間話 辰之進、再びまいる その1
最近、八右衛門殿の様子がおかしい。
稽古に身が入らない有様で、時折り格下の者から良いのをもらってしまう事が度々見受けられた。
それに彼とは幼少の砌からの付き合いだが、他の者とは違ってわたしの事を異性としてでは無く、共に剣の道に励む同志として扱ってくれていたのだが……
最近の彼は時折り稽古後などに他の男どもと同じ様な如何わしい目付きでわたしを見る事がある。
まぁ、彼もそろそろ良い歳だ。多感な時期なのだろう。その内落ち着くであろうから暫くは様子を見ておこうと、その時は特に深くは考えていなかったのであるが……
ある日、祖父が藤井様宅に呼ばれ、帰るなりわたしを呼び出すと、「ちと、面倒な事になった……」人払いをして話し始めた。
なんでも八右衛門殿がとある吉原の遊女に入れ込んでしまい、その上、子を腹ました挙句にその遊女が亡くなってしまったのだと言う。
亡くなったのは最近の事で、八右衛門殿はその遊女に子が出来たと知るや、一緒になりたいと身請けの相談をお父上にしており、藤井家ではその件で大騒動になっていた矢先だったそうだ。
わたしはその手の事については疎いものではあるが、流石に遊女がどの様な仕事をしているか位は知っている。
「……しかして、その遊女が八右衛門殿の子を成したと言われましたが……」
方便ではないのでしょうか?本当に八右衛門殿の子でありましょうか?と尋ねたが、
「恥ずかしい話し、ワシもそっち方は修業不足での……」
なんでも好いた証にと、その遊女から「指」まで貰っていたとの話しで、八右衛門殿がお父上に誇らしげにその乾涸びた指を見せていたそうだ。
……遊女の指きり、心中立ては知っておるが、本当に指をお切りになったのであろうか?
それが虚偽の物かは別にしても、あの八右衛門殿が女に興味を待ちその様な事になっていたとは……最近の変わり様はその為であったか……と納得しかけたが、やはり今一つしっくりこない。
別段、四角四面な八右衛門殿を揶揄する訳では無いが、幼い時分からの彼を知っている身としてはどうにも腑に落ちない。
しかし色恋に疎いわたしでは当人同士の思いなど察する事も出来なければ、ましてや相手方が既に亡くなっているのであれば今更わかりようも無い。
そうそれに……
「しかし、既にその遊女は亡くなってしまっているのですよね?」
なら、亡くなってしまった遊女には悪いが、その話しはそこで終わりの筈であろう。何故面倒な事になったのであろうか?
「それがのぅ……その遊女が亡くなった後に、亡者となりて人を襲ったそうなのじゃよ……」
荒唐無稽で胡乱な話しではあるがの……と。
普段から生真面目で、冗談一つ言わない祖父がその様な事を言うなどと……驚いてしまった。
わたしは世事に疎い故知らなかったが、さる大店の主人が亡くなってしまったのだが、その死因と言うのが女幽霊に殺されてしまったのだと言う。そしてその幽霊と言うのが例の遊女であったと言われた。
その店の主人というのが藤井家と昵懇な間がらであり、そもそも八右衛門殿が吉原へ初めて上がる際にはその主人の口利きで参ったそうだ。
「八右衛門殿の件で、家中が揉めている最中の出来事であった故、藤井様は大層驚き、困惑なさったそうだよ」
なんでも藤井家とその店の主人とは様々な思惑が絡む仲であったらしく、その件が表に出れば最悪お家のお取り潰しも考えられるそうだ。
幽霊なぞとバカにして放っておけば、あの幽霊の正体はなんだ?何故その主人が殺されたのだ?と、口さがない人々の噂に上がり、いずれその件が露見する恐れがあるらしい。
その為、慌ててその店の者達には口止めをし、事態の収拾を図っているのであるが未だ妙案は浮かばず、今や藤井家では蜂の巣をつついた様な騒ぎに発展しているのだと。
「藤井様はな、余計な事をしてくれたと大変に御立腹で、八右衛門殿の勘当まで検討されておるそうでな……」
その為、彼の祖父から、不憫な孫の為に何とかしてくれないものかと相談を受けたのだと言う。
「……それはまた大変な事態になっておりますな……」
わたしでも頭を抱えたくなる様な状況だ。当人達にとっては堪らないだろう。
しかし何故その様に大変な事をわたしに?と尋ねると、申し訳なさそうな顔で、
「ほれ、お主には神仏と交わる事が出来ると言っておる、女子の友がおったじゃろ?この前ここに来た、あの妙に肝の座った子じゃよ」
流石にワシも幽霊なぞ、いるかもどうかも分からんモノをどうこう出来るとはおもっとらんが、幽霊も神仏も似たようなモノであろう?と。
以前はわたしも、鰯の頭程にしか考えていなかったが、流石にあれだけ色々なモノを見せられ、先達てはとうとうわたしもその片鱗に触れさせられてしまったその後では、その幽霊とやらも一笑に付す訳にはいくまい。
「何やら不思議な力を持つと言うではないか。あの子であれば如何様にかしてくれるのではないかと考えてな。あの子には八右衛門殿については色々と思うところが有るかもしれんが、事は急を要するのだ……」
すまぬがあの子に頼み、八右衛門殿も含め、藤井家一同を救っては貰えまいか。と、深々と頭を下げられてしまった。
祖父もまた随分と乱暴な物言いをなさるものだと思ったが、わたしもその話しを聞いていて、この面倒で胡乱な件であっても、あのおハル殿やその周りにおられる女傑達であれば……と思わずにはいられなかった。




