座敷童物語
昔、とある田舎に武士の今中佐十郎という男と、その妻の鷹子という女がおった。
佐十郎は身分は低いながらも腕っぷしのある武士で、何よりも妻想いであった。
その佐十郎の妻である鷹子も気立てが良く、かいがいしく夫を支えて、また人前では夫を立てる女であった。
2人は貧しいながらも仲睦まじく暮らしていたが、ある日から急に佐十郎が主に取り立てられて生活も豊かになり、家庭が明るくなった。
佐十郎も鷹野もこれは不思議であると首をかしげていたが、思い当たる節があった。
「ああ、きっと座敷童が来てくださったのだろう」
「ええ、そうに違いありませんとも。あなたの日頃の良き行い、頑張りを見て下さっていたのです」
さて、今中家に舞い込んだ幸せの正体は実のところはどうかと言うと、座敷童の仕業に相違なかった。
座敷童は数々の家を渡り歩いてきたが、人は裕福になると傲慢になるものだから、その度に彼女は
「この家はもうおしまいです」
とだけ言い残して家を出て行ってしまった。
座敷童が家にいる間は幸運に恵まれるが、一度出て行ってしまえばそれまでの幸運が嘘のように貧しくなってしまうのだそう。
此度も座敷童は一つの家、今中家に目を付けたわけだが、この夫婦はどれほど裕福になろうとも驕ることはなく、神仏への感謝と夫婦間での感謝を忘れることはなかった。
座敷童はこの夫婦の事を大層お気に召し、末永くこの家で己の力を使い、幸せにしてみせようと意気込んでいた。
そしてますます佐十郎が武勲を上げて、その名が通り始めた頃、冬の頃であった。
「私はこれより戦に行かねばならぬ」
「いつお帰りになるのですか?」
「分からぬ。しかし、この戦で武勲を上げた暁には更なる昇進を主殿が約束してくださっている。決して過ちが許されぬ戦である」
「そうですか。幾何の間でしょうが、あなたがいない時間というのは、私にとっては永遠のようなものです。どうか早く帰ってきて、そのお顔を見せて下さい」
「相分かった。その約束、決して違えはしない」
それだけを言い残して佐十郎は家を出ていった。
日ごろの鍛錬、そして座敷童がついている彼は野を駆け、山を登り下り、縦横無尽の活躍を見せた。
矢を放てば必中、刀を振るえば二の太刀はいらず、向かってきた刀を舞うように避けて見せた。
その姿を見た敵方の武士が
「ああ、これは幻だろうか。生きているうちに武神の類と相まみえることになろうとは」
と賞賛したほどであった。
さりとてここは戦場。
いくら佐十郎とは言え、座敷童の加護があろうと容易ではなかった。
そしてある時であった。
流れ矢がたまたま佐十郎に向かって飛んできて、たまたま鎧の間に入り、たまたま当たり所が悪く、息を引き取ってしまった。
これまでの武勲とそのあっけない最期は後の世にも歌になるほどであったが、それは世間の話である。
妻の鷹子は佐十郎が帰ってくるのを首を長くして待っていた。
夫が戦死したという知らせを聞いても信じず、その亡骸を見るまでは信じまいと心に決めていた。
しかし、佐十郎の遺体はいつになっても帰ってこず、鷹子の悲しみは募るばかりであった。
そして月明かりが眩しい夜、とうとう彼女は悲しみのあまり鬼と化して野山を駆けずりまわるようになった。
その姿は恐ろしいと言うより、悲壮に溢れており、人々は哀れだと涙を流した。
こうして佐十郎は戦死、鷹子は鬼と化して今中家は滅びを迎えたのだった。
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幸運とはその一瞬を切り取れば幸運と呼べるのかもしれない。
しかし、佐十郎が昇進していなかったら?武勲を取ることに精を出さなければ?そうすればあの夫婦は末永く幸せに暮らせたのだろうか?
一時の幸運に惑わされず、生きることが出来たのだろうか。
そんな想いが座敷童の胸中に渦を巻いていた。
しかし、それは考えるだけ無駄であった。
第一に人は幸福を求める生き物である事、そして座敷童の在り方が人々に幸運をもたらすことだからだ。
決して彼女の在り方は変えられない。
では、どうすればいいか。
彼女は誓った。
争いのない世界を創ることを。
一時の幸福ではない、永遠の幸せをもたらすことのできる存在になるためには争いを排除しなければならない。
そう心に決めたのだった。
しかし、その後も世の中は飢饉、洪水、火災、地震と様々な災いに見舞われ、その度に人々は苦しみ、座敷童は胸を痛めた。
優しかった人も災いに遭えば心を荒ませてしまい、人が変わったようになってしまう。
そしてそれと同様に戦乱は人の心を壊していった。
その度になんとかしようとしてきたが、座敷童は無力だった。
彼女の力だけでは世の中を変えられない。
それでも諦めなかった。
今中家への贖罪だろうか、自らの在り方を証明するためであろうか。
分からない。
分からないが、彼女は必死に走り続けた。
こうして彼女はその後、命を燃やして平和な世界を望み、実現する方法を探したが、ついに見つからずに天命が尽きることになった。
しかし、彼女は自然とそれを悲しいとは思わなかった。
この夢を託せる相手に出会ったからである。
名を金森左衛門と申し、万人を救わんとする医者であった。
そして彼に座敷童は伝えた。
「きっと、争いのない世界を、人々に幸せを、きっとですよ」
「その願い、しかと受け取った。安らかに眠るがいい」
「人間のあなたがそう仰るなら安心して逝けます。だって私の大好きな人間だもの。きっと、きっと……」
その言葉を最後に座敷童は幸せそうに微笑んで目を閉じ、光に包まれた。
こうして彼女は大願を遂げることなく霊核のみとなったのだった。
お読みいただきありがとうございました。
近々連載開始予定の小説もよろしくお願いいたします。