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【連載版】 ヒロイン大渋滞な世界は、一般人にはつらすぎる  作者: 榎本モネ


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14/19

14、事故は、噂を連れてくる



 それが起きたのは、準備期間も折り返しに差し掛かった日のことだった。学園全体が「まあまあ形になってきた」という、最も油断しやすい空気に包まれていた。

 問題の場所は、旧校舎と新校舎をつなぐ渡り廊下。展示物の一時置き場として使われており、各クラスの資材や装飾が、壁沿いに仮置きされていた。


 本来なら――本来なら、通路中央は空けておくはずだった。


「……誰よ、ここまで積んだの」


 私は思わず呟いた。木製パネル、看板、布装飾、魔術用支柱。それらが、想定よりも明らかに高く、しかも不安定に積み上がっている。


「これは……危ないわね」


 隣でメロちゃんも眉をひそめた。


「ええ。通る人も多いし、少し触れただけでも――」


 そのときだった。渡り廊下の反対側から、数人の生徒が大きな装置を運んできたのは。


「ちょっと通りますー!」

「幅ギリギリだから気を付けて!」


 嫌な予感が、確信に変わる。


「待って、そこ――!」


 私が声を上げるのと、装置の角が、積み上げられた資材の一番下に軽く触れたのは、ほぼ同時だった。


 ――ギシ。

 小さな音。でも、決定的な音。


「っ、下がって!」


 誰かが叫ぶ。

 次の瞬間、バランスを失った支柱が傾き、それに引っ張られるように、上のパネルが――


「メロちゃん!」


 彼女は、ちょうどその真下にいた。一瞬、動きが止まったのが分かった。理解が、ほんの一拍、遅れた。


 ――駄目!

 そう思った瞬間。


 銀色の影が、横から飛び込んだ。


「――っ!」


 ロメオ様だった。身体ごとメロちゃんを抱え込み、自分が覆いかぶさるように滑り込む。


 ――ドンッ!!


 鈍い音。木材が床に叩きつけられる衝撃。


「メロちゃん!!ロメオ様!!」


 私は反射的に駆け寄った。資材は、完全に崩れ落ちていた。その下にいるはずの二人の姿は――


「……っ、だいじょうぶ……?」


 ロメオの声が、かすかに聞こえた。彼の腕の中で、メロちゃんは呆然と目を見開いている。


「……ロ、メオ……さ、ま?」

「ほら、動ける?指、何本――」


 そこで、ロメオ様の言葉が途切れた。


「……っ」


 彼の肩から、赤いものが滲んでいる。


「血……!」


 私の声に、周囲がざわつく。


「誰か、治療を!」

「担架を呼んで!」


 生徒たちが慌てて動き出す中、メロちゃんだけが、動かなかった。

 ――いや、動けなかった。


「……なんで……」


 震える声。


「なんで……魔術、使わなかったの……?」


 ロメオ様は、少し困ったように笑った。


「だってさ……距離、近すぎたんだよ」

「……っ」

「詠唱してる間に、君に当たると思って」


 それは、あまりにも当たり前の理由で。あまりにも、ロメオ様らしくない判断だった。


「……ばか」


 低い声。


「……ばかじゃないの……!」


 メロちゃんは、ロメオ様の胸元を掴んだ。


「あなたは魔術師でしょう!?」

「うん」

「自分で何とかできたでしょう!?」

「まあ……たぶん?」

「なのに……っ」


 声が、震えた。


「……私のせいで……!」


 その言葉と同時に、彼女の瞳から、堪えきれなかった涙がこぼれ落ちた。


「違うって」


 ロメオ様は、痛みを堪えながらも、静かに言った。


「君がそこにいたのは、偶然だ」

「でも……!」

「それに」


 彼は、ほんの少しだけ、真剣な目をした。


「メロディが無事だった。それで十分だよ」


 その瞬間。メロちゃんの感情が、完全に決壊した。


「……っ、勝手に……!」

「え?」

「勝手に判断して! 勝手に怪我して!」


 涙が止まらない。


「そんなの……ダメ……!」


 私は、その光景を、息を詰めて見守ることしかできなかった。

 ロメオ様は、しばらく黙っていたが――やがて、そっと、メロちゃんを抱き寄せた。


「……ごめん」


 短い言葉。


「でも、後悔はしてない」


 メロちゃんは、彼の胸に顔を埋め、声を殺して泣いた。

 学園祭準備の喧騒の中、倒壊した資材の山の横で。その光景は、あまりにも場違いで、それでいて、誰も目を逸らせなかった。


◇◇◇


 倒壊した資材が片付けられ、渡り廊下にようやく人の通りが戻り始めたころ。

 けれど、空気だけは戻らなかった。

 ひそひそとした声。視線。必要以上に距離を取る動き。


「……見た?」

「ロメオ様が……」

「メロディ様を、かばって……」


 言葉は断片的で、正確ではない。けれど、噂というものは、正確さを必要としない。


 私は少し離れた場所から、その様子を眺めていた。

 ロメオ様は応急処置を受け、肩に包帯を巻かれている。大事には至らなかったが、「軽傷」と言い切るには、少し痛々しい。


「……大げさだなぁ」


 そう言って笑おうとする彼に、周囲の生徒は、どう反応していいか分からず視線を泳がせていた。

 ――“誰かを庇って怪我をした攻略対象”。その構図が、無意識に、場の空気を変えている。


 そこへ、規則正しい足音。


「状況は把握した」


 ウィリアム殿下だった。その後ろには、数名の教師と生徒会役員が続いている。……ダンテ様もいた。

 一瞬で、場のざわめきが引いた。


「倒壊の原因は、資材の仮置き方法と動線管理の不備だ」

「展示物の一時保管は、即刻見直します」

「準備エリアは再区分だね」


 感情を挟まず、淡々と。それが、かえって事態の重さを際立たせていた。


「怪我人が出た以上、これは“事故”では済まされない。学園祭本番に向けて、同様のリスクはすべて洗い出す」


 教師の一人が、厳しい声で言う。――つまり。準備段階での“ゆるさ”は、ここで終わり、ということだ。


「ロメオ」


 ダンテ様が、彼の前に立つ。


「無茶をしたな」

「否定はしないよ」


 ロメオ様は軽く肩をすくめたけど、その仕草が、いつもより少しだけ鈍かった。


「でも……結果的に人命優先の判断だった」

「今後は必ず周囲に声をかけろ」

「了解」


 短いやり取り。だが、その様子を見ていた生徒たちは、それぞれに、違う解釈を持ち帰っていく。

 噂は、もう止まらない。


◇◇◇


 医務室の前。人が引いたあと、メロちゃんは、壁際で一人、俯いていた。


「……メロちゃん」


 声をかけると、彼女はゆっくり顔を上げた。


「……リーナ」

「大丈夫?」

「……うん。身体は」


 でも、と続ける声が、少し詰まる。


「……私、冷静だったはずなのに」

「うん」

「まさか、あんな……」


 言葉を探して、彼女は視線を落とした。医務室の扉の隙間から、ロメオ様がこちらを気にしているのが目に入る。だが、近づいてはこない。

 ――これまでの無遠慮な行動ではなく、意識せざるを得ない関係になったんだと思う。


「……さっきは、怒りすぎたかな」

「怒るのは、自然だと思う」

「でも……」


 メロちゃんは、唇を震わせている。感情を抑えられていないのだろう。小さく息を吸う。

 言い訳も、軽口も、なかった。ただ、事実として。ロメオ様は、メロちゃんを庇った。魔術を使わずに。

 それだけで、関係性は変わってしまう。


 しばらくして、意を決したようにロメオ様が医務室の扉を開け、近づいてきた。私は静かに、その様子を見守る。


「……その、さ」

「なに」

「……怒ってる?」


 メロちゃんは、一瞬迷ってから、首を横に振った。


「……怒ってるのは、あなたじゃなくて」

「うん」

「……状況、かな」


 ロメオ様は、少しだけ安心したように息を吐いた。


「それなら、いい」

「よくはないけど」


 声はもう震えていなかった。

 二人の間に流れる空気は、まだ名前のつかないものだったけれど。少なくとも、“何もなかった頃”には、戻れない。


◇◇◇


 ――そして、その日の帰り道。私は、いつもより視線を集めていた。


「……ねえ、聞いた?」

「フィオリーナ様が……」


 背後から、囁きが聞こえた。


「メロディ様のこと、邪魔に思ってたって」

「わざと、あの資材を……」


 ――来た。一瞬、足が止まりそうになるのを、意識して踏みとどまる。

 視界の端で、数人の女子生徒がこちらを見て、慌てて顔をそらした。その仕草が、逆に答え合わせみたいで、少し笑えてしまう。


「ロメオ様と、仲良さそうだったし」

「邪魔だったんじゃない?」


 事故の原因。管理の不備。教師と生徒会の公式見解。そんなものは、噂の前では意味を持たない。

 必要なのは、“物語を悪い方向に動かした存在”。そして私は、あまりにも、悪役令嬢に都合がいい。

 制服の胸元で、ブローチが静かに揺れた。今日は、まだ何も語らない。


「……リーナ」


 メロちゃんが、心配そうに声をかけてくる。


「大丈夫?」

「うん。想定内」


 想定していたからといって、平気とは限らないけれど。メロちゃんは、きゅっと唇を噛む。


「私、否定してくる」

「やめて」


 即座に言った。


「今、メロちゃんがそれをやると、余計に燃える」

「でも……!」

「大丈夫」


 メロちゃんは納得していない顔だったけれど、それ以上は言わなかった。その代わり、ぎゅっと拳を握りしめている。

 少し離れた場所で、ロメオ様がこちらを見ていた。視線が合うと、彼は一瞬だけ眉をひそめる。

 ――彼は、察している。でも、だからこそ、何も言わない。

 ロメオ様は噂を壊せる立場にいない。そして、彼自身が動けば、さらに周囲にとって都合のいい物語が出来上がるだろう。


「……本番は、ここからね」


 学園祭。告白。感情の爆発。その舞台の前で、私はすでに“疑われる側”に立たされている。

 噂は、準備段階にすぎない。本番は、学園祭当日。視線も、誤解も、悪意も、すべてが一気に噴き出すだろう。


 私は背筋を伸ばし、前を向いた。

 ――ダンテ様の婚約者として、逃げるつもりはない。


 学園祭は、すぐそこまで来ていた。


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