江戸の方へ その2
おタエさんに連れられてこの土地に初めて来た時、今まで嗅いだことのない匂いに、なんだろう?と、顔をしかめていたら、「あぁ、ここはすぐそこが海岸だからね、海の匂いさ」と教えられ、「……あぁ、ほんとに遠くまで来ちゃったんだ……」と実感し、これからのことを思うと武者振るいがした。
町中に入ると、方々からせわしない江戸言葉が聞こえてくる。所狭しと建物が立ち並び、人々が忙しそうに行き交う活気溢れる様が目に入った。
「さすが、お江戸はスゴイですね!」って感動してたら、「ここは厳密には江戸じゃぁないんだがね」って笑いながら色々と教えてもらった。
え?こんなに都会なのに?って思ったが、なんでも大川から東のこっち側は、今も埋め立てが続いる絶賛発展中の、江戸の人達のための遊興地なんだそうだ。
相撲や歌舞伎とかのイベント事がお寺であったり、歓楽街もあちこちにあるんだって。有名なお祭りもあるって聞いてちょっとワクワクした。楽しみ!
なるほど。ようは深川って町は、テーマパークみたいなものなのかな?と、理解した。
それにしてもここはホントに川が多いところだ。船があちらこちらにあるし、ちょっと歩けばすぐ橋だ。
おタエさんに連れられるまま小さな川をいくつか渡り、賑やかな門前街までやって来る。その一角に入って行くと二階建てのこじんまりとした一軒屋が見えてきた。
格子を開け中に入ると小さな土間になっており、わたしは玄関に入ると、かしこまって深々とお辞儀をしてご挨拶をした。すると目の前の障子がスッと開き、
「おや、この娘が例の子かい?思ったより随分と小さいねぇ」
明らかにわたしに対しての言葉だ。その言葉に「また言われた……」と、一瞬ムッとしたが、笑顔を取り繕って頭をあげる。すると、目の前に現れた、面白いものを見るような目で笑っている女性が目に入り、その美しさにハッと息を呑んだ。
柔らかな表情だけど、その目は鋭く力強い。彫りが深く、全体的にスッキリとしたその顔立ちは化粧をしてないスッピンなことでなおさらハンサムさが強調されている。凜とした佇まいがとても美しい。
同性なのに思わずドキッとした。
おタエさんが妖艶な美女だとしたら、彼女は男前な美人だ。ただ、おタエさんと同じ様に年齢不詳な怪し気な雰囲気をまとっているので、どうしても身構えてしまう。
……美しすぎて、ちょっと怖い……
お入り。と言われ、玄関から直ぐの茶室に恐る恐る粗相のないように上がった。
茶室はあまり広くなかった。奥に縁起棚が飾ってあり、茶箪笥、三味線掛けに三味線、その隣は着物の箪笥だろうか?その前に彼女とおタエさんが並んで座り、長火鉢を挟んで私が座るととても狭く感じた。
圧のある美人二人を前にすると緊張して思わず背筋が伸びる。
彼女は芸者さんで、名前は鶴吉だと紹介された。
こんな美しい人ならとても素人さんではないだろうと思ってたから納得だ。
男っぽい名前なので、女の人だとばかり思っていたけども実は男の人なのかしら?都会は凄いな!ってちょっと驚いたけどやっぱり女の人だった。どうもここらの芸者さんは、男っぽい名前を付けるのがよくあることらしい。よく分からないけど、そういうものなんだと理解した。
で、ここに連れて来た理由ってのをおタエさんが説明してくれた。
薄々感じてたいたけど、どうやらわたし、芸者になるみたい。
本来のこのあたりで芸者になるには、まず子供屋っていう所で集団生活をして、独り立ちするまではそこに居るのが普通なのだそうだけど、わたしの場合はそもそもおタエさん預かりになっているので子供屋には行かずに、ここ、鶴吉姉さんのとこに置かしてもらうのだと。
わたしはこの人を師匠として、数年後には立派な一人前の芸者になるようにって言われたんだけど……
芸者がどういうものか大体は知っている。宴会でお酌したり、踊ったり、演奏したりして盛り上げる人のことよね?
だけど直接芸者さんを目にしたのはこの日が初めてだ。
……とてもわたしが芸者に向いているとは思えない……
鶴吉さんを目の前にしていると、童顔でちんちくりんの自分が恥ずかしく思える。正直、この場に居るのがいたたまれない。
自分がいくら成長しても、こんな女性になれるとはとても思えない。それともおタエさんには、いずれはわたしもこんな美人に成長するとでも思ってるのかしら?
いや、そんなの絶対無理でしょ!
それなりに覚悟を決めてここまで来たので、躰を売れと言われれば甘んじて受け入れられるし、岡場所だろうがどこだろうが行く心づもりは出来ている。別に芸者になれと言われれば、ちゃんとなれるかは別として頑張るだけだ。
だけど芸者になるってことは、習い事やら着物やらなんやら一人前になるまでに色々とお金が掛かるんですよね?それまでの生活費とか、それらを全て丸抱えしてもらうわけだし……道楽でわたしを芸者にしようって訳でもないだろうし……それって、結局わたしの借金に追加されますよね?そんな金額、返せるようになるの?
頭の中で色々と逡巡していると、
「ああ、それから、あたしや彼女の事はこれからは「姐さん」と呼ぶ様に。女将さんとか母さんとか呼ぶんじゃないよ」
って言われ、どうしようも無く不安ではあるけど、後先の無いわたしにとっては、この話を白紙に戻されるわけにはいかない。
「あい。おタエ姐さん、わかりました。鶴吉姐さん、これからどうぞよろしくお願いします」
キチンと座り直し、指を揃えてお辞儀をして、そう答えるしかなかった。




