心結び
作者の思いつきのまま書き綴った作品です。多少読み辛いかも知れませんが、お付き合いください。
「やっぱりまだ海に来るには早いって」
6月。そろそろ春も終わって夏、梅雨の時期である。本来ならば梅雨が明けてからが海本番だろう。しかし、今年は温暖化の影響かなんだか知らんが暑い。涼しかったり暑かったり寒かったりで気温も安定しない。風邪を引かないように注意。ちなみに今日は少し涼しめ。
「そうかもしれないね。でもたまにはいいだろ? こんな時期に海にくるなんてめったに無いし」
「俺、潮風ってあんまり好きじゃないんだよなぁ」
愚痴りながらも二人で海岸を歩く。歩く先には人は居らず、プライベートビーチのようだ。
「僕はそうでもないんだけどなぁ。まぁ、人それぞれだからいいけど」
何をしてるわけでもない。ただの散歩。休日を持て余していたからたまにはいつもと違ったことをしてみようとしてちょっと早い海に訪れたにすぎない。という設定。
「てかさ、こういう所は女の子と来るもんじゃないのか?」
春の終わりに浜辺を散歩。今のアベックもこんなことするのかな? アベックってもう死語か。
「さぁね。今の僕は誰か特定の女の子と仲良くするより、仲良くしてる人を眺めている方が微笑ましくて好きだね。それに、僕は皆でワイワイする方が楽しいし」
趣味は人間観察な今日この頃。
「おまえってホントに変わってるよな」
「よく言われるよ。でも、皆が幸せそうにしてるのを見てたら幸せな気分にならない? 皆が楽しそうに笑っていると今日も平和だなぁって」
彼はニコニコと幸せそうに笑っている。彼以外の者が見る限りでは何時でも。
「その幸せの中に自分は含まれていないのに、か?」
彼は歩を止めて真剣な顔でもう一人の彼を見つめる。
「もし君が誰かと結婚したなら僕は心から君を祝福するよ。君たちが幸せなら僕も嬉しいしね。てことで、是非式には呼んでくれたまえ」
そんな彼の真剣なムードなど関係なしにマイペースな彼。そのまま歩き続ける。
「アイツのこと…もう忘れたのか?」
その言葉にマイペースだった彼も立ち止まる。
「…忘れるわけないだろ? でも、もう大丈夫だよ。僕はもう…大丈夫だ」
彼の言葉はまるで自分に言い聞かせているように聞こえた。その言葉とは裏腹に大丈夫そうには見えなかった。
「俺から見れば、全然大丈夫そうに見えない。むしろ、無理矢理忘れようとして、それでも忘れられなくて…今にも潰れそうに見える」
「…いつから気づいてた?」
「…少し前からだな。…無理はするもんじゃない」
「無理か…。そんなつもりは無いんだけど。そう見えるってことはそうなのかもしれないね」
「オマエの心は分からないけど、オマエは辛そうに見える。周りに心配かけないように能面のような笑顔を貼り付け、必死で道化を演じて、ふと一人になったとき、何か虚空を見つめている」
「ふふっ、よく見てるね。親友にこんなに心配されて、よく見てもらえて僕は幸せ者だ」
彼は少し寂しそうな顔で笑っていた。何時ものように。
「オマエはそれでいいのか? そのままアイツを背負い続けて生きていくつもりか?」
今までタブーとしていた言葉を発してしまった。後悔の念が頭を過ぎる。しかし、もう遅い。
「彼女は海で一緒に遊んでいて、脚を攣ってパニックになって、溺れて死んでしまいました。助けようと努力はしたけど、僕には無理でした。でも、助けようとはしたんです。見捨てたわけじゃありません。…とは僕には言えないよ。正直なところ、僕があの時助けてあげられれば、力があれば、あんな深いところまで行かなければ、もっと注意していれば、海になんて行かなければ…なんて後悔ばかりだ。あんなことになる前にもっと色んなところに行きたかったとか、色んなことしたかったとか…」
彼は自嘲気味に『全部今更だけどね』と付け足した。
「………」
彼には何も言えない。その場に居合わせたわけでも、大切な者を失った悲しみを知っているわけでもなかったから。人の心はその人にしかわからない。悩みがあって、それを誰かに相談して、『お前の気持ちはよく分かる』という人がいる。結局その人は分かったつもりでいるだけ。自分の思ったことで合っているはずだと勝手に思い込んでるだけ。何も分かっちゃいない。分かる筈も無い。その人の心はその人だけのものだから。
「君は知ってるかい? 孫も見れず、結婚式のウエディング姿も見れず、成人式の振袖姿も見れず、一緒に酒も飲めず、命の危機に何も出来ずに子を失った親がどんなものか…」
彼は今にも泣き出しそうだった。しかし、もう止まらない。封印した筈の過去と心があふれ出す。
「酷いものだよ…。あんなに酷いものはない…。あれこそ地獄だ…」
彼はその場に屈んで、砂を弄り始める。
「…彼女が死んだって分かったとき目の前が真っ暗になって、何故こんな目にあわなければならないんだって思った。何故彼女が死ななければならないのかって…。見た目ではただ顔が白いだけで、眠っているようにしか見えないんだ…。今にも目を開けて、いつもの笑顔を向けてくれそうな気がした。でも、触るととても冷たくて…。…僕は世界に絶望したよ。病院の屋上から飛び降りようとしていたところを看護士さんにみつかってベッドに縛りつけられた…。やっと落ち着いた頃。というより、何も考えなくなって病院の天井を見続けていたとき、彼女のお母さんが来た。お母さんはずっと僕に謝るんだ…。泣きながらずっと…。謝るのは僕の方なのに…。悲しそうに、凄く悲しそうに僕の心配をしてくれるんだ…。何も考えなくなっていた僕もとても申し訳なく思ったよ…。その場で首をかき切って、心臓を抉りとって差し出したいほどだった…。お父さんはね…僕の病室に来て最初は彼女との思い出とか話すんだよ。小学校の頃はどうだったとか。でもね、段々と悲しさに蝕まれて、部屋に飾ってあった花瓶で僕に殴りかかってきたんだ。当時の僕には何もなくて、ただ悲しくて、お父さんが怒るのも無理はないのも分かってて、そのまま殴り殺されてもいいかなと思って目を瞑ってじっとしてた。でも、花瓶は床に落ちて割れ、お父さんはそのまま泣き崩れた。娘を返してくれってずっと泣いてた…。僕なんかよりずっと深い悲しみを抱えていたのに自分のことで精一杯で僕には何も出来なかった。最初から最後まで…」
彼の目から一粒の涙が零れた。そして、堰をきったように膝を抱えて泣き出した。
「そんなことが…」
彼が入院していたことも、彼女が死んでいることも知っていたが、内容までは知らない。初めて聞く話に驚いていた。
彼女が死んだと聞かされ、葬式に行って、彼が入院していることを知って、彼が助けられ無かったせいで彼女が死んだと聞いて、病院に乗り込んだ。彼に散々な罵声を浴びせて帰って、彼が退院して、雰囲気がガラリと変わっていることに驚いた。第一人称が俺から僕に変わり、喋り方も弱くなった。病院で見たときとは比べ物にならないくらい元気になってて、彼女のことなんて1から100まで綺麗サッパリ忘れているみたいだった。常に顔に笑みを絶やさず、回りに優しく、おどけて空気を和らげ、悩みは真剣に聞いてやり、何事にも率先して挑戦し、努力は絶やさない。まるで完璧。怖いくらいに彼は変わった。でも、よく見れば違った。明るくなっていたのは表面だけで、中は夜の海のように真っ暗だった。笑みは貼り付けているだけ。そうしなければ泣いてしまいそうだったから。常に優しかったのは失いたくなかったから。ムードメイカーだったのは笑っていて欲しかったから。悩みを親身に聞くのは悲しい人を見たくなかったから。努力を続けていたのは無力な自分が嫌だったから。彼の心は空っぽなのに、とても冷たいのに、優しく、温かかった。皆、表面上の優しさだけ見て、内面の悲しさに気づくことはなかった。でも、彼だけは気づいた。仲がよかったから気づけた。気づけてよかったと思った。彼の心は放っておくには危険すぎる。このまま放っておけばいつか壊れる。そして、もう戻らない。
「…君が病院に来たとき言ってたよね。オマエがついていながら、これはどういうことだって。まったくその通りだよ」
彼は後悔した。何も知らなかったとはいえ、彼を追い詰めていたことに。大切な仲間を失った悲しみに任せて散々な罵声を浴びせた、まだガキだったころの自分を殴ってやりたくなった。彼は自分の比じゃない程に苦しんでいたのに。
「あの時は何も知らなかった。だから許してくれとは言わないし言えない。でも、それでも、今まで何で俺に相談してくれなかったんだ!」
彼らは昔から。それこそ小学生時代から連れ添ってきた親友だ。だからこそ何も言ってもらえなかった寂しさがあった。
「それは、誰かに頼ることができる人の言葉だよ。僕には無理だ。あの地獄に君を引きずり込むわけにもいかない。でなければ、こんなことにはなってない」
彼に相談していれば手を尽くしてくれただろう。それでも、死人は戻らないという無力感に苛まれていただけだろう。彼は優しすぎる。だから、言えなかった。
「自分が無力だって知るとき、もどかしいな…」
「君は僕の親友だ。君は無力なんかじゃない。僕の心に気づいてくれた。感謝してるよ。できれば、これからも僕の親友でいてくれ。僕はもう変われないだろうから、彼女を忘れることは出来ないだろうから。このまま歪んだまま生きていくと思う。たまに愚痴とか聞いてくれると助かる。不思議だね…君といると心が軽い。これでもいっぱいいっぱいなんだ」
彼は笑っていた。いつものような能面じゃなく、心で。
「でも、代わりに君を僕のようにはしない。君が大切なものを失いそうになったときは僕の全てを賭けて助けてやる。こんな痛みは僕だけで十分だよ…」
いつの間にか、彼の涙は止まっていた。立ち上がり、決意を込めて彼を見つめる。
「やっぱりオマエは強いな。俺には真似できない」
「真似する必要はないさ。こんなのは真似しない方がいい。その方がきっと幸せだよ」
彼はとても優しくて強い。悲しいことだが、これは彼女がくれたものだ。彼女の命が教えてくれた。
「あんまり無茶するなよ」
「今の僕には親友様がいてくれるから大丈夫さ。でも、今更人間観察は止められそうにない。体に染み付いてるみたいだ。今までとは違ったものが見えそうで楽しみだしね」
今までは空っぽで冷たかった心が満たされ、温かくなっていくのが分かる。それでも彼は優しく、強いままだった。
「そうか。まぁそんな生き方もある。でももう少し輪の中に入ったほうがいいと思うけどな」
失った時を恐れて人に踏み込もうとしないのはきっと悲しいことだから。失うのが怖くて、必死になって、自分を磨り減らして、心では泣いているのに、顔では笑って、誰にも何も失って欲しくなくて、自分を犠牲にしてでも笑っていてほしくて、でもそんなことは不可能で、無力を感じて、また磨り減って。そんなことの繰り返し。そんな皆の幸せだけを願う優しい彼の心は決して幸せにはなれない。必死になりすぎて、他人のことで手一杯で、自分のことまで手が回らない。でも、彼の心に救いの手は差し伸べられなくて。それではきっと幸せではないから。
「そうだね、考えて置くよ。よし! 肌寒くなってきたし、そろそろ帰るかな」
気づけば夕方。時刻は7時。パラパラとはいた人たちも誰一人いなくなっている。
「そうだな。腹も減ったし、帰るか」
そう言って彼はスタスタと一足先に歩き出す。
そんな彼の背中を見ながら彼は立ち止まる。
「じゃあまたくるね、空ちゃん」
夕日を反射して眩しく光る海に向かってそう囁いた。
おしまい
人間の温かさが希薄になっている世の中で、彼らのような人間が存在し続けることを願います。
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