10、善意ほど、厄介
最近、学園の空気が、明らかにおかしい。
朝、校門をくぐると、人の流れがわずかに歪む。
廊下を歩けば、視線が一瞬集まり、すぐに逸らされる。
ひそひそ声は、私が近づいた途端に止まる。
……うん。
これはもう、気のせいじゃない。
騎士団長の息子であり攻略対象者でもあるダンテ様の婚約者という、非常に面倒な立場にいるとはいえ、昨日も今日も、誰かを罵倒した覚えもなければ、婚約者の立場を盾に何かを強要した覚えもない。
そもそも、そんな度胸はない。
なのに、だ。
「近づくと、居心地が悪い」
「理由はわからないけど、怖い」
そんな曖昧で、しかし確実に私を悪者にする感情だけが、学園中に薄く広がっている。
……なぜなんだ?理由がわからない。
「やあやあ」
振り返ると、そこにいたのはロメオ様だった。
銀髪はいつも通り整っているのに、目の下にはうっすらと隈がある。
「おはようございます……?」
「うん、おはよう。でさ、聞いて。昨日一日でね」
彼は、人差し指と中指を立てた。
「通知、23件」
……なるほど?
「……それ、異常じゃないですか?」
「異常だよ、完全に」
その背後から、ひょこっと顔を出したのがメロちゃんだった。
「ロメオ様、何か心当たりがあるんですか?」
ロメオ様はぐっと言葉に詰まる。
……あ、これ。
かなり嫌な予感がする。
「えっと……何が起きてるんです?」
私がそう尋ねると、ロメオ様は微妙に視線を逸らした。
……はい決定。ぜったい碌でもない。
◇◇◇
その日の放課後。
私、ダンテ様、ロメオ様、そしてメロちゃんは、いつものカフェに集まっていた。
議題はひとつ。「ブローチの通知、多すぎ問題」
「前提としてね」
ロメオ様が魔力を使って空中にざっと魔法陣を書きながら説明する。
「フィオリーナのブローチには“自動威嚇”機能がある。悪意を感知したら、相手に圧迫感を返す仕組み」
「それ自体は聞いています」
私の言葉に、ダンテ様が腕を組んだまま頷く。まあ、ダンテ様からのプレゼントだし、当然ダンテ様も把握している。
「問題はさ、その悪意の判定が、時間経過で緩んできてたこと」
私は思わず眉をひそめた。
「緩む……?」
「うん。もともと安全装置を何重にもかけてたんだけど、魔術って時間が経つと緩みがちなんだよね。
そもそも、力を籠める石が小さかったから、かけられる術自体が弱かった。それでも制御装置としての魔術を重ねて、無理やりバランスを取っていたんだけど。
でも、その制御が、石が小さすぎて、思ったよりも早めに緩んじゃった」
さらっと、とんでもないことを言われた気がする。
「結果どうなったかっていうと」
ロメオ様は、肩をすくめた。
「嫉妬、不安、焦り。そういう“小さな強めの感情”にも反応するようになってた」
「それで……?」
「過剰反応で威嚇が発動。発動したら僕に通知が来る仕組みだから――」
昨日一日で23件。
私は、そっと天井を仰いだ。
「……それ、私が何かしたみたいに見えません?」
ロメオ様とメロちゃんが同時に目を逸らす。
ダンテ様のこめかみに、うっすらと青筋が浮いた。
「それで?」
ダンテ様が低い声で促すと、ロメオ様は一瞬だけ居住まいを正した。
「うん、制御のロジックを変えるから、ちょっとブローチ貸してくれる?
相性のいい石も持ってきたから、全体制御用の魔術を追加する」
製作者が修理してくれるなら、それに越したことはないだろう。
私は素直にブローチをロメオ様に渡した。
「どんなロジックなんだ?」
「うーんとね、今まではそれぞれの機能にそれぞれの制御をかけてたんだけど、今回は制御だけに割り振った魔術を追加するから、上辺を押し詰めるんじゃなくて、根本をがっつりと、みたいな」
どうしよう。ロメオ様の説明が何もわからない。
そっとメロちゃんに目を向けると、メロちゃんも私と同じ顔をしていた。
ダンテ様と魔術論議をしながらも、その手元ではいくつもの魔法陣が展開され、ブローチが修理されている。
……ケラケラ笑って会話をしながら高等魔術を行使する魔術の天才が言うロジックを理解するのは、難しそうだ。
◇◇◇
調整自体は、その場で終わった。
威嚇機能は大幅に制限され、明確な敵意や害意がない限り、反応しない。
これで、変に通知が大量に届いたり、周囲を威嚇しまくったりすることがなくなったはず。
しかし、数日後。
威嚇が弱まった今も、以前に植え付けられた違和感だけは、消えずに残っていた。
「フィオリーナ様って、何もしてないのに圧がすごいんだって」
「近くにいると、後ろめたい気持ちになるって」
「やっぱり、婚約者の立場で上から見てるんじゃない?」
「恋のライバル役でしょ、それ。悪役だよ悪役」
そんな共通認識が、出来上がっていた。
やっぱり、噂はねじ曲がってしまうらしい。
「私、誰にも何もしてないのに……」
「おつかれ」
がっくりと肩を落とす私を、メロちゃんが慰めてくれた。
誰も責任を取らない噂は、いちばん都合のいい人間を、悪役に仕立て上げる。
どうやら私は、「悪役令嬢」役に、正式キャスティングされたらしい。
……笑えない。
◇◇◇
さて、ゴリラたちに悪役令嬢として認識されたことを自覚した後の、とある昼休み。
何気ない調子で、ロメオ様が言った言葉で、空気が凍った。
「いやー、昨日の13時23分とか、授業中に絡まれてたみたいだねぇ」
「……え?」
私は思わず、箸を止める。
「通知、来てました?」
ロメオ様は、きょとんとした顔をした。
「いや?通知は来てないよ」
「じゃあ、なんで知ってるんですか?」
すると彼は、さらっと言った。
「ブローチの記録にアクセスできるようにしてあるから。その蓄積された魔力波形を、昨日の夜まとめて読んだんだよね」
一瞬、世界が止まった。
「……はい?」
「ほんと、面白い日常だね」
満足げなロメオ様の言葉に。
「は?」
私、ダンテ様、メロちゃんの声が、綺麗に重なった。
◇◇◇
「えーと、この間ブローチを修理したしょ?制御機能を追加して、一緒に威嚇機能も組み直した。
“明確な悪意”にしか反応しないように、判定基準を再設定。ついでに、威嚇も弱めた」
それを聞いて、私は少しだけ安堵した。
……が。
「威嚇機能を弱めた代わりに、別の方向でバランスを取る必要があったから、別の機能を追加しておいた」
嫌な予感しかしない前置きが来た。
「別の機能、ですか?制御とは別に?」
「うん」
ロメオ様は、にこっと笑う。
「“反応しなかった感情”を、内部的に蓄積する仕組み」
「……それって」
メロちゃんが、ゆっくり首を傾げた。
「記録、ですよね?」
「うん」
「それ、私たちに説明しました?」
「え?」
ダンテ様と私は、同時にロメオ様を見る。ロメオ様はきょとり、としていた。
「説明……は、してないかも」
「してない、じゃなくて」
ダンテ様の声が、静かに低くなった。
「“誰にも言わずに”追加したな」
「いやー、細かい仕様かなって……」
「細かくない」
三人の声が、綺麗に重なった。
その後は、言うまでもない。
「勝手に追加して、勝手に見てるんですか!?」
「便利でしょ?」
「便利以前の問題です!」
カフェの個室は、一時的に修羅場と化した。
当たり前だ。まさかブローチが盗撮・盗聴のような道具になっているだなんて思いもしなかった。
ただ、ロメオ様の話をまとめると、魔力波形を記録しているだけで、周囲の様子を記録するカメラ機能や音声を録音する機能はないらしい。
本人は完全に善意で追加したのだから、一番厄介だ。私に何かあったら、あとから証拠とかにできるように、と思って追加したらしい。
悪意がないぶん、止める理由を理解しづらい。
「君の周りでわざと噂話してる子の魔力波形も可視化できるよ!この魔力波形をもとに、問い詰めたりする?」
「やりません」
「それ、もっと面倒なことになるから、絶対に可視化するな」
「え、でも真実だよ?」
最終的に。
記録機能は厳重に制限され、とても強い感情の揺らぎや魔力波形を感知したときだけ記録するように調整してもらった。
「この人に近づくと記録される、ほかの人に監視される、なんてことが知られたら普通、その人を避けます。さっき、ダンテ様が『面倒なことになる』と言ったのは、そういうことです。
守るための魔術が、守る対象を孤立させたら意味ないですよね」
「……ごめんなさい」
メロちゃんに訥々と詰められているロメオ様。しょんぼりしているロメオ様に、ちょっと申し訳なくなってしまう。
「私のことを思って、機能を追加してくれたことは嬉しいです。
でも―――」
「お前が良かれと思ってやってくれたことはわかってる。
でも、それによってどんな影響が出るのか、までは想像できてなかっただろ。
お前が自由人で愉快犯なのはわかってるが、友達に何か悪いことが起きるかもしれない、ということぐらいは、頭に入れておけ」
ダンテ様は、はあ……とため息をつきつつ、「とはいえ、リーナを守るために、手を貸してくれてありがとう」とロメオ様の肩を叩く。
ロメオ様はほっとしたような表情を見せて、次にメロちゃんを見た。
「メロディ……」
「次は必ず相談してください」
「うん、メロディに相談する」
「約束ですよ」
もう、と言っているメロちゃんに、「あれ?」と思った。そっとダンテ様を見ると、彼も二人の様子を見て「おや?」という顔をしている。
私はダンテ様と視線を合わせる。どうやら、同じことを考えているらしい。
こうして私は、友人が知らぬ間に春の空気を漂わせている中、
何もしていないのに、順調に「悪役令嬢」としての実績を積み上げていくのだった。




