辰之進は何処?
辰之進さまのお住まいでもある道場は、浅草の外れの方にあります。
夏も近く今日は暑いですから、後で辰之進さまと一緒にドジョウでも食べましょうか?とお雪姐さんと仲良くお話しをしながら道場まで来たのですけれども……
……あら?今日は娘さん達の姿が見えませんね?
以前来た時は、若い娘さん達が道場の格子窓に鈴生りになっていたのですけど今日は一人もいない。
道場からは威勢の良い掛け声がするのでお休みって訳でも無さそうですけど……そうですか、これは辰之進さまが道場にいらっしゃらないってことですね……
取り敢えず道場にお邪魔して、辰之進さまのお爺さまに辰之進さまのことを聞いてみることに。
……あら、中に入ると以前わたしが来た時よりも熱い視線が……さすがお雪姐さんですね。皆さんポーッとしてらっしゃいますよ。特に八右衛門さまなんて顎が外れんばかりに驚いていらっしゃいますね。わたしが一緒にいますから近づきたくても近づけないみたいですけど……
「お前らッ!稽古に集中せいッ!」
辰之進の祖父の叱責が飛ぶと、みんなして慌てて稽古に戻った。
ハルと雪はそのまま道場の上座に通されると、稽古を見ながら三人で話しをしている。
「……そうですか……辰之進さまは御用があっていらっしゃらないのですね……」
「すまんのぅ……わざわざ来て頂いたのに申し訳ない。彼奴も何かと忙しくてのぅ……」
好々爺としたお爺さまは快くわたし達を迎え入れて頂き、ニコニコとお話しして下さっているのですけれども、何故か辰之進さまが出掛けている理由とか場所についてはのらりくらりとかわされてしまい、頑なにおっしゃっては頂けなかった。
これにはわたしもお雪姐さんもおかしいな?って、お互い顔を見合わせてしまったのですけれど、教えて頂けないのは仕方が無いですよね……
……八右衛門さまも知らないようですし……どうしましょう?
困って道場を見回していると、壁に香取大明神さまと鹿島大明神さまの掛け軸が吊るしてあるのが目に入った。
鹿島大明神さまはあまりご縁がありませんけど、香取大明神さまは以前に本所でお会いしたことありました。確かお年を召した神さまでお優さしかったはず……なら……
お雪姐さんに目配せをしてお爺さまのお相手をお願いして、その間にわたしはちょっと視線と意識をずらすと鹿取大明神さまに辰之進さまのことをお聞きしてみた。
予想通り気軽に対応して頂けたのですが、お古い神さまですので相変わらず難解なお言葉での返答で、詳しいことはよく分かりませんでした。
でも、どうやら辰之進さまはここの所、連日の様に朝早くから出掛けて暗くなるまで出ずっぱりらしく、帰って来たらお爺さまと何か話し込んでいるみたいだってことだけはわかりました。
そして今日は神田の方へ行っているみたい。御用と言っても遠方にずっとお出掛けではなくってご近所なのですね。
取り敢えずそれだけわかれば十分なので、お爺さまにはお暇のご挨拶をして、早速神田までお雪姐さんと一緒に探しに行くことにした。
「……それにしても、おハルちゃんはホントに神様とお話しできるんだねぇ……」
道を歩きながら雪は先程の道場での様子を思い出し、感心した様にハルを見つめている。
「はい。でも姐さんも見えてましたよね?」
他の姐さん方も、普段は見えにくい、そんなにお力の強く無い神さまであっても、わたしが神さまとお話ししている時とかは一緒に見えたりお声が聞こえたりするっておっしゃってましたから、お雪姐さんにも先程の神さまは見えていらっしゃったはずだ。
「アタシはね、まだ何となくしか分からないんだよ……」
その辺りのことは、今後お仙さんの下で修行していって身につけていくらしく、「おハルちゃんに追いつける様に頑張るよ!」って言われてしまって、ちょっと気恥ずかしくなった。
……お仙さん、お雪姐さんのことも神さまのお座敷要員にするおつもりですね……
「そう言えば……」
神さまのお話しで思い出しましたけど、指輪をお返ししなければ、と胸元から出そうとしたら、
「それはおハルちゃんにあげたものだから貰っといてよ。アタシにはもう必要無いしね。……それにおハルちゃんが持っていれば、深雪姉さんにも会えるんでしょ?」
おハルちゃんのお陰だよ。って笑顔でそうおっしゃられましたけど……あの優しいお顔と鬼の様な形相の深雪さまのお顔の両方が頭を過ってしまい、ちょっと複雑な気分になって返答に困ってしまった。
……わたしのお陰って言うよりも、わたしのせいよね……
「……しかし、ここはホントに賑やかで人も多いんだねぇ……」
お雪姐さんは江戸には長いこといるけど、出歩いてなかったから町中は珍しいらしく、目を輝かせて興味深そうに周りを見回している。
「これからは何時でも気軽にこれますよ」
って笑って答えると、
「でも……こんな人中で、お辰さんを探せるのかい?」
神さまにでも聞いて回るのかな?って、悪戯っぽく言われてしまった。
「いえ、別に急ぎでお会いする御用はありませんので……」
お会いしたいのは山々ですけど必死に探す気はあまり無かった。どうもお忙しそうですし、お邪魔をするのも悪いですから、正直、会えたらいいな、位の気持ちでここまで来たのだった。
「それにせっかくここまで来たのですから、最近流行りの佐柄木町の山藤にでも行って、しっぽくでも食べましょうよ」
前回のお仕事でお礼をたんまり貰ったから料理茶屋でも問題無い。
お雪姐さんの快気祝いも兼ねて行きましょう!わたし達が料理茶屋いくのも勉強ですよ!と、二人して神田川沿いを西に向かって歩いて行った。
今日のお雪姐さんの服装は、おタエさんのお着物を着ているからわたしと同じ様な黒っぽい格好だ。
お雪姐さんには明るい感じのお着物の方が似合うとは思いますけど、これはこれでとても良くお似合いですよね。二人連れ立っているとまさに芸者姉妹のような……
……周りの視線はみんな姐さんに釘付けですけどね……
暑いのでちょっと茶店に入って休憩していると、通り過ぎる男共がみんなしてお雪姐さんを見ていく。
でも、そこはさすが吉原で鳴らしたお雪姐さん。男共の視線なんか慣れたもので、華麗に軽くいなしていらっしゃる。
隣りに座るわたしはちょっと誇らしくって鼻高々だ。
男共の熱い視線を浴びながら気分良くお団子を食べて麦湯を飲んでいたら、次第に通り過ぎる男共の視線がわたし達の横の方にも注がれていくようになった。
えぇ、原因は分かってますよ。今し方、隣の席にいらした女の方ですよね。
……しかし、このお雪姐さんと張り合えるとは……
さぞやお美しい方なんでしょうね!とチラリとお姿を拝見したら……
お着物は小袖の身幅が最近の細身な物よりも少し太く、柄も花等をあしらっていたりと豪華な物だった。
最近では、どちらかと言うと控え目な渋い柄の方が好まれるので、そのお着物は全体的にちょっと古臭く感じた。
頭は最近では珍しい勝山髷で、簪の数も無造作に何本も刺している。
……そりゃ目立ちますよね……
これではまるで一昔前の遊女さんみたいだ。せっかくの美人さんなのにちょっと残念ですね……それにまた随分とお化粧も濃くって……ん?と、その横顔をよくよく見てみれば……
「え⁉︎あ……あのぅ……た、辰之進さまではいらっしゃいませんか?」
ハルの上擦った驚きの声に、ハッと気付いた彼女は慌てて横を向く。
そのまま顔を見合わせるとお互い固まってしまい、そこには気まずい空気が流れていた。




