二度目の夏
深川へやってきてからもう早一年が過ぎ、ここでの暮らしもだいぶ慣れてきた。
身体も少しは大きくなってきて、最近では三味線も持て余さずに抱えられる様になってきた……と、思う。
腕前は相変わらずだけども。
姐さんからは、
「お前はもう、来年には一人前の芸者として上がんなきゃならないんだがね」
このままだと「二枚証文」を書いてもらい、奥座敷もやるようになるぞって脅されてる。
でも姐さん曰く、「深川芸者は芸は売っても体は売らず、なんて言われているけれども、別に粋がっている訳じゃぁない」遊女の領分を芸者風情が犯してはならないってのが本来の意味なのだから、と。だから、芸者たるもの芸事でキチッと身を立てろってのが心情なのだそうで、しっかりおし!って。
色々と習い事も多く、忙しい毎日を送っている内に深川へやって来て二度目の夏が来た。
今度こそは見られると思ったお祭りも、今年安永二年はまたもや橋が破損の為、延期に……
……わたし、何時になったら深川のお祭り、見られるのかしら……
お祭りこそが生き甲斐だと言わんばかりに楽しみにしていたお文さん。これにはさぞかし残念がって落ち込んでいるだろうと様子を見てみれば……意外にもソワソワウキウキして楽しそうにしている。
なんでだろう?と尋ねてみたら、
「おハルちゃん、今年はね、十一年振りに永代寺でお不動様の出開帳があるんだよ」
世の中悪い事ばかりじゃぁないね!って。
田舎者のわたしは知らなかったけど、どうやら江戸でのお不動さまの人気は凄いものらしい。
……お不動様って、あの怖いお顔をなさってる不動明王さまのことよね?
何時も怒っているような、厳しい顔つきが思い浮かんでくる。
正直言って、あのお顔で人気者だと言われてもいまいち釈然としない。
よくわからないので詳しいことを姐さんに聞いてみたら、「そうかい。その手のことに関心を持つ様になったのは良い事だ」と詳しく説明してくれた。
───元禄十四年に成田山新勝寺の本堂を立てた費用、五百両の借財手当と躍進の為、当時の新勝寺住職照範が時の老中稲葉正道を後ろ盾に、当代きっての人気歌舞伎役者市川團十郎による成田山分身不動の上演を出開帳に合わせて……云々。
なにやら難しいことを色々と言われたけど、要はお金を稼ぐ為に新勝寺の寺主が政治家とマスメディアを利用して「成田山」を江戸に売り込んだってことでいいですか?それが「不動明王像」の出開帳なのですね?
当時大人気だった歌舞伎役者の市川團十郎が不動明王を登場させる芝居は大盛況だったらしい。
因みに「開帳」っていうのは寄進(寄付)目的に秘仏を公開して、一般の信者に見せる事なんだけど、居開帳が自分の所のお寺でやることで、出開帳は他の寺社へ持っていてやることなんだって。
開帳は御利益と娯楽を兼ねた大きなイベントらしく、屋台や見世物小屋が建ったり、芝居や双草紙の出版やら様々な経済効果があるって聞いた。
取り敢えず小難しいことは頭の隅に追いやり、お祭りみたいなものだということだけはしっかり覚えて、出開帳を単純に楽しみにしていた。
そんな、お不動さまが来るって町中が盛り上がっている最中、ちょっと不思議なお座敷が入ってきた。
その日は昼のお座敷のため、仲町の橋本という料理茶屋に姐さんと来ていたのだけど、帰り際にお店の女中さんに、「ちょいと姐さんいいかね」と呼び止められた。
今、お店に居るお客さんが姐さんを指名したいそうなんだけど、「それがちょっと変なお侍さんなんだよ」どうする?って。
……何が変なのかと言うと……
まずこの店に船頭さんの案内も無く直接一人やって来て、「御免。ここは芳賀津屋で間違いないか?」と。
お店の名前である「橋本」というのは屋号で、確かにここはおタエさんの芳賀津屋が経営しているお店の一つなので間違いではない。それにかつては「芳賀津屋」の名前で、ここではないけれど料理屋を営業していたこともあったから、それ自身はおかしい事でもなんでもないのだけど「今時分にその名で来るとはね……」って。
なんでも「芳賀津屋」の名前でお店をやっていたのはもう五十年程前のことらしい。
なので、「はい。たしかに芳賀津屋の店で間違いはありません」と返答するとお座敷へ上がったのだけれども、女中さんが「今日はいかがいたしましょう?」と尋ねると、「遊びに来たわけではないので」と小難しそうな顔をしながら言うものだから、ただお食事をしに来たお客さんなのかと思ったのだけど、「子供も太鼓持ちも要らないらないが、芸者は一人頼みたい。ここらで一番の三味線の名手を呼んでくれ」と。
遊びに来た訳ではないというのに芸者は呼びたいらしい。
少し考えた後、「なら、ここらで一番の三味線の名手と言えば鶴吉姐さんになると思いますけど、それで宜しいですか?」と尋ねると、それで良いとの事なので、訝しがりながらも女中さんが寄場に姐さんの在籍を確認しに行くと、あいにくと姐さんは他のお座敷に出ている真っ最中。その旨をお侍さんに伝えると、「ならその座敷が終わるまで待つ」と言って、今も一人渋い顔をしながらお酒を舐めて待っているらしい。
そんなおかしな客なんだがね、姐さんどうします?と、女中さんは困り顔だ。
それを聞いた姐さんは、普段ならそんな無粋な客は鼻で笑って袖にするものなんだけど……
「ほぅ……芳賀津屋の名で直接店に来たのかい?それで三味線の名手をって?そりゃ面白い」
意外にも二つ返事で了承した。
どうも面倒くさそうなお客さんなので、ではわたしはお先に……と逃げようとしたのだけど姐さんに捕まり、「丁度良い修行だ」と一緒にお座敷へ連れらて行くことに。
面倒事になるのは目に見えているので行きたくは無かったけど、当然わたしに拒否権なんて無い。
渋々と姐さんに続いてお座敷に上がり、さて、どんなお客さまなんだろうと顔を上げて見てみれれば、朴訥としたお侍さんが沈痛な面持ちで座っていらっしゃった。




