初めてのお座敷
実は昨日、お座敷にデビューしたのだ。
昨晩、姐さんがお座敷に行く時に「今晩行く料理茶屋は馴染みのとこだから」今後、使いに出す事があるだろうって、顔つなぎをするためにわたしも一緒に連れて行かれたの。
最初は料理茶屋の人たちに挨拶だけして、わたしはすぐに帰される予定だったけど、帰ろうとした時、「ちょっとお待ち」ってお店の人に呼び止められ、わたしを挟んで姐さんとお店の人が話し込みはじめた。「まだ客前に上がれるもんじゃぁないんだがね……」と姐さんは渋っていたけど、大丈夫、大丈夫。気心の知れた客だからって、軽い感じでお店の人に押し切られ、状況が呑み込めずポカンとしていたわたしを他所に、文字通り頭ごしに決定した。
どうもお酌の人が足りなかったみたい。
その場で急遽、お酌の見習いとしてお座敷に上がることに。
「……笑顔は絶やさず、余計な事を言わぬように……云々」
クドクドと姐さんから注意事項を受けたけど緊張してて頭に入らなかった。
ご挨拶に行くのだからと、割合しゃんとした格好をしていたから、頭やお着物はそのままで大丈夫だったけど心構えは全くできていない。パニックだ。
──お客の隣に座って、お銚子持って、杯が空いたらお酌する──
お店の人に簪を何本か挿してもらい、コレだけ覚えとけばいいからって言われ、お座敷に放り出された。
わたしは一生懸命やった。
……うん。やったと思う……
姉さん方の演奏も耳に入ら無いほど、姉さん方の踊りにも目もくれずに、目の前のお客さまの杯に集中した。
……空いたら注ぐ、空いたら注ぐ……
どうにも頑張り過ぎてしまったようで、わたしが付いていたお客さま、お食事もとらずにお酒ばかり呑んでベロンベロンに……
その時のわたしがついてたお客さまというのが、今日忘れ物を届けに行ったお頭さんなのよね。
あ、もしかして忘れ物したのって、わたしのせいかしら?
……ごめんなさい……
「……えーっと、緊張してて良く覚えて無いんですけど……楽しんではくれたみたいですよ?」
酔っ払って上機嫌だったから、間違いではないはずよね!多分……
お文さんに、はにかみながらそう答えたら、隣で姐さんにフンって鼻で笑われた。
「いや、だって、帰りにお土産までくれたんですから」
そう。その場に残ったお料理は折詰にして、お客さまがお持ち帰りにしたりもするのだけど、帰り際にお客さまがくれたのよね。
だからきっと喜んでたと思います!って、姐さんに口を尖らせながら言ったけど、細い目がさらに細くなって逆にジロリと睨見返された。
「ありゃぁ、お前が残った料理をうらめしそうにジッと見てたから、いたたまれなかったんだろうさ」
折詰を貰って無邪気に喜ぶわたしを、他の姐さん方が生暖かい目で見守っていたそうだ。非常に居心地の悪い思いをしたらしい。
……申し訳ございません……
長火鉢越しに身を乗り出して「恥ずかしぃったらありゃしないかったんだよっ!」頬っぺたをつねられた。痛い!痛いです!
……だって、美味しそうだったんだもん……
「まぁまぁ、姐さん。おハルちゃんは育ち盛りなんだからしょうがないでしょ」
こんな小さい子が夕飯時にご馳走見せられちゃぁねぇって、クスクスと笑いながら抱き寄せて助けてくれた。
頭を撫でて優しくしてくれたのに嬉しくって、ちょっと実家を思い出した。懐かしくなって、わたしからも抱き着いて甘えてしまう。
「でもまぁ、あそこの料理茶屋は良いとこの仕出しを使ってるからねぇ」
姐さんも昨日のお料理を思い出しているのだろか。そのままチラッと見ると、口の端が少し上がっててキツイお顔がちょっと緩んでる。
そう。美味しいものに罪は無いのだ。
それにしても色んなお料理が沢山あったのよね。思い出しただけでお腹が空いてくる。
ゆり根を煮たやつでしょ、お魚やトコブシとか、きんとんもあったし、それに……
「はい。とくにかまぼこって言うんでしたっけ?お魚をすって蒸したやつ。あれ美味しかったです!あんなの初めて食べました!」
あんな高級なもの、聞いてはいたけど見たのも初めてだ。さすが都会は違う!って思ったのよね。
思わずお文さんから離れて元気よく答えたら、姐さん、いつものキツイお顔に戻って、眉がピクリと上がったの。
あれ?なにか変なこと言ったかしら?
「……お前、お座敷じゃぁ何も食べて無かったはずじゃ……」
はい。とコクリ頷いた。
姐さん方はちゃんとお客さんと一緒にお酒飲んだり食べたりしてたみたいだけど、わたしはお客さんに「嬢ちゃんもどうだい?」って勧められたけど、お酌に集中してて、それどころじゃなかったのよね。
「帰り際、腹ぁ減ってしょうがないって言うから、蕎麦を食わせてやったよな?……帯が苦しくなるまで……」
そう!細長かく切って、温かいおツユの中に入ってるお蕎麦!そんなのって初めてだった!
蕎麦と言えばお雑炊に入れたり、焼いたりしか食べたことなかったのよね。
美味しくって沢山お代わりをしてたら、姐さんには「まだ食うのかい?」って呆れられて、屋台のおじさんには「こんなちっこいのによく入るな!」って面白がられたっけ。
「で、何時、あそこの料理、食べてたんだい?」
「帰ってからですけど?」
「ん?」
「家に着いたらちょっと小腹がすいちゃって、それにせっかくのお料理、明日だと悪くなっちゃうかな?って全部食べちゃいました」
姐さんの細い目がちょっと丸くなった気がする。
「あんだけ食ってまぁ……よく入るもんだ……ん?まて、全部だと?」
「あい。折詰二つはちょっと大変だったけど、もったいないので頑張りました!」
やり切りました!と誇らしげに胸を張ったら、姐さんの目が確実に大きく見開いた。
「……お前が貰った折詰は一つだったはずだが……」
……あの……ちょっと青筋が立っているように見えますけど、気のせいですよね……
「家ん中にあったもう一つはね、あたしが今晩の肴にするのに昨日仕出し屋に注文しといたやつなんだが……」
そういえば折詰、二つもあったかしら?って、ちょっとだけ思ったけど、多い分には嬉しいからまぁいいやって、あまり深く考えなかったのよね。食べるのに夢中で。
しまった!……姐さんが楽しみにしてた分まで食べちゃった!
ごめんなさい!と勢いよく頭を下げ、畳に額をくっつけながらどうしようと頭を抱えてると、隣でお文さんが「あらまぁ」ってクスクスと笑っている。
それと同時に姐さんが座る方からも笑い声が聞こえてきた。
今、姐さんはとても怒っているので、さすがにこの状況で笑いやしないだろから、きっと声の主は姐さんの頭の上にある縁起棚からだろうと、すぐに察せた。
見なくてもわかる。そこには一陽来復の融通さんや氏神さまのお札が置いてあるもの。
……神さま達にも笑われてるよ……
恥ずかしい……もう顔は青くなったり赤くなったり大変な事になってるはずだ。
姐さんは怒りを溜め込みながら長火鉢に突っ伏して、お文さんは楽しそうに笑い、わたしは臥せったまま畳から離れられないでいる。
しばらく続いたそんな居たたまれない空気を打ち破ってくれたのは、勝手口から響く男の人の声だった。
これ幸いに、お客さんだ!とパッと跳ね起き、勝手口に行こうとしたら、
「あれ、ウチの旦那が来たようだねぇ」
わたしが行きますからおハルちゃんはいいよって、未だに笑い続けているお文さんが「ちょいと失礼しますね」と席を立って台所へ行ってしまった。
直ぐに「姐さん、コレで機嫌直して下さいな」と、青光りする魚が沢山乗ったカゴを抱えて戻って来た。
「今、旦那がね、さっき上がったばかりのアジですって。新鮮な内に、是非姐さんにって持ってきましたよ」
夕方に水揚げされたばかりだそうだ。目も生き生きとしてて、とても美味しそう。
「おや、見事なもんじゃないかい。旦那に宜しく言っといておくれよ。さて、二、三匹は刺身にしてもらって、後は煮付けとか……」
姐さんもいつの間にか起き上がっていて、長火鉢から身を乗り出すようにカゴの中を見てニンマリと笑ってる。
姐さんもけっこう単純よね。
それじゃぁ捌いちゃいますかね、と台所へ向かうお文さんの後姿を見て、わたしも慌てて「あ、お魚下ろすの手伝います!」姐さんの冷たい視線を背に感じながらその場を逃げるようにして台所に向かった。
お文さんが居ない日はわたしが台所に立つことになるので、台所仕事のお手伝いだけは姐さんも悪い顔をしない。
やっぱり美味しい物、食べたいですよね。
台所に入ると、かまどの上にいらっしゃる荒神さまも笑ってた。
……聞いてらしたのですね。恥ずかしい……無視無視。
そちらを見ずに、踏み台を持ってきてまな板に向かうと、お文さんに教わりながら丁寧にアジを三枚に下ろしていった。
最近ではずいぶんと海のお魚にも大分なれてきたのでお手の物だ。
「姐さんは今晩、お座敷無いんでしょ?呑むだろうから肴になる物をね……お造りとつみれと、他に何作りましょうか、おハルちゃん」
お文さんと楽しく今晩の献立を相談していたら、ふと思った。
……あれ?「今日も」よね、お座敷が無いのって……
昨晩は久しぶりのお座敷だったけど、普段はあまりお座敷に行く姿を見ない。近所にいる他の姐さん方に比べてだけど。
お酒がお好きなようで、夜は何時も家で呑んる。たまに一人で外へ呑みに行くこともあるけどね。
包丁を使いながらお文さんにそんな事を話していると、姐さんは人気の芸者さんだけど、えり好みが激しいそうで、気が乗らないとあまりお座敷に出ないそうだ。
特に生活に困ってるようには見えないけど大丈夫なのかしら?
わたしの他に三味線習いにくるお弟子さんもいないようだし……お文さんに毎日のように来てもらってたり、わたしのことを面倒見たり……あ、わたしの分はおタカさんからなのかな?
特に旦那さんや良い人が居るって話も聞かないしね……
ふしぎって思ったけど、毎日ちゃんとご飯が食べられるし、たまにお駄賃も貰えるし、お稽古は厳しいけどこの生活は気に入ってるので、余計なことは考えない方がいいよねって、考えるのを止め、目の前のお魚に集中することにした。




