様だ。
魔術科の展示は簡易結界の実演と、魔道具の応用展示。人だかりができやすいのは、予想通りだった。けれど。
「……囲まれてるわね」
「うん。完全に」
展示台の内側。ロメオ様は笑顔のまま、身動きが取れない状態だった。
女子生徒が多い。質問、感想、感嘆の声。悪意はない。むしろ好意的だ。
「すごいですね!」
「これ、どういう仕組みなんですか?」
「近くで見てもいいですか?」
ロメオ様は一つ一つに答えている。冗談も交え、軽口も忘れず。――いつもの彼だ。なのに。
「……あれ、長くない?」
メロちゃんが、ぽつりと言った。
確かに。本来なら、補助役の生徒が対応を引き継ぐ頃合いだ。実際、補助役はいる。後ろで、順番を待っている。
ロメオ様自身も、離れようとしていないわけじゃないのが、余計におかしい。視線が、何度か外に向く。タイミングを測っているのが分かる。それでも、会話が途切れない。
「……魔術科って、忙しいわね」
「うん。でも……」
メロちゃんは言葉を濁した。“こんなに”ではない。そう言いたいのが、伝わってくる。
◇◇◇
中央広場のステージは、学園祭用の飾り付けでいつもより少し華やかだった。
白い布と花飾り、簡易照明。その中央に立つ石柱だけは、例年と変わらない。
学園創立記念日にも使われる、あの装飾柱。古い大理石でできていて、表面には蔦のような彫刻が施されている。
水晶のような飾りが中央にはめ込まれていて、光を受けると少しだけ反射する。装飾としては控えめで、主張はない。ただ、写真撮影や告白のスポットとして例年賑わいを見せている。
「今年も、あそこが一番人集まるんだろうね」
「たしかに」
メロちゃんの言葉に頷く。石柱の中央。透明なはずの飾りが、照明のせいか、ほんの一瞬だけ色づいて見えた気がした。
その近くの中央広場の少し高い位置に設けられた案内台。その周囲だけが、異様に密度を増していた。
人の流れが、そこへ、そこへと吸い寄せられている。立っているのは、生徒会長のウィリアム殿下だ。
笑顔は崩していない。声も落ち着いている。来賓、教師、保護者、生徒――誰に対しても、同じ調子で対応している。
……対応している、はずなのに。彼の足元に、処理しきれない案件が溜まり始めているのが、遠目にも分かった。
「展示場所の変更は、第三区画です」
「迷子の件は、副会長へ」
「トラブル対応は、該当クラス責任者を通してください」
隣では、アルフレッド様が休む間もなく指示を飛ばしている。メモを取り、確認し、振り分ける。その動きは正確で、無駄がない。
――完璧なはずだ。人の流れも、配置も、事前に何度もシミュレーションした通り。
それなのに。人が、想定通りに動かない。
質問は減らない。誘導しても、なぜか戻ってくる。「生徒会に聞けばいい」という流れが、止まらない。
「……おかしいわね」
隣で、メロちゃんが小さく呟いた。そう、学園創立記念日の合同行事での反省を受けて、生徒会役員たちは業務の見直しをして、「処理役に回りすぎない」ことを徹底していたはずだ。
「生徒会、ちゃんと回ってるのに」
「ええ。だからこそ、よ」
私は、ウィリアム様とアルフレッド様から、少し離れた位置に視線を走らせた。
そこに立っているダンテ様は、人の流れから一歩引いた中央広場の端で、全体を見渡している。
――反省会で決めた通りに動こうとしている。その判断通りに動けるように事前準備をしていたし、周囲にも役割分担を伝えていた。ダンテ様も十分に理解していて行動しているはずなのに。
「ダンテ様!ここのことなんですけど」
「こっちで今、喧嘩が起きてて!」
もちろん、すべてが予定通りに進むわけではない。でも、場の歪みだけが、じわじわと大きくなっているような気がした。
誘導され、呼び止められ、流される。意志とは別の力で、立ち位置が決められていく。
「……ねえ、リーナ」
メロちゃんが、私の袖を掴む。
「これ、なんだか……疲れるわね」
「……うん」
説明はできない。でも、はっきりと分かる。
まだ、結論は出ない。言葉にもならない。ただ――何かが、おかしい。それだけが、確かだった。
◇◇◇
学園祭のざわめきは、いつもより少しだけ騒がしい。――いや、違う。騒がしいのは、人ではなく、空気そのものだ。
私が最初に違和感を覚えたのは、イアン様の様子だった。
「イアン先輩、よかったら……一緒に見て回りません?」
控えめで、けれど距離の近い誘い。声の調子も、仕草も、いかにも“女の子らしい”。
「、ああ、うん」
イアン様は一瞬、言葉に詰まったように見えた。視線がわずかに揺れ、戸惑いが浮かぶ。
……今、迷ってなかった?
私がそう思った直後、彼はすでに歩き出していた。まるで考える余地を与えられなかったかのように。
「……」
私は胸の奥に、ちいさな棘が刺さるのを感じる。
イアン様は、ああいう方じゃないはずだ。強く断る人ではないけど、あんなふうに応じる人でもない。
そして、その違和感は次で確信に変わった。
「ロメオ先輩、屋台、すごく混んでますね。よかったら……」
「……俺は――」
ロメオ様の声が、途中で途切れる。
私にははっきり見ていた。ロメオの唇が「いや」と動きかけたのを。
なのに。
「……いいよ」
柔らかすぎる返事。自分でも驚いたような、ぎこちない笑顔。
ロメオ様は歩き出しながら、ふと視線を走らせ――メロちゃんを見た。
必死で、焦りを隠しきれない目。
……助けを求めてる。
メロちゃんも、それに気づいたらしい。けれど、ロメオ様はすぐに視線を逸らしてしまう。
「リーナ……これ、変じゃない?」
「うん……おかしい」
そう答えた直後だった。
「ダンテ様、学園祭ですもの。少しだけ一緒に回りましょう?」
聞こえた声に、私は息を呑んだ。ダンテ様とは一緒に学園祭を回る、と約束をしていた。もうそろそろ、その約束の時間になるだろう。
声の方に目を向けると、女子生徒に話しかけられたダンテ様は硬直していた。拳を握りしめ、明らかに葛藤している。
「……少し、だけなら」
その言葉が出た瞬間、私の胸が凍りついた。
「……っ!」
けれど次の瞬間、ダンテ様は自分のこめかみを殴った。
「ダンテ様!?」
その鈍い音に、慌てて駆け寄る。私を見た女子生徒は慌てたようにその場を走り去っていった。
よろめきながらも、彼は歯を食いしばる。
「違う……今のは、俺じゃない」
顔色は真っ青で、額には冷や汗が浮かんでいた。ダンテ様を支えて、空き教室に入る。
その途端、ダンテ様は壁に手をついた。胸を押さえている拳は指先が白くなるほど力を込めているのに、肩は小刻みに震えている。
「……っ」
息を吐こうとして、うまく吐けない。
「ダンテ様」
名を呼ぶと、彼は一瞬だけこちらを見る。けれど、すぐに視線が泳いだ。
「……怖かった」
ぽつり、と零れた声は、普段の彼からは想像もつかないほど弱弱しかった。
「何が起きてるか、分からなかった。当たり前のこととして、断るつもりだった。今日は――」
一度、言葉を切る。
「今日は、リーナと回る約束だったから」
その言葉に、私の胸が痛んだ。
「なのに」
ダンテは、低く笑った。
「口が、勝手に動いた。相手を傷つけない言い回しで、場を壊さない笑顔まで、自然に作って」
歯を食いしばる。
「……まるで、“そうすることが当然”みたいに」
沈黙。私は、はっきりと言った。
「それは、ダンテ様の意思じゃありません」
彼が、ゆっくり顔を上げる。
「分かってる。頭では」
でも、と震える声で続けた。
「体は、俺のものだ。声も、表情も、全部俺のはずなのに――もう、信用できなくなった」
その言葉を聞いて、私はもう迷わなかった。彼の前に立ち、視線を合わせる。
「ダンテ様」
胸元から、そっと金のブローチを外す。
「これを、握ってください」
「……それは」
「あなたが、私にくれたものです」
ダンテ様の手を取る。まだ震えている、その手に、ブローチを押し当てた。
「あなたは言いました。『守る』と」
優しく、しかしはっきりと。
「今は、その言葉を、私があなたに返します」
数秒。ダンテ様の呼吸が、少しずつ落ち着いていく。
「……あ」
目を見開く。
「頭の中が……静かだ。引っ張られる感じが、遠のいていく」
完全に消えたわけではない。けれど、“引きずられる感覚”が薄れている。
ダンテ様は、ブローチを握りしめたまま、私を見る。
「……助かった」
その声は、心からだった。
「怖かったんだ……自分の意思が、意味を失うことが」
私は、彼の手を離さない。
「ダンテ様は、あなたです」
迷いのない声。
「あなたが嫌だと思ったことは、あなたにとって、嫌なことです」
彼の指が、きゅっと彼女の手を掴む。
「もし、また同じことが起きたら、俺は……君を裏切るかもしれない」
低く、震える声。ダンテ様はその不安を、真正面からぶつけてきた。
私は、その不安を受け止めて、一瞬も目を逸らさなかった。
「それでも」
静かに、しかし確固として。
「私は、あなたのそばにいます」
ダンテ様が息を呑む。
「あなたが戻ってこられる場所であり続けます」
指に、力を込める。
「だから、戻ってきてください。何度でも」
沈黙の中で、ダンテ様の目が揺れた。
「……熱烈だな」
小さく笑う。
「そんなこと言われたら、戻らない選択肢がなくなる」
ダンテ様は、私を傷つけるぐらいなら、自分から戻らない選択をするだろう。それが、私もわかっていた。
「それが、婚約者ですから」
私は、ほんの少しだけ微笑んだ。ダンテ様は、額に手を当てる。
「……ありがとう」
その言葉には、助けられた感謝と、縋ってしまった自己嫌悪と、それでも離れたくないという感情が、すべて混ざっていた。
少し離れたところで、様子を見守っていたメロちゃんが静かに言う。
「……ねえ。これ、たぶんロメオ様も同じよね?」
その言葉に、私は頷いた。
「うん。そうだね」
ダンテ様は、ブローチを握ったまま、深く息を吐く。
「……俺たちは、思ってるより危うい場所に立ってるな」
学園祭の喧騒が、遠くで鳴り続けている。けれど、この一角だけは、確かに“選び取った静けさ”があった。




