ハプニング
どこかのリトさんのようにラッキースケベというのは、自分としては最強のチート技だと思いました。
初対面だからとか種族が違うとか、それらは思えば本当に瑣細な事で、一度腹の中を見せれば、その中身はお互いに重なる所が多分にあって、またそれだけではなく、彼女は話してみると本当に楽しそうに笑って、時折冗談を言ってはその度に嫌味のない悪戯な笑みを零していた。
俺はそんな小悪魔っぽい彼女にまんまと、してやられた感を感じて、俺の方からも少し冗談や諧謔なんかを会話のうちに挟んで彼女をからかっては俺自身も気づけばサラさんとのお喋りに時を忘れるほど、打ち込んでいた。
「これ以上浸かっていたらのぼせてしまいそうなので、私はこれで上がらせていただきます。」
微笑しながら平然と喋っていた俺だったが、実はちょくちょくサラさんの裸が目についてしまい、それが俺の興奮を煽る原因にもなっていた。
それ故に、このままでは我慢の限界に達しそうであったので、俺はそろそろサラさんには分かれを告げようとした。
しかし、別れを告げようとも、彼女と話したたった少しの時間が、俺の心に数え切れない程の傷がつくほど悉く刻まれて、そんな傷が未だに消えることは無かった。
もう少しサラさんとお喋りをしたい、と永遠の別れでもないのに、俺は会ってまだ間もない彼女と離れてしまうのが酷く名残惜しく、寂しくも感じた。
だが、いつまでもここに居座っていたら、今度は興奮が内からではなく、全身にまでめらめらと滾ってくるような気がして、そんな興奮はいつかまたサラさんに気づかれると思ったから、俺はまたお互いに恥ずかしい思いをしなように、(俺が受けるダメージの方が多いのだが)その場から渋々去ることにした。
だが、そうして湯から出ようと、腰を上げたときはいつまでも元の恋人に縋る女のように俺は、体に入れる力をわざと弱くして、彼女との時間を一秒でも延ばそうとそんな無駄事をして、甘えていた。
「そうですか、それでは私は四月一日さんの後に上がりますので、四月一日さんはお先にお着替えを済ませて下さい。
私はもう少しだけ、ここで寛ぎたいと思いますので……」
「あっ、はい。
それではお先に……」
今さっき色々とサラさんなりの不満や不安が打ち明けられたばかりで、(まだ色々と溜め込んでいる様子で)とはいえ、彼女自身そんな少し神経質になっているときでもあり、それなりにまだ何か思う事があるのだろう。
俺は一見、サラさんの気遣いを微笑して快く受け取りながらも、低い声音で、何処か遠くを見据えながらそう言ったサラさんに内心、食べ滓が奥歯に詰まってなかなか取れないような隔靴搔痒な不安を抱いた。
湖から離れ、陸へと上がれば再びサッサッと何度聴いても、飽きない草を蹴る音が聞こえてきて、前方を見据えれば俺の着替えが入ったカーキ色の紙袋がぽつんと放置されていたので、俺はそれを拾って、中の服を取り出しては、着替え始めた。
やがて、俺は1分とかからずその全てをすませて、だが、ちょっと足の裏に違和感を感じたので、ちらっと下を見れば黒い靴の入り口から真っ白な雪をかぶった足の踵がのぞいていて、俺はそれを正すと、すっぽりと靴に足が入った爽快感と最後に、そっとサラさんのいる後ろを振り返った。
去る前に最後だけサラさんの顔を確認して、「また、後で」と挨拶を言おう、俺はそうしようとした。
といっても、それはやはりただ儀礼上挨拶はしっかり告げようといったような誠実な思いからではなく、本当に単純に思春期の男の子のように彼女の顔を、声を少しでも見たい、聞きたいという横ましな動機からであった。
だが、振り返って俺は遠くで座る彼女の後姿を見て、それはやめた。
俺が見たのは憐憫に満ちた女性の姿であった。
遠くからでもわかる、触れれば簡単に傷付いてしまいそうなほど、華奢なサラさんの背中を守るあの白布が物質的に俺の視線を遮ろうとはしているのだが、それらとはまた全く別のものから彼女を防いでいるような気がして、また彼女自身も自動的な防衛能力を持つその便利なヴェールに依存していたのだが、便利故に依存しすぎて逆にそのヴェールに心さえも飲み込まれているように見えた。
その様子は少なからず俺にも、重なる部分があったのだが、「温泉を拠り所にして逃げ続ける」俺には盲信的に宗教を信奉する信者のごとく、一つも疑いを持たなかった。
今の俺にはそんな事は考える余地もなかった。
そうして、言うまでもなく俺はサラさんの着替えを覗くような不埒な行動を働くわけでもないので、そそくさと湖を後にしようとした。
そんな時、俺はまたもや1歩を踏み出そうと動かした右足のつま先に何か違和感を感じた。
ゴトッと、それは何かを不意に蹴ってしまったような感覚で、俺はそれが少し気になって、ちらっと足の先を一瞥した。
どうせ、ちょっと大きめの石を蹴ったのだろうそんな風に俺は思っていたのだが、蹴った物は石でもなく、まさかこんな大自然にあるなんて怪しすぎる、全く人工的な物体が落ちていた。
これは、籠だろうか?
その正体は何十年も何百年の歳月をえて、伸ばしていったあけびのつるを何層何十層も複雑で重層的な構造にして編んだ、言わば自然の莫大な力を人間の手で見事にコンパクトにしたてあげて出来たつる籠であった。
そして、その籠の中には何やら黒い布の様なものが何枚か綺麗に折り畳まれて入っていて、ただ俺が蹴ってしまったせいで、籠もろともちゃんと整えられていたその布はすっかり倒れ込んでしまっていた。
はて、こんな籠俺が来た時にあっただろうか?
首を傾げながら、俺はその籠を見つめた。
ここにいるのは俺とサラさんしかいない。
無論、俺はここに来る時に籠なんか持ってきていない。
それに、その時にはこんなものはなかった。
だから、必然的にサラさんのほうに見当がいくのだが……
然しながら、もしこれがサラさんのであったたとしたも、俺がタオルを取りに一旦陸に上がった時にその存在には気づいているはずだし、やっぱりその可能性は薄いだろう。
考えても答えは出なかった。
仕方ないな……。
持主が誰かはさて置いて、とりあえず、俺はその身に覚えのない布の入った籠を起こそうと、腰を下ろした。
すると、倒れていたつる籠の口から逃げるようにして一枚の純白色の小さなうすい布が緑色の草の中だから余計目だって、忽然と姿を現した。
俺はそれが何となく気になり、そっとその白布を右手で拾い上げてみた。
見た感じ、ハンカチかなにかだろうか?
また、その布は綺麗に正方形に畳まれていて、持ち主がいかに几帳面で、真面目であるかが窺えた。
あまりにも綺麗に畳まれているものだから、俺はそのハンカチをみだりに触って、シワをつけるのも悪いと思い、横で未だに倒れていた籠へとそれを起こしつつ、中に納めようとした。
だが、途中で俺は突然その手を止めてしまった。
また、同時に何かに驚くように俺は「あっ!」と無意識に間抜けな声を上げて、その声が思いの外大きすぎて、どうやら湖にいたサラさんにも聞こえていたようだった。
「四月一日さん? どうされたのですか?」
わざわざ彼女はそんな言葉でもなければ、特に意味の無い俺の声に何処か心配した様子で、まだ寛いでいたい、と今さっき言っていたにも関わらず、健気にもそのたわいない声一つですぐに湯から上がって、ゆっくりと俺のいる方に歩み寄ってくれた。
それは凄くありがたいことで、嬉しいことではあるのだが、今の俺は素直にそれを喜ぶことは出来なかった。
何故なら、俺がハンカチだと思って、握っていたものがその持主は清廉たる乙女を彷彿とさせる"純白ショーツ"であったからだった。
とはいえ、そのショーツの持主は恐らくただの清廉たる乙女ではないのであろう。
傍の籠に入っていた黒布が、正に少し前に見たある人の黒のリクルートスーツその物であって、その事実がショーツの持ち主が誰であるかをありありと証明していたのだから……。
俺は既に排した可能性と真新しいリクルートスーツとが交差して生まれた矛盾に懊悩した。




