細々したものを片付けます。
洋菓子店の朝は、細々した仕事が多い。
やっぱりこれも、どんな仕事でもそうだろうし、ここでは朝だけじゃけど。
他店に朝の便で送るプチケーキの準備が終わり、使い終わった器具を洗浄機に入れる。
刃物や小さなものは洗浄機に入れられないものは、手で洗ってダスターで拭いて元の場所に戻しておく。
小さいものは流しで紛失しちゃうかもしれないし、刃物は危険だからだ。
まだ、洗浄機が動いてるから、川ちゃんが出した空焼きされたシュー皮をもらって、クリームを入れるための切れ込みを入れる。
その間、川ちゃんはシューに入れるクリームを作ってくれていた。
川ちゃんは早川さんといい、3店舗それぞれに卸してるパイなどを作る焼き菓子工場で働いていた人だ。
元々、この店舗のパティシエは今の人数と同じ3人だったけど、前の責任者は人事異動で大将と入れ違いに本店へ。
お松さんではないもう1人のパティシエ…その人は女の人だったからパティシエールが、寿退社するとのことで、急遽こちらに来てくれた人らしい。
なので、川ちゃんという呼び名も工場時代のものだったりする。
何故に早川なのに川ちゃんなのかといえば、どうも他に“早”と苗字に付く人がいたらしい。
黒い縁のシャープな眼鏡をかけている、背は大将の次に大きい人だから、それなりに身長がある方だと思う。
指は細くて長い、如何にも器用そうで綺麗な手だ。
…そう聞くと、手の綺麗な眼鏡男子でさぞモテるだろうな〜と、思うけどそうでもない。
少なくとも、この店舗の販売の人たちと工場の人たち女子社員の間では『不憫な人』という、不名誉な立位置である。
エピソードは数あるらしいが、今のタイミングでこの店舗の厨房所属になったのは不憫といえる。
何せ、機嫌の良し悪しで態度が変わる上司に、頼りない年上の同僚、下っぱの私はよく怒鳴られてて、そのとばっちりを受けることが多い。
いや、それに関しては申し訳ない……。
お陰で、身長とパティシエという職種にも関わらず、薄い身体の持ち主である。
しかも、胃薬常備の。
まだ、20代後半なのに、背中に哀愁漂わせているんだよね。
そのせいで、異性というよりもなんだか慰めなきゃいけない存在として、女子社員たちには認識されている。
「おい、犬江。さっさとクリーム絞れっ!予約入ってんだろ!!」
川ちゃんが作ってくれたクリームを受け取ると、アントルメをお松さんと箱詰めしていた大将が怒鳴る。
大将は今日、シュークリームの予約が入ってるというが、私は返事の代わりに眉間に皺を寄せて予約伝票を見に行く。
今日の予約伝票が貼ってあるボードは、お松さんが持っていてふたりで確認する。
確かに、開店後直ぐの予約だけど。
「チーフ、これは明日の予約ですが……」
恐る恐るいうと、眉をつり上げた状態で大将が伝票を引ったくる。
日時を確認した大将は、みるみる内に顔を怒りで赤くする。
「早川っ、テメー、どこ見て伝票貼ってんだよ!作り過ぎただろうがっ!!」
「すみませんっ!!」
苺のへた入れに使っていた、マスカルポーネの空容器が投げ付けられる。
川ちゃんに当たることはなかったけど、へたが散乱して空容器は軽い音を立てて床に落ちた。
私とお松さんは、ふたりで川ちゃんの謝罪を黙って聞いてる他なかった。
ましてや、『それ昨日貼ってたの、大将ですよー』なんて、ホントのことはいえる空気ではない。
何故、ここで川ちゃんが八つ当たりされているのかは、彼が不憫という魔物に好かれているからだろうか。
だっ、大丈夫だよ、不憫の魔物だけじゃなくて、可愛い嫁と3才になる娘にも好かれてるからっ!!
ひっそり、心の中でエールを送りつつ、安全圏までこっそり逃げる私とお松さん。
あーでも、空容器と苺のへた片付けるの、私だよなぁ…。
下っぱも、意外に不憫な役回りだと思う、8:35のことだ。