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TIN   作者: SYU
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外伝小話 -渇望-

物心ついた時には孤児院にいた。

院には大きな桜の木が一本あったのだが、その満開の頃、生後3ヶ月ほどの俺は大木の根元に置き去りにされていたのだと、後に院長に聞いた。手紙はなかった。


季節は瞬く間にめぐり、気づけば俺は孤児院での最古参となっていた。

俺よりも大分後に院に来た子どもも、数年も経つと新たな家族のもとに旅立っていった。

俺に貰い手つかなかったのは、俺自身の内向的な性格のせいだったろうが、それ以外の要因があったとしたら、それは院長の態度によるものが大きかったと思う。院長は俺が他の子どもや外部の人間と交流するのを嫌がっていた。

面と向かってはっきりと言われたことは一度もないが、その声色、視線は、思えばあからさまだった。院の子ども全員で入る風呂も俺だけは別の時間だったし、新しくきた子どもに話しかけようとするタイミングで、院長は俺に用事をいいつけた。そんなことが積み重なり、俺は次第に他人と交流するのを避けるようになっていった。子ども特有の鋭さと繊細さはその気持ちをより頑なにしていった。


院長の視線を汲み取ってか、数人いた他の職員は、日常俺に深く関わることを避けていた。気づけばずっとそうだったのだから、正直そのことについてはなんとも思わなかった。職員は、俺にとって食事を、生活を整えてくれる人たち。そこに感謝はすれど、それだけだった。好きとか嫌いとかの気持ちが生じることはなかった。だけど、ただひとり、俺が6歳のときにやってきた女性の職員だけは、いつも俺のことを睨むようにしていて少し苦手だった。斎藤さんというその女性は、時折、俺に何か言いたげに口を開きかけ、つぐむということを繰り返していた。


ある夜、なかなか寝付けなかった俺は、深夜トイレに行こうとして院の廊下を歩いていた。すると、院長の部屋から明かりが漏れていた。こんな時間に、といぶかしくは思ったがそのまま通りすぎるつもりだった。それができなかったのは、俺の名前が聞こえたからだ。分厚い院長室の扉に挟まれて内容はほとんど聞こえなかったけれど、俺の名前と、身体、特別、伝えるべきだ、という単語が途切れ途切れ聞こえた。低く抑えるようにしているが、随分と激しい口調のその声はたしかに斎藤さんのものだった。俺はやはりあの人は苦手だな。と思った。


院に新しい子どもが入居した。ある朝、院の前に置き去りにされてたそうだ。自分の名前は言えるが、意思の疎通を測るにはまだ幼く、泣き虫でいつも何かに怯えているような子どもだった。俺は相変わらず周りとの交流を避けていたけれど、この子どものことは何となく気になって、職員や院長の目がないときに、時折世話を焼くようになった。子どももそれがわかるようで、すぐに俺に懐いた。弟がいたらこんな感じだったろうか。と思った。守ってあげなくてはとも思った。そうして3ヶ月が過ぎた頃、子どもの母親が、突然院を訪れた。

「生活が苦しくて、こちらにお預けした方がこの子も幸せだろうと思いましたが、やはり離れるのには耐え難かった」と、子どもの母親は言った。その後随分と長い時間院長と話し合って、子どもは母親のもとに戻ることになった。子どもは初め困ったようにモジモジとしていたが、母親に抱きしめられてぱっと笑ったあと、いきなりわんわんと泣き出した。嵐のような、激しい泣き方だった。


その姿を見たとき、突然頭の中が真っ白になった。今まで無意識に意識しないようにしていたある考えが泡のように浮かんでは弾け、浮かんでは弾けた。


「母さんは俺を捨てた。手紙も残さずに。」

「母さんは俺を捨てた。院長が俺を腫れ物のように扱うこと、多分同じ理由で。」

「母さんは───俺を愛していなかった。 」


頭の中がぐちゃぐちゃになって気がつくと俺は孤児院を飛び出していた。どこをどう走ったのか分からないが、気づくと俺は知らない場所にいた。黄昏時の河川敷。そこに体育座りして俯いていた。両膝がジンジン痛む。どこかで転んで擦り傷をこしらえたらしい。

俺は誰からも愛されていなかった。

ここから消えてしまいたい。

そんな考えが頭の中でリピート再生される。

日も暮れ切った頃、隣に気配を感じて仰ぎ見ると息を切らして汗まみれの斎藤さんが立っていた。彼女はそのまま俺の隣に腰を下ろした。


10分ほど経ったろうか、ふたりとも無言だった。独り言のように、自然に、俺はことばを零した。

「俺は母さんから…誰からも愛されてなかった。十数年、本当はずっと心の奥で分かってたんだ。それに、今日気づいた。俺はあいつを弟のように思っていたけど、それは多分あいつのことを俺に重ねていたんだ。俺は、あいつが羨ましくて羨ましくて、妬ましいんだ。」

別にまじめに聞いてくれていなくてもいい、答えが欲しいわけではなかった。

それでも彼女は随分考えたあと、

「私はあなたのお母さんのことを知らないし、無責任なことは言えない。……だけど、愛情はあったと思う。だってあなたは、春に置いていかれたのだから」

「あなたは冬の生まれだ。だけどあなたのお母さんは、あなたをすぐには捨てなかった。いくら院の敷地内とはいえ、冬に乳幼児を置き去りにしたら、発見がおくれたら、きっと死んでしまう。だけど気候が穏やかな春ならば…。きっとしばらくの間は大丈夫だと、考えたのだろう。それに、院長が言うにはあなたは発見された時、とても健康で、ふくふくとしていたそうだよ。…本当に愛がなかったら、多分そうはならないと思う。」

絞り出すように、ぽつりぽつりといった。瞳は俺を真っ直ぐに見つめていた。それまでの人生で一番誠実なことばだと思った。


斎藤さんに手を引かれて、ふたりで無言のまま院に帰った。

斎藤さんとちゃんと話したのは、この時と、彼女が訳あって院を離れるときの2回だけだった。最後のときも彼女は真っ直ぐに俺の目を見て言った。


「あなたは、今もこれからも、きっと人と違うことで傷つき苦労すると思う。だけどその個性と愛されないことを結びつけてはいけない。……わたしはあなたのこと、好きだったよ。」


そのことばの意味は分からなかったけれど、俺は強く頷いた。

そして、その時には言えなかったけれど、俺は斎藤さんが俺のお母さんだったらよかったと思っていたんだ。


***


《haitin》に来てから数ヶ月、久しぶりに昔の夢をみた。すっかり忘れていたが、いきなり何故だろうと考え思い至った。

里津師匠の眼差しは、少しだけ斎藤さんに似ている。懐かしい人を思い出しながら、俺は滝修行に向かった。

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