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張見世越しに

 今の吉原に太夫たゆうはもういない。


 岡場所や宿場の台頭で吉原も昔に比べればずっと敷居が低くなった。

 お客さんも上級の武士や豪商が中心だったのが、今や下級の武士や庶民のための吉原だ。

 揚屋の制度も無くなり、気軽に妓楼へ上がれる時代に。

 

 浅雪姐さんはちょっと前なら太夫になれた程なのに、みんなと同じ店先の張見世で営業をしている。

 今回はそのおかげで楽に連絡が取れるので助かったけど、ちょっと複雑な気分だ。


「そんな訳で辰之進さま、よろしくお願いしますね」


 今一まだ納得していないってお顔の辰之進さまを衣紋坂で見送った。


 五十間道の曲がりくねっている場所まで行って暫く様子を見ていたけど、大門をくぐって右側にある四郎兵衛会所には寄らずにそのまま進んで中に入っていった。

 本当なら、女の場合はそこに寄って木戸札を貰わないと吉原から出て来れなくなってしまうのだけど……


 ……まぁ辰之進さまなら大丈夫よね……


 取り合えずわたしは日本堤まで戻って、茶屋に入り辰之進さまの戻りを待つことにした。




 念のためにお座敷に上がることも想定して辰之進さまにはお金を渡してある。一分金を三枚程。

 こんな大金を!っておっしゃってましたけど安くなったとはいえ吉原の揚代ならそんなものだ。これも必要経費です。

 でも本音は使っては欲しくないのよね……もし使ってしまったら堀さまと八右衛門さまに請求する経費はふっかけましょう。わたしの心の痛みは高くつくわよ!


 舟を使ってここまで来たとはいえ、それまでずっと動きっぱなしだ。

 さすがにお腹が空いたので、辰之進さまには悪いですけどお食事をしながら待つことにした。

 ここの茶屋のあんかけのお豆腐、美味しいです!ごめんなさい。




 辰之進さまは半刻もかからずに戻ってきた。


「お疲れ様です!ありがとう存じました。首尾はどうでしたか?」


 思ったより早く戻って来たので、嬉しい半面失敗したのかな?とちょっと心配になった。


「取り敢えず格子越しにだけどちゃんとお会い出来ましたよ。あと、ちゃんとおハルちゃんにって浅雪殿から受け取ってきました」


 ふぅ……良かった……


「……ですが……」


 どうやらあまり芳しくない状況だったらしい。



 まず辰之進さまは吉原に入ると真っ直ぐ浅雪姐さんのいるお店に向かい、浅雪姐さんを探したそうだ。


「お話しに聞いていた通り、淡く赤身がかった髪に左の涙黒子の美人なので、直ぐにそれとわかったりました」


 こう言ってはなんだけど、他の張見店の中にいる方々とは一線を画していました。ですって。

 

 むぅ……浅雪姐さんのことを褒められるのは嬉しいですけど、辰之進さまのお口からだとちょっと焼けちゃいます……


 浅雪姐さんも、手紙に辰之進さまの特徴を伝えてあったので直ぐにわかったらしい。


「……しかしおハルちゃん、私の事を手紙になんと書いていたのですか?」


 本来、将軍さまだろうが大名さまだろうが挨拶をしないのが吉原の遊女だと言うのに、頭を下げずに小声だけど、「主さんがお噂の辰之進さんでありんすか。お目にかかれてうれしうおざんす。どうぞ末永くハル坊を宜しくお願い致しんす……」と丁寧に挨拶されてしまったそうで、返答に困ってしまったそうだ。


 あら?別に変なことは書いていませんよ?わたしの大事な人ですってことを少しだけ仰々しく書いただけですよ?


 ウフフ。と笑って誤魔化すと、ため息を吐きながら……


「……まぁ、それは一旦置いておきますが……」


 お手紙に書いておいた、浅雪姐さんに嫌疑がかかっている件については既にご存知だったらしく、そのために、


「張見世中もお座敷の時も、常に楼主達の眼が光っていて、今は自由に身動きが出来ない状態であると仰っていたよ」


 張見世中の格子越しに話すなら、見張っている者達に声までは届かないので大丈夫だけど、怪しい様子を見せないように、普通にお客とやり取りをしている風に装ってくれと注意されたらしい。

 しかしそんなことを言われても初めて吉原へ来た辰之進さまはとても困ってしまったらしいけど、なんとかぎこちない笑顔で乗り切ったらしい。


 え!そんなことになっているんですか⁉︎


 思ったよりも深刻な状況になっていたことにとても驚いたのと、辰之進さまの頑張りに感謝した。


「そんな訳で、あまり込み入った話しは出来無かったのですが……」


 わたしにはとても感謝してくれたらしい。


「手紙を読んで、おハルちゃんが色々と奔走してくれているのを知って、とても有り難いとお礼を言っていたよ」

 

 お互い思い合っていて素敵だね。と言われちょっと気恥ずかしくなった。


「それでその手紙にあった、深雪殿にとって執着のある大事な物は浅雪殿自身にとっても大事な物であるらしく……」


 姐さん方のお母さんのお母さん、そのまたお母さんからずっと、代々娘へと伝わっている物があって、


「本来であれば深雪殿か浅雪殿の子に託したかった物なのだけど、深雪殿はもう叶わぬ身であるし、また浅雪殿御自身も恐らく叶わぬ身になるであろうと仰っていたよ……」

 

 なので渡すこと自体は問題無いのだけど、いざソレを辰之進さまに渡すにあたって、この場でもお座敷でも監視の目があるためにどうしたかというと、


「浅雪殿が細長い朱羅宇しゅらうの長煙管に火を付けて一服すると雁首に持ち替えて、格子越しにわたしへ吸口を向けてきてね……」


 遊女から格子越しに煙管を差し出されて、それを受け取る意味はさすがに辰之進さまもご存知だったらしく、お座敷へ上る気が無い辰之進さまはその煙管を受け取るのを躊躇していたら、


「お渡しいたしんすはキセルではござりんせん」


 煙管は一服だけしてそのまま返してくれればいい。

 そう言われたので恐る恐るその煙管を受け取ると、煙管の羅宇(らう)を通じて、辰之進さまの煙管を持つ手に小さな輪っかがシュッと通って滑り落ちてきたらしい。


 辰之進さまはその輪っかがわたしに渡したい物で有ると気付き、何も言わずに一服すると、そのまま煙管だけを返した。

 その煙管を受け取った浅雪姐さんはニコリと笑うと突然、


「アレ、わっち袖にされたでありんす。流石色男は違うでありんすな」


 わざとらしく他の張見世にいる者達に聞かせるように声をあげたらしい。

 するとそれを待っていたのかの様に方々の格子から煙管が飛び出してきて、驚き慌てて辰之進さまはその場を離れたのだと。




「それでコレを預かってきたよ」


  辰之進さまはわたしの手を取ると、大事そうにその輪っかを掌に置いた。


「コレはおハルちゃんに託すので好きに使って欲しいとの事だよ」


 去り際に浅雪姐さんをみたら、何もかも諦めたような菩薩のようなお顔になっていて、「おさればえ」と少し目元が潤む笑顔でそうおっしゃったらしい。


「しかし、大事な物だということは分かるけど、そのかねの輪はなんなんだろうね?」


 辰之進さまはご存知無いようだけど、わたしはコレをよく知っている。


 この輪っかは銀か何かの材質で、表面に小さい透明な石が嵌め込んである。

 前世では女性の宝飾としてお馴染みの「指輪」だ。

 おそらく結婚指輪なんだろう。


 そう言えばこの世界に来てから指輪を見たのは初めてだ。

 櫛や簪、着物に小物と女性を彩る物は色々あるけれど、指輪や腕輪、ネックレスとかの宝飾具は見たことが無かった。

 どこか遠くの他所の国にでも行けば有るのかも知れないけど、少なくともわたしの知っている範囲では見たことがない。


 その指輪をお持ちってことは、深雪姐さんや浅雪姐さんのご先祖さまってば、随分と遠くからいらっしゃったのかしら?きっと大事に受け継がれていたのね……


 ハルは自分の手に置かれている小さな指輪をジッと見つめ、それが段々と重くなっていくのを感じていた。

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