1話 退任の日
カツン、カツン
絶え間ないシャッター音や目がくらみそうなフラッシュの光、パラパラとした拍手を通り抜けて私は階段を降りる。階段から数メートル離れたところまで来ると記者たちが駆け寄ってくる。テレビ記者たちが争うようにマイクやスマホを私の口元に押し付けてくるのは何年たっても慣れない。
「退陣されるにあたって一言!」
「今のお気持ちを!」
はいはい。でも別に私は、あなたたちが聞きたいことを言うとは限らないよ。
「十年ここで働いて、一区切りつきました。これから帰ります。皆さんごきげんよう。」
そう言い残してSPさんと共に玄関に向かう。
私の去り際と撮ろうとシャッター音が追いかける。
これが今日の夕刊に載るのかしら。
まだ暑さが残る9月30日、シートに座って、深呼吸する。
最後の瞬間まで笑顔を忘れずに。これは夫がよく言っていたことね。
車外の見送りの職員さんたちと記者たちにふっと笑ってみせるとほぼ同時に車が動き出す。
思ったほど感慨はないわね。もっとドラマチックなものだと思ってたわ。
車はゆったりと皇居側に向かって走る。
右に見える議事堂も、左に見える議員会館も、みんな慣れ親しんだ景色。
月曜日だからか、人通りはあまりない。ゆったりと過ぎていく月曜日。昨日までの長い騒動が夢のよう。
議事堂横の信号で少しだけ信号待ちをする。
でもそれはもう終わった話。
私の名前は秋月美千代。70歳。
いましがた日本国第100代内閣総理大臣を退任してきました。