キャンディと初恋の。
『ガトーショコラと…』から一ヶ月後のホワイトデーのはなし。
木曜日なのに、人が多いのはホワイトデーだからか?
さっきまで降っていた雨が止んだのに、どことなく寒く感じてコートの前を合わせて風が中に入らないようにした。
さすがに普段の出勤用にジャケットと違って、このコートにはボタンは付いているものの留める用じゃなくて飾りである。
むしろ、寒いからといって留めたらバランスが悪くてかっこ悪い。
世の女子は、寒い中でも短いスカートで闊歩してて、オシャレに対する我慢強さは称賛に値すると思う。
私も一応、女子の一人だけど普段の服装からその括りには入れない。
「あれ…珠稀ちゃん?ねぇ、珠稀ちゃんだよね!」
「…はい?」
同じように待ち合わせをしていると思っていた一団から、背が高くてスタイルの良い女の人がすごい勢いでやって来る。
あっちは私の名前を連呼してるけど、見覚えのない私は困惑気味に後退った。
勢いもそうだけど、なんなんだ、怖い…
「あたしあたしっ!ほら、保育園でひよこ組から一緒だった~」
メイクで彫りの深さを強調しているのに、名前の知らない彼女は人懐っこそうな笑顔を浮かべて思い出話をしてくる。
クール系を目指しているのなら、行動も統一してほしい。
「ほら、お昼寝中の時間に先生たちの監視をかいくぐって冒険したりさ~」
「…もしかして、│恵湖ちゃん?」
思い浮かんだ名前をいえば、目の前にいる女の人は喜色満面で正解を告げた。
「あったり~!!」
「冒険っていったって、園長室の前で大泣きして見付かったでしょ」
園長先生がデスクの影でこっそりひとりでお茶しているのを、鬼婆が生き血を啜ってると勘違いして大泣きしたっけ。
見付かったのはいたずらっ子二名だけじゃなくて、早弁ならぬ早おやつをしていた園長先生もだった。
すまん、園長先生!
「でも、本当に久し振りだね。元気してた?」
「あたしが元気ないなんて、ありえないよ!珠稀ちゃんも元気そうでよかった」
「うん、卒園してから別の学校だったからね」
かれこれ、十四年ぶりというわけか。
当時から背が高かった恵湖ちゃんは更に背が高くなって人懐っこい性格はそのまま、スタイルの良いカッコいい女子に成長しているから、声を掛けてもらえなかったらきっと気付かなかったはずだ。
そう思えば感謝したいけど、もしや私って園児時代から大して変わってないって…こと、か?
「そうそう!いまからご飯食べに行くんだけど、先に集合場所にいるあたしの友だちが、同じ保育園出身なんだ。ちょっと会って行かない?」
「えーと…」
期せずして再会した保育園時代の友だちと、このまま別れるのは正直いえば寂しい。
だけど、今は少し難しいのだ。
困った顔をしているのだろう、私の表情から察した恵湖ちゃんは眉を下げる。
「あっ、待ち合わせしてた?」
そうなんだよね…曖昧に笑っていれば噂をすれば影…じゃなくて、携帯に着信。
「お疲れさま…えっ、まだ仕事?どれくらい掛かる?…そっか、しかたないね」
申し訳なさそうな電話の相手に、どうしようかと思案していると放置する形になった恵湖ちゃんが乱入してきた。
「こんばんはーっ!あたし、珠稀ちゃんと同じ保育園に通ってた恵湖でーす!」
「けっ、恵湖ちゃん!?」
近いところでの大声に狼狽えてそちらに意識を向ければ、思いの外至近距離に顔があって仰け反ることとなった。
助け船のつもりか、私が電話を受けたときに横で色々話し掛ける姫先輩と同じなのだろう。
通話中に乱入したのに、まったく悪びれた様子がない。
いや、電話の相手も笑ってるから別に良いんだけどね。
「えっ、うん。そうそう、よく一緒に写真に写ってる背の高い子。…よく覚えてるね」
忘れてた私と違って、会ったことがないはずの電話の向こう側の人の言葉に見えないのに頷きつつ、二、三言葉を交わす。
「うん、うん。…聞いてみるね。恵湖ちゃん」
「なにー?」
「ちょっと、待ち合わせしてる人が仕事で遅れるんだけど…」
「っ!よかったら、あたしらと一緒にいればいいよ!ちょうど一人、友だちが来れなくて一人分席も空いてるし、寒空の下で待つよりもお兄さんは安心でしょ?」
「?…ありがとう」
一人で待ちぼうけするよりも、友だちと一緒にいさせてもらったらどうかといわれて、ダメ元で聞いてみたら意外にもあっさりと受け入れられた。
言葉の中に気になる箇所があったけど、一先ず電話の相手に報告をする。
「うん、大丈夫だって。こっちのことは、気にしないで。じゃあ、仕事頑張ってね」
携帯を切れば、ニコニコしてる恵湖ちゃんに促されて歩き出す。
どうやら、近くの店を予約しているらしい。
「それにしても、お兄さんと仲良いね。年が離れてるからかな?」
「お兄さん?」
「えっ、そうでしょ?若い男の人の声だったし、仕事してる人みたいだし、何か親しげだし。保育園の頃の写真とか見てあたしを知ってるみたいだし。違うの?」
携帯でのやり取りで、漏れ聞こえた部分から連想したようだ。
兄とは年が離れて、一緒に保育園に通ったことがないから恵湖ちゃんが知らないのも無理はない。
無理はないのだけど、さすがに待ち合わせして帰るほど仲良くないし、そんな気色悪いことはしない。
「いやー…うん、オニイサンです」
間違いではない、年上で妹がいるから『お兄さん』で間違いじゃない。
ただ、私の実兄ではないけども。
彼が小さい頃のアルバムを見たことがあるのは、その実兄が酒の肴に持って来て開いたかららしい。
ちなみに、私には事後報告である。
恵湖ちゃんが飛び出してきた一団に合流すると、一番最初に声を掛けてきたのは男の人だった。
「おい、恵湖。遅いぞ」
「ごめん、ごめんっ!そこで珠稀ちゃんに会ってさ!ほら、│高臣は覚えてない?保育園のときにあたしとずっと一緒だった、珠稀ちゃん」
えっ?女の子じゃなかったんだ…。
驚いてただ黙って二人を見ていると、怪訝そうな顔でこちらを見る高臣氏と目が合う。
ん?あれ、なんか見覚えのある面影が…ってあぁぁぁぁっ!?思い出したーっ!?
「珠稀?」
「高臣も年中さんのときから、同じ組だったでしょ」
思い出すな!思い出してくれるなよ!
戦々恐々とする私に気付かず、どうやら思い出せなかった高臣氏はさっさと諦める。
「まあ、いいけど。じゃあ、面子は揃ったんだな?」
「面子?急に来れなくなった子以外は、みんな来てるよ?」
「お前…、聞いてないのか?まあ、いいか」
「?」
途中参加である私は、高臣氏の言葉に首を傾げる。
恵湖ちゃんに今日の集まりについて聞いてみれば、彼女からは友だちとご飯をするといわれた。
「今日は、高臣の男友だちとあたしの女友だちとでご飯食べるんだ~一人行けなくなったって、高臣に連絡したら一人連れて来いってやたらうるさくてさぁ。あっ、お兄さんが迎えに来たら行っても良いからね!」
途中参加で途中退場って、いいのかなぁとも思うけどお言葉に甘えさせてもらおう。
予約していた店に着くと、高臣氏からはじめて男の人たちが自己紹介をはじめ、次に恵湖ちゃんやその友だちが挨拶をし出す。
初対面なのかな?
「犬江珠稀です」
「あたしと高臣の保育園のときの友だちだよ!よろしくね~」
みんなにならって自己紹介をすれば、何故か男の人たちにガッカリされた。
まあ、美人さんになった恵湖ちゃんの友だちにしてはランクが下がるだろうけど、あからさまだ!
一人はワンピースの胸元を見てるけど…これ、あんまり着てないからパスタのソースとか飛んでないはずなんだけどな…
汚れていないはずの胸元を払って、場違いに思いながらもイスに深く座り直した。
食事が運ばれてきた頃には、なんとなく打ち解けてきた雰囲気になり、横に座った恵湖ちゃんの友だちが高臣氏に声を掛けている。
「何か、保育園のときの面白いエピソードないのー?」
恵湖ちゃんと高臣氏は、所謂幼馴染みらしい。
保育園だけじゃなくて、大学まで一緒な本人らとしては腐れ縁だそうだ。
それだったらまあ、話題も尽きないだろうと暢気にしていたのがいけなかった。
「そーいや、珠稀に告白されたことあったな」
ゴフッ
変化球を食らって、むせ返る。
今ここで、思い出すなーっ!!
とはいえ、叫ぶわけにはいかずに引き攣った表情で続く暴露を聞いてるしかない。
「えぇ~、そうだったの?」
興味津々な女性陣と、ニヤニヤ笑う男性陣にわざわざこんな話題を提供するなよ。
面白くも何ともないのに!
当時、保育園児だった私は確かに高臣氏が好きだったのだ。
彼は運動神経が良くて、しかも面白くてクラスの人気者だった。
そんなんだから、私だけじゃなくてほとんどの女の子が、彼を好きだったと思う。
“好き”ではあったけど、まるで流行りを追うみたいな感じだったように今は思ってる。
それはきっと、今の高臣氏もわかっているようだ。
だからこそ、ここで過去の笑い話として話題を提供してるんだろうな。
こっちとしては、居たたまれなくていい迷惑だけどっ!
「どんな感じだったんだよ?」
「うーん、確かプール裏の人気のないところに呼び出されてな。珠稀は、おやつに出た飴ちゃん持って来てた」
「なんか、微笑ましい~」
しかも、意外と詳細を覚えてるっ!?
確かに、飴が好きだって聞いて、おやつに出たのを取っておいて渡したはずだけど、渡した方はいわれるまで忘れてたよ!
「へ~、初恋ってやつね!珠稀ちゃんも可哀想に。よりによって、こいつに大切な初恋を捧げるなんて」
そんな、大それたものじゃないと思うんだけど…。
「ふぅん、初恋ねぇ…」
聞き慣れた声にバッと振り返った私が見た彼は、唇は弧を描いているのに気のせいか、目は笑っていなかった。
「あっ、お兄さんが迎えに来てくれたんだね。よかった~」
「ははっ…そうだね」
ニコニコ顔の恵湖ちゃんみたいに素直に喜べないのは、相手の目が笑ってないからです!
「はい、先月のお返し」
「ありがとう!」
希望通りのホワイトデーのお返しの品にニヤニヤしていると、彼は『そういえば』とコーヒーの入ったマグカップをテーブルに置きながらいった。
「ホワイトデーのお返しにも、色々意味があるらしいな」
「あ~、そうだったね」
学生の時に友だちと騒いだことを思い出して、お菓子の名前を挙げていく。
「確か、本命がクッキーで断るときはキャンディ、義理はマシュマロ?」
「俺が知ってるのは、本命がキャンディだった」
さっきの保育園時代の話を思い出して、顔を背けた。
いや、別に何も後ろ暗いことはないし、そもそも当時は保育園児だ!
「私はもらった物見て、一喜一憂はしたことないなぁ」
何せ、身内以外でホワイトデーのお返しはもらったことはないからね。
まあ、ある意味一喜一憂したか。
どこのお店の、どんな洋菓子くれるかって。
「へぇ…さっきの彼は?」
何故、蒸し返してくるんだ…。
あれか、私と恋愛なんて組み合わせが珍しいからか。
すると、私の反応が気に食わなかったのか、ムッとした表情をされる。
「何もないどころか、そっこーでフラれたよ。どうしたの、機嫌悪いみたいだけど?」
うちの愚兄と間違えられた挙げ句、私が訂正しなかったからか。
納得して一人、頷いていたらどうやら違うらしい。
「…さっきの集まり、どう見ても合コンだったぞ」
「あぁ、あれが合コン」
あのアウェイ感、なるほどあれが噂の合コンか。
納得して一人で頷いていると、彼はガックリと肩を落とす。
「友だちが、一人友だち来れなくなったからよかったら来たら?っていってくれて」
「頭数合わせだ、それ」
「…知らなかったという思うよ、合コンだったって」
「まさか。…いや、タマの友だちならありえるか」
どういう意味だ、それは。
追及しようとしたら、話を逸らされた。
「うちの後輩が、張り切って一式準備してたんだ」
「何を?」
「キャンディ、クッキー、マシュマロ」
どうやら、後輩くんもどれが本命用かわからなかったようだ。
「結果は?」
そんなの、一ヶ月ひっぱっておくようなものじゃなかたよね。
結果もすでに想像付いてたけど、一応はそう聞いてみる。
「『ホワイトデーのお返しは三倍でしょ』っていわれたらしい」
えっ、えぇ~
「うちの職場に悪魔がいます」
「せめて小悪魔にしとけ」
だって、すでに三倍だよ。
クッキー、キャンディ、マシュマロで。
まさか、値段…か?
て、照れ隠しでしょ、絶対。
若干、姫先輩の言葉に引いていると、さっきもらったばかりのラッピングを何故か彼が取りはじめる。
ダークブルーのリボンを外し、箱を空けて中身を取り出した彼はそのうちの1つを取り出して私の口元に持って来てくれた。
「ん」
唇に押し当てられて、わけがわからないながらも口を開いてマカロンを迎え入れる。
少しずつ咀嚼していくが、マカロンを唇に押し付けるのを辞めない指が最後の最後、一欠片を押し込むまでずっと添えられていた。
おかげで、指を食べ掛けたよ。
「む~」
抗議の意味で呻きつつ、軽く指を食むと焦点が合わないほど近いところにある大きな手がビクッとなった。
どうやら、こっちが甘噛みのつもりでも、相手は噛まれると思ったらしい。
ふふ~ん、怖いなら離せば良かったのに!
ペッと指を解放してあげれば、今度は代わりに柔らかなものが押し当てられる。
これが、『チュッ』だなんて可愛げのある音から生々しい音になる頃には、ぼんやりと至近距離にある、普段店に来るときは穏やかそうに笑っている顔を倒れた状態で見上げることになり、我に返って慌てることになった。
「なんか、先月も見たような…って駄目!明日は出勤っ!!」
「…ッチ」
「舌打ちーっ!?」
とはいえ、あらぬところを彷徨ってた手が止まったところを見れば、諦めてくれたんだろう。
危なかった…。
「ほら、マカロン食べましょう!このシャンパーニュっていうのあげるから!」
熱が燻る目は見ないフリしつつ、今度は私がマカロンを食べさせる。
シャンパーニュっていうのはシャンパンのことで、ラム酒やブランデーよりは薄いけど、少し大人な香りがした。
自分が贈ったものを食べることになった彼は、複雑そうな顔をしながらもそのまま大人しく差し出したマカロンを食べる。
「…なんだか、ねっとりした食感だな」
「まぁね」
アーモンドプードルを使った洋菓子は数あるけど、泡立てた卵白に粉砂糖とグラニュー糖も使うせいか、ねっとりした食感なんだよね。
中身のガナッシュも店によって違うから、私個人は好きだけどどうやら彼の好みではないようだ。
私はバニラビーンズが入った薫り高いガナッシュが挟んであるマカロンを新たに食べはじめる。
うん、確かにねっとりしてるけどおいしい!
口の中に残ったマカロンを、コーヒーで流し込んだ彼がぽつんと零した言葉は意味がわからなかったからスルーしとく。
「犬には首輪、猫には…リボンだな」
…なんだろう、若干怖い気がする。




