第60話 転移者と七夕琴海の覚悟
無人のナースセンターには、緑色の非常灯だけがともっていた。琴海が電気のスイッチを入れると、明滅のあとに白い蛍光灯がつく。
人のいない病院は無機質で不気味な雰囲気だった。
「ふぅ……」
「どうぞ。まずは飲んでください」
待合所のソファに腰を落ち着けた大和たちは、琴海に何かを手渡される。
たった今購入したばかりの、自動販売機のジュースだ。
「あ……これ」
「おおっ、これは……純連のお気に入りのジュースです!」
大和が何か言う前に、受け取った純連が目を輝かせた。
以前から純連が大好きだと語っていた、いちごミルク味ジュースのパッケージだ。目がキラキラと輝いているのは、深く感動している証だ。
「こんなところに売っていたなんて、知りませんでした!」
「わたしが頼んで入れてもらいました。桜花の校舎にも入るはずです」
「なんとっ!?」
「魔法少女の権限、すごいな……」
魔法少女ってそんなに権限が強いのか。
大和は呆れて、純連は純粋にびっくりしていた。
財布を取り出そうとすると、琴海に止められた。
「必要ありません」
「え、でも……」
「役目に見合う金額を、国から受け取っていますから」
大和はきょとんと目を丸くした。
ジュース二パック。大した金額ではないが、気になったのはそこではない。
「えっ。魔法少女って給料貰えるの……?」
「はい」
手をつけてはいませんが、と付け加えた。
純連を見ると、同意するように頷いている。
(そうか。命懸けで戦ってるし、当たり前か)
納得したが、いくら貰えるのだろう。
恐る恐る金額を尋ねた。
「マジか……」
そして大和は落ち込んだ。自分の手取りの五倍以上の額を聞かされたのだ。
ショックで顔を深く沈めてしまう。
「それ、高校生が受け取っていい額じゃないって」
「ほとんど復興の公共団体に寄付しているので、必要な分を除いて、手元には残っていません」
「嘘だろ……?」
差をつけられているだけでも相当な衝撃なのに、大半を寄付していると聞いて、いよいよ目眩がした。
金銭感覚は一体どうなっているのだろう。
絶対後悔する。
そう思ったが、多分しないだろう。お金の使い方があまりに気持ち良すぎる。
「ま、まあ……ゲームの世界だし」
「何か言いましたか?」
「いや、なんでもない」
お金の話は、もう二度としないようにしよう。
この世界が"ゲームの中"ではないと話したばかりなのに、今だけは、そう思わないとやっていられなくなりそうだ。
無闇な嫉妬心を持たないように、おごられたジュースにストローを刺して、中身を吸い上げた。
「それで、先ほどの話を詳しく聞かせてくれますか」
対面に腰掛けた琴海が、問いかけてくる。
しかしその前に、逆に大和の方が聞き返した。
「なあ。今日は、"天橋立"と行動するんじゃなかったのか」
「そのつもりでしたが、ここに来ることが何より優先だと考えて、そちらは抜けてきました」
琴海はあっさりと言ってみせた。
今回の件では、異形の魔物と化した大和を退けるために、多くの魔法少女が集められた。
魔物自体はもういないが、騒動の収拾をつけるためにも、責任者が出向かなければならなかった。
だから、助けを求められないと、半ば諦めていたのだ。
「それが分かっていて、わたしを呼び止めたのでしょう」
「それは、そうだけど」
「聞かせてください」
「ええっと。何から話せばいいかな……」
だが、いざとなると大和は深く悩んだ。
琴海には語っていないことが多すぎる。しかし悩んでいる最中も、剣の魔法少女は見定めるように、視線を外してこない。
先に、口火を切ったのは純連だった。
「ことちゃん。こんな話、信じてもらえないかもしれませんが、聞いてもらえませんか」
「ええ。そのために戻ってきたのですから」
琴海は、純連の話に耳を傾けた。
拙ない言葉で必死に全てを伝えようとした。
途中から大和も加わった。
今までに理解した全てのことを伝えた。
大和が、別の次元から来た人間であること。
この世界の法則が、創作されたゲーム設定に基づいていること。
大和の”魔法”が嘘であること。
架空の物語の結末を知っていること。
そして、手の甲に刻まれた証のこと。
(こんな話、信じてもらえるのか……?)
話している最中、琴海は否定も肯定もせずに、ただ純連の言葉に耳を傾けていた。大和はそわそわと背中を揺らしていた。
純連が話し終えると、大和のほうを見る。
「正直な感想を言っても構いませんか」
「……ああ」
「与太話にしか聞こえません。その話を広めても、誰も信じることはないでしょう」
それを聞いた純連は、悲しむような表情を作った。大和はうつむき、考えていた通りの反応だと受け入れた。
琴海は純連のように"見た"わけではない。
口で伝えるには、あまりに途方もない内容だったのだ。
(だめなのか……いや)
信じてもらえない以上、助力は望めない。
しかし、これは二人にとって、生き残るための最後のチャンスだ。
手放すわけにはいかなかった。
「本当なんだ。俺とすみちゃんは、もしかすると、今日で死ぬかもしれないんだ」
手の甲に刻まれた痣を、上から抑えた。
純連も、鎮痛な面持ちのまま拳を握っている。
「では、仮にそうだったとしましょう。これからどうするつもりですか」
「分からない。でも、死なない方法を考える」
「ことちゃん、今晩だけでいいです。一緒にいてくれませんか……?」
前のめりになった純連が、腰掛けた琴海の膝に手を置いて、助けを求めた。
「純連。なぜ根拠のない、彼の言葉を受け入れているのですか」
「決まっています。信じているからです」
「彼のことを、それほどに……?」
「はい」
しばらく二人は視線をぶつけあった。
純連は、大和の記憶を覗き見た。しかし、だからといって、手放しに信じているわけではない。彼女自身が考え抜いて出した結論だ。
すると琴海が尋ねてくる。
「純連の言う通りに一晩を過ごしたとして。それで、あなたたちは助かるのですか」
「それは……」
……きっと無理だ。
綺麗な所作で座っている琴海の手の甲に痣はない。
そして、都合よく浮き出てくることもない。
助かるためにはシリウスの力が必要なのに、彼女を連れてくる手段を何も思いつかない。
大和も、純連も、とうとう何も言えなくなってしまった。
「あなた達に協力します」
「……え?」
大和も、純連も、目を丸くした。
「信じてくれるのですか……?」
「信じたわけではありません」
だが、はっきりと純連の言葉を否定した。
それならなぜ。
疑問が二人の顔にはっきりと浮かんだ。
「あなたは今まで、信じられないことを成してきました」
大和のもたらす情報は、いつも突拍子もなかった。
最初、魔法少女に"進化"などという抜け道があることを信じていなかった。
しかしそれが真実だと分かった。
魔物の詳細な情報や、シリウス自身の進化方法までも、言い当ててみせた。
「滅茶苦茶な話ですが、筋が通っていないわけではありません」
この世界が、ゲームを元に形作られているなんて、筋が通るとか通らないとか、それ以前の話だ。ありえない。
しかし、そんな嘘をつく理由はない。
自分をどうにかしたいなら、もうちょっとマシな嘘があるだろう。
「むろん、多くの命を預かる魔法少女の立場として、信じるわけではありません」
「……それは、もちろんだ」
「"友人"として信じるぶんには、何の問題もないでしょう」
「ことちゃん……!」
ぱあっと表情を明るくした純連は、琴海の手を握った。
「俺がこんなこと言うのも何だけど、信じてくれるのか……?」
「ええ」
大和は信じがたい気持ちだった。
自分で言うのも何だが、一度は魔物になった人間だ。わけがわからないことを言い、それを錯乱したと思うのは当然だ。
"天橋立"の対応のほうが理性的だとすら思う。
自分たちに協力するということは、本来すべきことだったことが、できなくなるということだ。
魔法少女シリウスは英雄だ。
いまも多くの民衆から求められている。
しかし今晩だけは、ともにいてくれる。
「あなたたち二人は、同じクランのメンバーですから」
琴海は、純連の親友だ。
そして、純連と大和と琴海は同じ戦場と共にしてきた仲間だ。
「リーダーとして、その言葉を信じます」
断固として言いきった。
最強の剣の魔法少女に、迷いはなかった。




