ストロングゼロは神様なのかも
ストロングゼロが絶滅して10年が経とうとしている。
新人類であったストロングゼロは、格安でそここその濃度のアルコール飲料として世間に浸透しいった。
表向きは企業の新商品としての名目だが、それはもちろん嘘であり、すべてはストロングゼロの手の上で踊らされていただけにすぎない。
ストロングゼロの目論見はこうだ。
まずは自らを現代日本に迎合する形として社会に入り込み、その依存性を高めていこう。そして、行く行くは全世界にストロングゼロを....。という単純なものであった。
実際にストロングゼロはうまくやった。
無能な上司、パワハラセクハラが蔓延る会社に勤める青年層に絶妙にマッチングしたのだ。
会社に対する怒り、政治不信、それらが積み重なってできていく将来への漠然とした不安。それらを全て溶かし込むのがストロングゼロであった。
「ねぇタカシ。ストロングゼロ飲む?」
カヨはそう言ってくるので、ああ...うん。とだけ返した。
「大丈夫。きっと来年はもっとお給料だって上がるよ。いっつも夜遅くまで仕事してるんだしさ。だからそんなに暗い顔しないで。ね?」
カヨはいつも僕を励ましてくれる。それは僕が仕事に行ってる朝から深夜遅くまでの間に、逢引きしている後ろめたさからくるものであることは想像に難くなかった。
ーーありがとう。
カヨとは半年ほどセックスをしていない。その代替品がストロングゼロだった。
セックスするならストロングゼロ。
それが僕とカヨの、結婚3年目の僕たち夫婦の関係だ。
実際ストロングゼロのおかげで子供ができた。
カヨはストロングゼロを愛しそうに頬ずりする。
ストロングゼロは僕たちのセックスであり子供だった。
ストロングゼロがいなければ僕たち夫婦の関係はもっと早い段階で崩れていただろう。
親の不仲を正すのはいつも子供であると相場が決まっている。
そして親の思いを受け継ぐのもまた子供の役割だろう。
僕はそういった事を思いながらストロングゼロのプルタブを引き、プシュッっという気の抜ける、僕にしては気の利いたダジャレを思いながら、ノドに流す。
チューハイと名のうってあるそれは、チューハイと呼ぶにはあまりにも強すぎるアルコール臭を放ち、僕の鼻腔を通り抜け脳にまで届く。
そして朝の7時から夜は23時までという社会の檻に放り込まれた今日と言う日を消してくれる。
そのあまりにも無邪気な香りで僕は今日も床につく。
ストロングゼロはきっとお母さんでもあったんだなと確信して僕は今日も眠りにつく。
そして明日もまたストロングゼロを僕たちは飲むんだろう。
だからストロングゼロは絶滅した。そして新しいストロングゼロNEOがでてきた。新人類として。