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出立



静岡県某市にある某駅前にて、俺は海外旅行用の特大のスーツケースと修学旅行生が担ぐような大きくて不格好な旅行バッグを手に、1台のバスを待っていた。


朝露が大気を覆い、辺りが真っ白に包まれて視界が朧気であったため、白雪を被った綺麗な富士山がはっきりと見えるらしいこの場所も閑散とした殺風景な景色ばかりが広がるだけであった。


まあ、朝の五時だし、無理もないか。


例の求人票を見つけた一週間前、俺は家に帰って、真っ先にその旅館先に連絡を取った。

流石に夜の23時を回っていたから、急に電話をしても取り合ってもらえないと考えたが、意外なことに、その時その旅館の主人が電話に応じてくれて、求人の件をはなすと、主人は二つ返事で俺の採用を許可してくれたのだ。


そして、大まかな旅館先での勤務要項や泊まり込みにあたっての必要品を丁寧にも教えてくれ、俺は今日のために一週間不足なく準備を進めてきた。


通帳も免許証、履歴書など重要なその他諸々は用意してあるのだが、主人はその事に関してはあまり触れていなかった。


とはいえ、少なくとも給与に際しての通帳や口座番号、身分証明書などの重要情報に関しては予め詳らかに説明してくれたので、大して不安は感じなかった。


むしろ、初めての仕事と温泉、そして新たな環境に巡り会えることに俺は逸る気持ちを抑えられずにいた。


朝早く、辺りに誰もいない事を確認すると(まあ、たいして霧で周囲は見えないのだが)俺は期待と楽しみを音符にして、高らかに口笛を奏でた。


そうして、5時30分に来るという旅館先の送迎バスを待っていると、やがて車のブレーキの音とハザードランプのカチカチという音が俺の直ぐ前から聞こえてきた。


その車はテレビのバラエティ番組でよく見るロケバスのような小型のバスで、車体には「旅館 旅籠屋」

と何とも安直な旅館名のシールがでかでかと貼られていた。


だが、その安直で、その場の思いつきで考えたような名前の旅館は正に俺が従業員として採用されたこれから勤務先となり、生活する場所であり、俺は車からガチャとドアを開けて運転席から降りる、その人へと元気よく挨拶をした。


「おはよう。

君が、先週うちに電話してきた四月一日(わたぬき)君だね?

私はこの旅館の一応オーナーをやってる西田俊夫。

明日からウチの従業員として宜しくね」


そう自己紹介をした西田さんという人は中年の丸眼鏡をかけた細身の男性で、正に旅館の主人然とした襟元に「旅籠屋」と金色の刺繍が入った紺色の法被を着て、彼はその裏のポケットから名刺を取り出し、口調とは裏腹に非常に丁寧に恭しく頭を下げて手渡してきた。


俺は社会人時代の癖から、有りもしない名刺入れを取ろうと、ポケットをまさぐり、それがないことに気づくと急に恥ずかしくなり、額に冷や汗を垂らしながら、焦って西田さんの名刺をペコペコと頭を下げながら受け取った。


フリーターなんだから、会社の名刺は無いのは当然で、それが少しみっともなく感じた。


だが、西田さんはそんな俺を気遣ってくれたのか、よく分からないが、優しそうな温厚な眼差しで、そっと口を開いて、「荷物、私が先に入れておくから」と言って、俺のカバンやら何やらを預かって、バスの車体横のトランクにそれらを押し込んだ。


「じゃあ、悪いけどもう車だすから、四月一日君は後ろに乗ってね。」


「あっ、はい。分かりました。」


西田さんはかなり急いでいる様子だった。


朝も早いから朝食の仕込みとかがあるのだろうか、それとも、俺以外の他の採用者も乗っているから待たせないで早く車を出したいという事なのか、考えらる理由は沢山あるが、特に気にするようなことでも無かったので俺は、言われるがままバスのドアを引き、開けるとそっと乗り込んだ。


何だ、誰もいないのか……。


車の中には俺以外(西田さんも含めれば)誰もいなかった。


もう先に着いているのか


何せ超高待遇なバイトだし、誰も食いつかないわけがないだろう。

そうだ、きっともう既に採用されてとっくに仕事をこなしているのだろう。


とりあえず、そう考えて俺は後部座席にどっと座り込んだ。


「それじゃあ、車だすね。」


席越しに見える運転席に座る西田さんがそう告げると、その合図と共に車は旅館に向けて走り出していった。






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