第9話 ニョグタ
(なんだこれ……)
ハルナの忠告通り、声を上げることは無かった。
正確には、上げることが出来なかった。
思わず鼻を摘んでしまうほどの悪臭が立ちこめている。
今まで見た中で、もっとも大きい部屋。
高さは15メートルはある。
広さだって、体育館くらいだろうか。
そんな部屋に、真っ黒なゲル状の塊が陣取っている。
真っ黒でありながら、僅かな光に反射するのは虹色。
その巨大な塊に寄り添うように、たくさんのスライムがいる。
どこが目なのか。
そもそも、こいつに目なんてあるのか。
そんなもの、わかりはしないのに。
だが、不思議と。
まだ俺たちに気づいていないというのが分かった。
《ユウジ……彼女がいました》
頭に響く声。
思わず肩がびくっとするが、パーティー内で出来る会話というアイの機能を思い出す。
《どうやら、私たちに気づいていないのは、彼女に夢中だからのようです》
《いるのか?》
《はい。どうやら、ここまで逃げてきたはいいですが、この部屋が袋小路で先に行けなくなったみたいです》
巨体が邪魔をして全く見えないんだが……
と思っていたら、ハルナは、いつの間にか部屋を回り込んで周囲を観察していた。
《それに、あのスライムの数……かなり厄介ですね》
《ど、どうする?》
《まずは、あの雑魚を何とかします。同時にニョグタの注意を引くので、ユウジは彼女をこの部屋から外へ連れ出してください》
《わ、分かった。何とかするよ》
《私は、しばらく奴らの注意を引きつけて、頃合いを見てそのまま離脱します。足は早いですから、気にせず突っ走ってください》
ハルナが刀を1本抜くと、そのまま上に放り投げる。
そして、左右の手で2本の刀を抜き、落ちてきた刀を3本目の腕が手に取った。
「ウォノ派二刀流、そしてハルナ三刀流……推して参る!」
スライムが、一気にハルナに向く。
それは、あの巨体ニョグタも例外ではなかった。
何故そこまでハルナに引きつけられるのか。
理由は至ってシンプルだった。
(あいつ、香水を刀に……?)
ポーチから取り出した香水を1本の刀に振りまいていた。
奴らは、どうやら匂いでかぎ分ける性質があるようだ。
ハルナも、それを熟知しての行動だろう。
いざという時には、刀だけを捨てればいい。
さすがは熟練の冒険者だ。
(よし、俺もウカウカしてられないな)
剣を抜きつつ、あの子に走り寄る。
何が起きたのか理解出来ていないのだろう。
オロオロとしながらも、出口であるこちらに歩き出していた。
「よし、こっちだっ! 早く来いっ!」
「えっ、あ、はい……!」
手を出して、手を出され。
手を繋ぐことが出来た。
そのまま走り去ろうとするも、スライムたちが行く手を阻む。
「スキル、強化!」
魔法陣を、剣先が掠るように斬る。
バシュゥゥゥ!
さっきと同じように、ソニックブームがスライムたちを巻き込んでいく。
通った先には、スライムたちの姿はない。
障害が無くなり、スムーズに出口まで辿り着く。
あれだけいたスライムたち。
それが、ほとんど俺たちのほうには来ていない。
ということは、それ以外はハルナに向かっているということだ。
(ハルナは……?!)
思わず振り向いたその先には……
修羅がいた。
多数のスライムたちが降りかかるのを、3本の刀が縦横無尽に繰り出され、倒されていく。
しかも、移動しながら。
前にも見たクロスブレード。
それを繰り返し発動しながら、3本の刀で巧みに切りつけていく。
ハルナが通った場所には、大量のスライムの死骸が散在していた。
しかし、そんな死骸をニョグタは自分の物にするように吸収していく。
ふと、ハルナのステータス表の、敏捷性B判定を思い出す。
(これでB判定なのか……)
広大な部屋を、高速で自由自在に飛び回るハルナを見た、素直な感想だった。
そんなハルナと目が合うと、精悍な顔つきをしながら、首を小さく縦に振る。
その意図を汲み取り、俺は同じく首を振る。
「いくぞ。ハルナが注意を引いてるうちに逃げるんだ」
「は、はい……あ、いいえ」
煮え切らない返事。
だが、彼女は、俺の手には素直に引かれてくれた。
◆ ◆ ◆
距離は大分稼いだ。
冷静になって、改めてリザの様子を見る。
白を基調にした短いポンチョを肩に掛けている。
下に着ているシャツも白、ミニスカートも白。
なんともプリーストらしい感じなのだが……
惜しいかな、下にもズボンを履いてらっしゃる!
相変わらず綺麗な栗色の髪が、動く度に揺れている。
しかし、素顔までは見せてはくれていない。
(ま、それはいいか。そんなことより……)
ハルナが気になるが、俺の胸元にあるアイが無事を知らせてくれた。
《ユウジ、私も撤退します。もっと下がってください!》
《あぁ、分かった》
さすがにニョグタを相手にはしていないようだが、声からは切羽詰まっている様子が窺える。
あのスピードだ。
ハルナの本気であれば、俺達のほうが、間違いなく追いつかれるだろう。
だから、再び彼女の手を引いた。
「よし、行こう。外まで出ればこっちの勝ちだ」
「いえ、行きません……私、ここでニョグタに食べられます」
…………うん?
今、この子は何を言った?
ニョグタに食べられる?
それって、自殺ってことか?
「いやいや、何言ってるんだよ。ここから出れば助かるんだ。一緒に行こう!」
「助かりたくなんてありません。やっと死ねると思ったのに……邪魔しないでください!」
「バカ言うなっての。このまま行けば助かるっていうのに、死にたいなんて……どうかしてるぞ」
「みんなが、私の命で助かるっていうなら、私はそれでいいんですっ! こんな私でも、初めて人の役に立って死ねるなら……私はそれでいいんですっ! 邪魔しないでっ!」
掴んでいた手を振り解こうとする。
俺はその手を離さない……
が、それが仇となる。
ズガァン!
「へぶし!」
思い切り縦に振られた彼女の腕。
俺は、その力をもろに受け、まるで布団のようにフワリと浮き上がったかと思えば、凄まじい勢いで地面に叩きつけられた。
「あっ……ご、ごめんなさいっ!!」
思わずしゃがみこみ、俺の身体に手をかざす。
「ヒール!」
手のひらから光が発せられると、身体が急に楽になった。
(おお、すげぇ……これが回復魔法ってやつか)
「ありがとな」
お礼ついでに、顔を上げたその瞬間。
風でフワッと上がる彼女の前髪。
そこには……
巨大な目玉があった。
「あっ…………」
彼女が、思わず前髪を押さえる。
……見間違いか?
いや、そんなはずはない。
顔の半分くらい。
確かに、そこまでが目だった。
しかも、一つだけ。
単眼症なんてものは聞いたことがあるが……
まさか、それなのか?
「……見えちゃいましたよね」
「あ、あぁ。ちょっとだけびっくりした」
「……気持ち悪いですよね」
「えっ? いや、ちょっとだけびっくりした」
「……私を助けたこと、後悔してますよね」
「いや、全然」
「……こんな化け物、いないほうがいいですよね」
「えっ、なんで?」
俺は、素直に反応する。
言葉を発するごとに沈んでいく彼女だが、俺は一切声のトーンは変わらない。
変わるはずもない。
彼女の姿を見ても、本当にちょっとびっくりしただけなのだから。
そんな俺を差し置いて、彼女はなおも続ける。
「でも、こんな気持ちの悪い私でも、入れてくれたパーティーがあるんです。そして、今回、やっとその恩に報いることが出来ました。そして、ここでやっと死ぬことが出来そうです」
「いやいや、何言ってるのお前」
頭を抱えて、首を横に振る。
「まず、ハッキリ言っておかないといけないことが2つある。1つは、一緒のパーティーのあいつらは、ほんの少しもお前を心配してないし、恐らく仲間とも思ってくれていないぞ」
「そ、そんなことっ……!」
肩がびくっと動く。
声が震えている。
だが、それに噛みつくように俺に叫ぶ。
「だ、だいたい……転生者であるあなたには分かりませんっ! 私の気持ちなんて……誰にも選ばれない苦しみなんて、あなたに分かるはずが無いんです!」
「…………どういう?」
「どうせすごいスキルがあって、引く手あまたなのでしょう?」
はは、なるほど。
本来、転生者はそういう扱いらしい。
あれ、おかしいな……
目から汗が。
「私なんて、冒険者の中では稀少なプリーストっていうだけでしか選ばれないのに! サイクロプスと人間の合いの子な私は、魔法の回数は限られてるし、こんな容姿だし……私とパーティーを組んでくれるっていうだけで、奇跡みたいなものです! だから、どんな扱いを受けたって、組んで貰えるなら……一緒にいてくれるなら、それでいいんです!」
あの怪力は、サイクロプスとの合いの子だからってことなのか。
一つ目の巨人、サイクロプス。
ゲームでは定番のモンスターだろう。
あれと人間の間に子供が出来るとは思わなかったが……
事実、こうしてここにいるのだろう。
「でも、そんな人生もとっても辛くて……何度も死にたいとも思ったけど、生命力が高すぎて、自殺することも出来なくてっ! でも、きっとニョグタくらいのモンスターなら、私を殺してくれる。だから、私はニョグタに食べられたいんです!」
「そうか。お前の動機はよく分かった」
「そうですか……じゃあ、私行きますね」
「いや、なおさら行かせるわけにはいかないな」
俺は、彼女の行く手を阻む。
「つまり、お前はあのパーティーには恩を感じてて、ついでに死にたいと思っているのか」
「はい、そうです。だから放っておいてください」
「そうか。お前がそう思うなら止めないけどさ。でも、それってあまりに悲しすぎないか?」
「……何がですか?」
「言いたいことの2つ目だ。俺の意見だが、自分を犠牲にしてみんなを助ける、なんてのは、お前自身のエゴだ。みんなが助かればそれでいい、なんていうのは、お前のワガママってもんだ」
「何故ですか?」
「俺は、そうやって生き残らせてもらいたくなんてない。仲間を置いて、俺が助かるなんて、俺は絶対に嫌だ」
「そんなこと、私には関わりのないことじゃないですか」
「だから、お前のワガママだって言ってるんだ。そんな言葉が出てくる時点でな」
「…………」
意外な言葉だったのか、言葉を詰まらせている。
「大体、俺は「みんな」って言葉が嫌いだ。誰を指してみんなっていうんだ。1人か? 3人か? 100人か? 世界の人間全員か?」
「そんなの知りませんよ……」
「あぁ、そうだな。俺も知らない。だから、俺はいつも思うんだ。お前の言う「みんな」って誰なんだ? 「みんな」の中にお前はいないのか?」
「えっ……」
呆れた声からの、ハッとした声。
しかし、ムキになるように反論してくる。
「何の犠牲も出さずに何かを得ようというのですか? それこそ、理想論です」
「あぁそうだな、理想論だろう。でも、理想論だっていう理由で切り捨てていいはずがない。むしろ、それを目指すためにベストを尽くす。それが本来だろう? 仲間を助けたい、救いたい。でも、その果てに犠牲があるというなら、どちらか片方を選ぶんじゃなく、天秤ごと奪って犠牲が無い道を取る。それでいいんじゃないのか?」
「理想論を……」
「お前、それで否定するの好きだな」
思わず笑ってしまう。
それを不快そうに口元を歪める。
「理想論って切り捨てるのは、その理想が届かなくなってからでいいだろう?」
「…………」
無言。
だから、俺は素直な言葉をぶつける。
「俺は、これまで話をしてて、お前に惚れた。だから、仲間になってほしい」
「えっ……でも」
「お前の、仲間に対する思いは本物だと俺は思う。まぁ、向こうがどう思ってるかは知らないけどな」
「…………」
この無言から察するに、その辺は、語らずとも、ってところか。
「さっきはああ言ったけどさ。身を投げ出してまで仲間を守ろうとする、その気概はマジで凄いと思う。きっと俺には出来ない。尊敬する」
「そ、そんなこと……」
「だが、俺は仲間を犠牲にして助かるくらいなら、ギリギリまで救う努力をしたい。それが仲間ってもんだと思う。だから、今、俺はお前を救いたい。限界まで、救う努力をしたい」
「……そ、そんな仲間面されても困ります」
「はは、まぁその通りだな。じゃあ、今は俺の一方的な片思いで構わない。ただ、お前自身が変わりたい、そして俺達の仲間になってくれるっていうなら」
正面から肩を抱く。
そして前髪をすっと上げ、その可愛い単眼を見つめる。
「お前が負っている苦しみ、俺が半分受け止めてやる」
「……えっ」
思わずこぼれる涙。
一つの目。
その左右の目尻から涙が落ちる。
ふつうの人間と同じように頬を伝う涙を、俺は拭ってやる。
「考えておいてくれ。まぁ、今は、ここから逃げることだけを考えよう」
「そ、そうですね……」
前髪を下ろしたその瞬間。
《ユウジ、早く走って! もう間に合わない!》
その言葉が頭に響いた。
すると、弾丸のごとくハルナが飛んでいく。
俺達に気づいたハルナが、同時に怒号を飛ばした。
「ま、まだこんなところにいたんですかっ!? 早く逃げてっ! ニョグタは、もうすぐそこですっ!!」
俺が、ハルナが飛んできた方向を見た瞬間。
ドアが勢いよく開かれると……
その奥からどす黒いスライムが、所狭しと抜けてきていた。