珍客
基本、お座敷に来て芸者を上げるお客さまってのは遊びに来るのが目的なので、程度の差はあれどみんな楽しそうにしているものなのだけど、このお客さまに限ってはそんな様子が全くなかった。
苦悩に満ちた、苦虫を噛み潰したような顔で座っていらっしゃる。お若そうだけど生気がない。見れば目の下のクマが酷くってだいぶお疲れの様子だ。
不機嫌そうなお顔が怖くって、思わず姐さんの少し斜めに隠れるようにして座る。でも姐さんは、
「お初にお目にかかります。鶴吉と申します。あたしをご指名との事でありがとう存じます」
なんでも無いって顔で普通にご挨拶。むしろその目は笑っている。
お侍さんはわたしのことをジロリと睨みつけると姐さんの方へと視線を戻し、「呼んだのは其許だけの筈だであるが……」思わずビクッとしたのだけど、「この子はあたしの妹芸者になりますので景物みたいなものですよ」って笑い返している。
怒られやしないかこっちはヒヤヒヤだ。
取り敢えずそれで納得してくれたのか、それ以上は何も言わずに黙っていたのだけど、暫くするとゆっくりと口を開き、
「……遊女や芸者という者は、座敷での事は他言を貫くと聞いたが、其許もそうであろうか……」
……あら、いきなり随分なご挨拶ですね……
いったい何しに料理屋へ来たのかと問い詰めたくもあったけど、怖いのと怒られるのが分かりきっているので、もちろん黙っている。
それに対して姐さんは特に気にする様子も無く、
「そりゃ花街ってのは浮世を離れて夢を見て頂く場所になりますからね。ヤボな事はいたしませんよ」
二コリと笑いかける。
お侍さんは一旦目を閉じて天井を見上げ、深いため息を吐くと淡々と語り始めた。グチ混じりに。
「某は寺社役付同心、渡辺源右衛門と申す……」
あら、お役人さまでしたのね。
大丈夫。姐さんに言われてちゃんと勉強済。
寺社奉行ってのは町中を見ている町奉行とは違って、お寺や神社を管理するところなのよね。
「某の職務は知っておろうが、主に寺社内の揉め事などに対応するのであるが…… 此度起こった面妖な件は全く意味不明、理解不能な……」
なんでも今、奉行所ではおかしな案件が上がってきており、対応出来る者が誰もおらず大混乱なんだそうだ。
寺社奉行は町奉行とは違って与力同心といった幕府の職員がいないので、お奉行さまであるお大名さま直接の家臣が動くことになるから人が少なくって、この様な予想外の案件がくると、ことさら大変らしい。
そんな案件は誰も対応したがらないのは当然で、たらい回しにされた挙句、他の者より少々長く江戸勤めをしているのでこちらの世情に詳しかろう、また若ければ体力・気力もあるだろうからって、このお侍さん、お前が適当だと白羽の矢が立ってしまったのだと。
上役からも寺社側からも、まだかまだかと突かれて胃が痛い思いをしてるってさ。
……下っ端役人は大変なんですね……今の状況ではとてもお元気そうには見えませんよ……
「他の者に対応出来ない事柄を某に出来ようものか……だが与えられた勤めであるので、ただ手をこまねいている訳にもいかぬ……」
何とかしようと取り敢えず色々な文献に当たるもさっぱりだったそうで、それでは、と方々に聞いて回って情報を得ようとしても大っぴらに出来る事柄でも無いから断念し、ならば同じく寺社奉行職にあった者ならば何か知っているものが居るかもしれないと、細い伝を辿り、明確なことは避けながらも話しを聞いて回ったところ、やっとのことでここまで辿り着いたそうだ。
そもそも寺社奉行は常に四人在籍し、それなりにお偉い大名さまが数年毎の持ち回りでコロコロ変わるものだから、古い情報の蓄積とかは無く、横の繋がりも希薄なのだと。なんとかならぬものか…ってぼやいてた。
「その内の、とある藩の江戸勤であった古老から聞いた話しであったが、かつて亡くなった父から聞いた話ではこの地にて人ならざる厄介事が起きた際、深川にて芳賀津屋の店に行き、そこ腕の立つ三味線芸者に話しをした所……」
立ち所に解決したとの話しを聞いたことがあったそうな。
ただ、滅法金が掛かるとも。
「それを聞いた時は狐狸の類にでも化かされたのであろう。それとも惚けたかと馬鹿にしておったが、最早期日も差し迫り、さりとて他に良い手立ても無く、いよいよ切羽詰まってきてしまったので一縷の望みに……と考えておったが、簡単に座敷に上がれるほど金銭に余裕のある身でも無いし、またこの様な状況下でのお座敷遊びとは何とも外聞が悪い……」
それでも清水の舞台からの心持ちで意を決し、何とか方々からお座敷代を工面すると、藁をも掴む気持ちでここに来たのだと。
……同心さんでは、気軽にお座敷に上がれるお給金ではないですよね……
沈痛な面持ちで語るのを黙って聞いていた姐さんは、一旦煙草に火を付け一服すると、
「それはまたご苦労をなさりましたね。さて、お奉行様側からのご相談とは随分と久方ぶりだね」
一旦チラリとわたしのことを見ると、お侍さんに視線を戻し、
「今でこそ深川の管轄は町奉行になってるが、かつて大川より東側、深川・本所辺りは寺社奉行の管轄だったんだよ……」
……あ、これはわたしもちゃんと聞いておけってことですね。
座り直して姿勢を正した。
「寺の門前に岡場所があるってのはそのお陰でね。お上と花街はお互い持ちつ持たれつの関係だったのさ。浮世の問題は其方さん、人ならざる問題はあたしらに、ってね。延享の年に管轄が変わる前まではこれはこれで結構上手くいってたんだがね」
……なるほど。悪く言えばズブズブの関係だったのですね。きっとそれが原因で管轄が町奉行所に変えられちゃったのね……
「最近はとんと御無沙汰だったものだから、お見限りで袖にされちまったかと思っていたけど、忘れられてるとはねぇ……」
これはまたさみしいことだねぇ、と悲しそうな顔してるけど、心の中では舌を出していると思う。目が笑っているもの。
「な、ならば!」
「そうさね。人ならざる厄介事ならあたしらの専門さ」
ニコリと微笑み返すとお侍さんは目を輝かして、
「こっ、これは僥倖!苦労した甲斐もあったものだ!で、では早速にでも!」
「まぁまぁ、そうせくもんではないよ」
喜び勇んで立ち上がり、そのまま飛び出して行きそうなお侍さんをやんわりと手で制して座り直させる。
「まずは詳しい事を聞かなきゃならないしね。あたしらが動くのはそれからさ。それに人外のお座敷は値が張るもんだ。ここのお座敷にも窮する様ではとてもとても……」
お侍さんの良くなってきた顔色がまた悪くなってきた。対して姐さんは薄く笑いながら、
「お金の事もあるだろうし、お前さんの一任で決めちまうって事も出来ないだろう。ひとまず上役の者に話しを持っていってだね……」
「いや!これはことを窮するのだ!」
顔を真っ赤にしてヒートアップするお侍さんに対し姐さんは相変わらず冷静だ。
「そりゃわかっちゃいるが何事にも段取りは必要さ。それに厄介事については大方予想はつくが、今日明日にでどうこうなるもんじゃぁないだろ?別に人死が出ちまう訳でもあるまいし……」
「……いや……この件で不始末あらば某が腹を切らねばならん……」
もぅ、お侍さんてばすぐお腹を切りたがるんだから……怖い怖い……
「なら尚更、仕込みはしっかりしないといけないね」
有無を言わさないその怪しい笑みに、お侍さんは黙り込んでしまった。
結局はこのまま一旦解散して、後でまた集まる段取りになった。
……お侍さんの顔色もだいぶ戻ってきたみたいで何よりです……完全に姐さんに丸め込まれていますけど……
この後のことを相談をしている最中に、姐さんが「あたしの方も呼んどかなきゃならなん者がいるんでね」って言ってたので、多分おたえさんも同席するんだろう。
それにしても姐さんの、「あたしら」ってのは、きっとわたしも含まれてますよね?当然お仕事なのでやれと言われればやりますけど……
……面倒くさいことになりそうな予感しかしないので、もう今から気が重いです……
ただ、それ以上に気になった事がある。
お侍さんは姐さんのお話しを聞いていた時、自分自身のことでそれどころじゃ無かったみたいなので特に気にする様子はなかったみたいだけど、さっきの姐さんってば、寺社奉行がまだ深川の管轄だった時代のことをまるで見てきた様な口振りで語っていましたけど……でも、延享年間って五十年程前のことですよ?
改めて姐さんをよく見ても、とてもそんなお歳を召している様には見えないのよね……
……姐さんってば、ほんと、いったい何者なのかしら……まるでこっちの方がよっぽど人外よね……
三人切りのお座敷では、鶴吉が久々の上客を捕まえたとニコニコ顔で、侍の方はなんとかなりそうだとホッとして相好を崩している。
ハルは一人、納得出来ないって顔で二人が話し合う様子を眺めていた。




