江戸の方へ その3
そしてわたしの芸者のタマゴ、仕込みっ子としての生活が始まった。
ここ鶴吉姐さんの家は玄関から入って直ぐの茶室の脇に、二階へとつながる狭くて急な階段があった。
そこの階段を上がると部屋が二つあり、一つは衣裳部屋として使っていて、もう一つ、普段使われていない部屋がわたしの部屋として宛がわれた。
小さいながらも初めての自分だけの部屋だ。嬉しい!
ちゃんと窓もあってけっこう日当たりも良い。海が見えるかしら?と期待して開けてみたが、見えるのは建物ばかりだった。反対側かな?海の匂いはするのにね。
住み込みの弟子になったのだから、家事全般をわたしがやることになるのだろうって思ってた。
炊事・洗濯・掃除は前世からもやってたので慣れたもの。むしろ得意なのでドンと来い!って、意気込んでたけど……通いで女中さんが来てくれてるのでやる必要は無いって言われた。拍子抜けだ。
その女中さんは近所の佃町に住む漁師の奥さんで、お文さんって言う人。
奥さんと言ってもお孫さんがいる歳で、わたしのことを「おハルちゃん、おハルちゃん」って自分の孫のように可愛がってくれる。
わたしもすぐに懐いて、ついて回ってお手伝いなんかをしていると「そんな事よりも稽古に身ぃいれな!」って姐さんに叱られることに。
わたしが覚えなければいけないのは行儀に唄、踊り、そして三味線だ。
唄と踊りはお師匠さんとこに習いに行くの。
お師匠さんの稽古は厳しくって大変だけど、体を動かすのは好きだし歌うことも大好き。けっこう楽しい。行儀作法は……まぁそのうちなんとかなるでしょう。
だけど……三味線には難儀している。一番大事なのにね。
三味線は鶴吉姐さんが教えてくれた。
なんでも結構な名手で売れっ子なんだって。ファンが一杯いるってお文さんが教えてくれた。
たしかに素人のわたしが聴いても惚れ惚れするような腕前で、何より弾いている時の姿がかっこ良くって見入ってしまう。
わたしもいつかはあんな風になりたいなって、お稽古に励むのだけど、どうにも道は険しいみたい。
竿の上の方の糸を押さえるには必死になって左腕を伸ばすことになるんだけど、するとどうしても三味線を上手く抱えられなくなり、結果右手に持つバチが変なとこを弾いてしまう。細棹だから竿を掴むことは出来ても、全長三尺ちょっとのサイズは私の身体には大き過ぎた。
これには姐さんも苦笑い。
まぁその内、身体も大きくなるだろうさ。今は頑張って指の動きを覚えなって言うんだけど、一人前の芸者さんになるまでの猶予は後数年しかない。何とかなるかしら?
そんな訳で三味線のお稽古こはあまり好きではないので、今日みたくお使いしてこいと言われると喜んで行く。お駄賃ももらえるしね。
「なんだい。また甘い物かい?」
これお土産です。と、さっき買ってきたお餅を目の前に置くも、「お前にやった駄賃だから好きなモン買うのはいいが、たまには酒のアテになるもんでも買ってきな」って、お土産を受け取ろうともせず眉をひそめながら煙草をくゆらせている。
ムー。お酒なんかより甘い物の方が美味しいのにってむくれていると、
「あれ良い匂いだ事。姐さん、せっかくおハルちゃんが買ってきてくれたのにそんなふうに言うもんじゃぁないですよ」
お茶の支度を持ってお文さんがやってきた。
帰りが遅いからどこかで甘味でも買っきたんだろうって、すでに用意をして持って来てくれたらしい。見透かされてますね。
よいしょっ、と、わたしの傍に座って汗をかいているわたしを見るなり「あら?随分と暑かったようだね。それならお茶よりも冷たい麦湯がいいかね」って、すぐ立ち上がって台所に行ってしまった。
自分で行きますよって言おうとして腰を浮かしかけたけど、お文さんが置いていったままのお茶支度を鶴吉姐さんがジッと見いるのに気付き、
あ!コレは行儀のお稽古か!
すぐに姿勢を正し、緊張しながらお茶の支度を始めた。
わたしが淹れたお茶を一口飲み「まだまだだね」と一言だけ。取り敢えず失格ではなく及第点を貰えたことに安堵して姿勢を崩したら、丁度お文さんが麦湯を持ってきてくれた。麦湯は香ばしっくて大好きだ。お礼を言い、買ってきた土産を広げて三人でお茶にした。
「で、鳶のお頭にはちゃんと渡せたのかい?」
既に食べ終わってタバコを呑んでいる姐さんに問われ、口にお餅を頬張ったまま頷く。
さっきのお使いはお座敷の忘れ物のお届け。
そのお客さん、今日は朝から柳橋の現場でお仕事だと言ってたので、姐さんに言われて現場まで持っていったの。
忘れ物のタバコ入れを渡すと「おや、嬢ちゃん。ワザワザすまないな」って、お駄賃代わりに側に出てた屋台の天ぷらを御馳走してくれた。いえいえ、別にお昼時を狙って行ったんじゃないですよ?ええ、たまたまです。揚げたてのエビやお魚……美味しかったです。御馳走様でした。
返事をしようと急いでお餅を飲み込んだけど、ちょっと喉につかえてしまったので慌てて麦湯で流し込み、「姐さんにもよろしく言っといてくれって言われました」なんとか伝える。
その様子を笑いながら見ていたがお文さんだったが「そういえば」と、飲んでいたお茶を置き、
「おハルちゃん、昨晩は初めてのお座敷だたんだろ?大丈夫だったのかい?」
心配そうに尋ねてきた。




