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【連載版】 ヒロイン大渋滞な世界は、一般人にはつらすぎる  作者: 榎本モネ


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15/19

15、学園祭イベントに、正解はない(前編)



「学園祭当日は、なんとか時間を作るから、一緒に回ろう」

「ふふ、嬉しいです」


 そんな、ダンテ様との会話はどこへ行ったのか。不安とともに期待もしていた、楽しみにしていた文化祭。その開始を告げる鐘が鳴った瞬間、私は――少しだけ、嫌な予感がした。

 理由は分からない。根拠もない。ただ、空気だけが、わずかに重い。


「……多くない?」


 隣で、メロちゃんが小さく呟いた。

 彼女の視線の先。正門から中央広場にかけて、人、人、人。例年より明らかに多い。来場者だけじゃない。生徒の密度そのものが、異様だった。


「こんなに詰め込む予定だったっけ」

「ううん。配置表では、もっと余裕があるはず」


 メロちゃんは、事前に渡されていた動線図を思い出すように眉を寄せる。私も同感だった。本来なら、人の流れはもっと分散される。中央に集中しすぎないよう、展示も出し物も、わざと散らしてある。


 ――なのに。人は、理由もなく、同じ方向に吸い寄せられている。

 理由は分からない。誰かが誘導しているわけでもない。ただ、気づけば皆、似たような進路を選んでいる。


「……歩きにくいね」

「ええ」


 肩が触れ合う距離。足を止めたくなくても、自然と速度が落ちる。

 楽しいはずの学園祭。なのに、妙に息苦しい。


 


 少し離れた魔術科棟の前で、ざわめきが一段階大きくなった。


「あ……」


 メロちゃんが気づいたのは、ほぼ同時だった。ロメオ様だ。

 魔術科の展示は簡易結界の実演と、魔道具の応用展示。人だかりができやすいのは、予想通りだった。けれど。


「……囲まれてるわね」

「うん。完全に」


 展示台の内側。ロメオ様は笑顔のまま、身動きが取れない状態だった。

 女子生徒が多い。質問、感想、感嘆の声。悪意はない。むしろ好意的だ。


「すごいですね!」

「これ、どういう仕組みなんですか?」

「近くで見てもいいですか?」


 ロメオ様は一つ一つに答えている。冗談も交え、軽口も忘れず。――いつもの彼だ。なのに。


「……あれ、長くない?」


 メロちゃんが、ぽつりと言った。

 確かに。本来なら、補助役の生徒が対応を引き継ぐ頃合いだ。実際、補助役はいる。後ろで、順番を待っている。

 ロメオ様自身も、離れようとしていないわけじゃないのが、余計におかしい。視線が、何度か外に向く。タイミングを測っているのが分かる。それでも、会話が途切れない。


「……魔術科って、忙しいわね」

「うん。でも……」


 メロちゃんは言葉を濁した。“こんなに”ではない。そう言いたいのが、伝わってくる。


◇◇◇


 中央広場のステージは、学園祭用の飾り付けでいつもより少し華やかだった。

 白い布と花飾り、簡易照明。その中央に立つ石柱だけは、例年と変わらない。


 学園創立記念日にも使われる、あの装飾柱。古い大理石でできていて、表面には蔦のような彫刻が施されている。

 水晶のような飾りが中央にはめ込まれていて、光を受けると少しだけ反射する。装飾としては控えめで、主張はない。ただ、写真撮影や告白のスポットとして例年賑わいを見せている。


「今年も、あそこが一番人集まるんだろうね」

「たしかに」


 メロちゃんの言葉に頷く。石柱の中央。透明なはずの飾りが、照明のせいか、ほんの一瞬だけ色づいて見えた気がした。


 その近くの中央広場の少し高い位置に設けられた案内台。その周囲だけが、異様に密度を増していた。

 人の流れが、そこへ、そこへと吸い寄せられている。立っているのは、生徒会長のウィリアム殿下だ。

 笑顔は崩していない。声も落ち着いている。来賓、教師、保護者、生徒――誰に対しても、同じ調子で対応している。

 ……対応している、はずなのに。彼の足元に、処理しきれない案件が溜まり始めているのが、遠目にも分かった。


「展示場所の変更は、第三区画です」

「迷子の件は、副会長へ」

「トラブル対応は、該当クラス責任者を通してください」


 隣では、アルフレッド様が休む間もなく指示を飛ばしている。メモを取り、確認し、振り分ける。その動きは正確で、無駄がない。

 ――完璧なはずだ。人の流れも、配置も、事前に何度もシミュレーションした通り。

 それなのに。人が、想定通りに動かない。

 質問は減らない。誘導しても、なぜか戻ってくる。「生徒会に聞けばいい」という流れが、止まらない。


「……おかしいわね」


 隣で、メロちゃんが小さく呟いた。そう、学園創立記念日の合同行事での反省を受けて、生徒会役員たちは業務の見直しをして、「処理役に回りすぎない」ことを徹底していたはずだ。


「生徒会、ちゃんと回ってるのに」

「ええ。だからこそ、よ」


 私は、ウィリアム様とアルフレッド様から、少し離れた位置に視線を走らせた。

 そこに立っているダンテ様は、人の流れから一歩引いた中央広場の端で、全体を見渡している。

 ――反省会で決めた通りに動こうとしている。その判断通りに動けるように事前準備をしていたし、周囲にも役割分担を伝えていた。ダンテ様も十分に理解していて行動しているはずなのに。


「ダンテ様!ここのことなんですけど」

「こっちで今、喧嘩が起きてて!」


 もちろん、すべてが予定通りに進むわけではない。でも、場の歪みだけが、じわじわと大きくなっているような気がした。


 誘導され、呼び止められ、流される。意志とは別の力で、立ち位置が決められていく。


「……ねえ、リーナ」


 メロちゃんが、私の袖を掴む。


「これ、なんだか……疲れるわね」

「……うん」


 説明はできない。でも、はっきりと分かる。

 まだ、結論は出ない。言葉にもならない。ただ――何かが、おかしい。それだけが、確かだった。


◇◇◇


 学園祭のざわめきは、いつもより少しだけ騒がしい。――いや、違う。騒がしいのは、人ではなく、空気そのものだ。

 私が最初に違和感を覚えたのは、イアン様の様子だった。


「イアン先輩、よかったら……一緒に見て回りません?」


 控えめで、けれど距離の近い誘い。声の調子も、仕草も、いかにも“女の子らしい”。


「、ああ、うん」


 イアン様は一瞬、言葉に詰まったように見えた。視線がわずかに揺れ、戸惑いが浮かぶ。

 ……今、迷ってなかった?

 私がそう思った直後、彼はすでに歩き出していた。まるで考える余地を与えられなかったかのように。


「……」


 私は胸の奥に、ちいさな棘が刺さるのを感じる。

 イアン様は、ああいう方じゃないはずだ。強く断る人ではないけど、あんなふうに応じる人でもない。

 そして、その違和感は次で確信に変わった。


「ロメオ先輩、屋台、すごく混んでますね。よかったら……」

「……俺は――」


 ロメオ様の声が、途中で途切れる。

 私にははっきり見ていた。ロメオの唇が「いや」と動きかけたのを。

 なのに。


「……いいよ」


 柔らかすぎる返事。自分でも驚いたような、ぎこちない笑顔。

 ロメオ様は歩き出しながら、ふと視線を走らせ――メロちゃんを見た。

 必死で、焦りを隠しきれない目。


 ……助けを求めてる。

 メロちゃんも、それに気づいたらしい。けれど、ロメオ様はすぐに視線を逸らしてしまう。


「リーナ……これ、変じゃない?」

「うん……おかしい」


 そう答えた直後だった。


「ダンテ様、学園祭ですもの。少しだけ一緒に回りましょう?」


 聞こえた声に、私は息を呑んだ。ダンテ様とは一緒に学園祭を回る、と約束をしていた。もうそろそろ、その約束の時間になるだろう。

 声の方に目を向けると、女子生徒に話しかけられたダンテ様は硬直していた。拳を握りしめ、明らかに葛藤している。


「……少し、だけなら」


 その言葉が出た瞬間、私の胸が凍りついた。






「……っ!」









 けれど次の瞬間、ダンテ様は自分のこめかみを殴った。


「ダンテ様!?」


 その鈍い音に、慌てて駆け寄る。私を見た女子生徒は慌てたようにその場を走り去っていった。

 よろめきながらも、彼は歯を食いしばる。


「違う……今のは、俺じゃない」


 顔色は真っ青で、額には冷や汗が浮かんでいた。ダンテ様を支えて、空き教室に入る。

 その途端、ダンテ様は壁に手をついた。胸を押さえている拳は指先が白くなるほど力を込めているのに、肩は小刻みに震えている。


「……っ」


 息を吐こうとして、うまく吐けない。


「ダンテ様」


 名を呼ぶと、彼は一瞬だけこちらを見る。けれど、すぐに視線が泳いだ。


「……怖かった」


 ぽつり、と零れた声は、普段の彼からは想像もつかないほど弱弱しかった。


「何が起きてるか、分からなかった。当たり前のこととして、断るつもりだった。今日は――」


 一度、言葉を切る。


「今日は、リーナと回る約束だったから」


 その言葉に、私の胸が痛んだ。


「なのに」


 ダンテは、低く笑った。


「口が、勝手に動いた。相手を傷つけない言い回しで、場を壊さない笑顔まで、自然に作って」


 歯を食いしばる。


「……まるで、“そうすることが当然”みたいに」


 沈黙。私は、はっきりと言った。


「それは、ダンテ様の意思じゃありません」


 彼が、ゆっくり顔を上げる。


「分かってる。頭では」


 でも、と震える声で続けた。


「体は、俺のものだ。声も、表情も、全部俺のはずなのに――もう、信用できなくなった」


 その言葉を聞いて、私はもう迷わなかった。彼の前に立ち、視線を合わせる。


「ダンテ様」


 胸元から、そっと金のブローチを外す。


「これを、握ってください」

「……それは」

「あなたが、私にくれたものです」


 ダンテ様の手を取る。まだ震えている、その手に、ブローチを押し当てた。


「あなたは言いました。『守る』と」


 優しく、しかしはっきりと。


「今は、その言葉を、私があなたに返します」


 数秒。ダンテ様の呼吸が、少しずつ落ち着いていく。


「……あ」


 目を見開く。


「頭の中が……静かだ。引っ張られる感じが、遠のいていく」


 完全に消えたわけではない。けれど、“引きずられる感覚”が薄れている。

 ダンテ様は、ブローチを握りしめたまま、私を見る。


「……助かった」


 その声は、心からだった。


「怖かったんだ……自分の意思が、意味を失うことが」


 私は、彼の手を離さない。


「ダンテ様は、あなたです」


 迷いのない声。


「あなたが嫌だと思ったことは、あなたにとって、嫌なことです」


 彼の指が、きゅっと彼女の手を掴む。


「もし、また同じことが起きたら、俺は……君を裏切るかもしれない」


 低く、震える声。ダンテ様はその不安を、真正面からぶつけてきた。

 私は、その不安を受け止めて、一瞬も目を逸らさなかった。


「それでも」


 静かに、しかし確固として。


「私は、あなたのそばにいます」


 ダンテ様が息を呑む。


「あなたが戻ってこられる場所であり続けます」


 指に、力を込める。


「だから、戻ってきてください。何度でも」


 沈黙の中で、ダンテ様の目が揺れた。


「……熱烈だな」


 小さく笑う。


「そんなこと言われたら、戻らない選択肢がなくなる」


 ダンテ様は、私を傷つけるぐらいなら、自分から戻らない選択をするだろう。それが、私もわかっていた。


「それが、婚約者ですから」


 私は、ほんの少しだけ微笑んだ。ダンテ様は、額に手を当てる。


「……ありがとう」


 その言葉には、助けられた感謝と、縋ってしまった自己嫌悪と、それでも離れたくないという感情が、すべて混ざっていた。

 少し離れたところで、様子を見守っていたメロちゃんが静かに言う。


「……ねえ。これ、たぶんロメオ様も同じよね?」


 その言葉に、私は頷いた。


「うん。そうだね」


 ダンテ様は、ブローチを握ったまま、深く息を吐く。


「……俺たちは、思ってるより危うい場所に立ってるな」


 学園祭の喧騒が、遠くで鳴り続けている。けれど、この一角だけは、確かに“選び取った静けさ”があった。



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