愚かで哀れな少女はただ嗤う
まだ陽も高い時間帯だったが、そもそも明かり取りが少ない聖堂内は薄暗かった。その中を少女はゆっくりと進んでいく。
正面に据えられた聖印を目指して、ただ呆然と歩み続ける。
教団の、あるいはこの運動の旗印でもあった彼女が処刑されて、教団はあっという間に瓦解した。
それは砂の城が波にさらわれるかの如くにあっけなかった。
彼女が居なくなってからまだ一年も経っていなかったが、信者はほとんど去っていた。
……だから、聖堂内は静かだった。
聖印の前に辿り着いて、少女はそれを見上げる。
ずっと、少女は必死だった。
この教団を潰すことだけはしたくなかった。それがむざむざ殺された彼女に報いる唯一のすべなのだと信じて、この一年間というもの少女は必死に努力してきた。
――努力してきたと、思っていた。
けれど。
ここはもう崩れかけている。
何もかもが、徒労に終わってしまった。
(……どうしてこんなことになってしまったのだろう?)
ぼんやりと思って、そして少女は引き攣った笑みを浮かべた。
どうして?……決まっている。わたしでは無理だったのだ。
彼女に代わって教団をまとめようとした。けれど、少女にはできなかった。
少女は、彼女のようにはなれなかった。
「聖女」の形容にふさわしく気高かった彼女には、遠く及ばなかった。
当たり前だ。だってわたしなんかにできるわけがない。わたしはそれを知っていた。自分が彼女にはとうてい及ぶはずもないということに、心のどこかで気付いていた。
そして今、ソレを言い訳にしている。
だからほら、彼女の教団が消えてしまいそうな今も心はそれほど波立っていない。落ち着いている。
彼女が命を懸けて創りだしたものが消えようとしているのに。
こんなにも冷静に、受け入れようとしている。
「馬鹿だ…そうよ、どうせ最初から無理だったんだ……くく…あはははっ!!」
前触れもなく、少女は哄笑した。その笑い声は聖堂内に反響する。神経質な高い声が壁に吸い込まれていく。
やがて笑い疲れたのか、少女は笑うことを止めた。俯いて、肩を震わせる。
――あぁ神よ……神さま…
思わず、祈っていた。
いつだって少女は神になど祈らなかった。未だかつて一度とてソレが誰かや何かを救うのを目にしたことがなかったから。
信じられたのは、実際に目の前にあって手に取ることができるモノやコトだけだった。
……けれど、祈ることぐらいしかできない現実もまたこの世界には存在することを、少女は身をもって思い知る。
(わたしは、あぁ、わたしは…)
「――わたしは、醜い…!!」
絶望に満ちた呟きとともに、立ちつくしていた膝ががくりと折れ、少女はその場に崩れ落ちた。
その眸は、はるか頭上にある聖印に向けられている。
まるでその一点に釘打ちされたかのように、少しも視線を動かすことなく、苦痛に満ちた眼差しで呆然と見つめている。
(……わたしは、自分の力では何も成すことができないくせに、口先では大きなことばかり言っている、見苦しくて卑しい人間なんだ…!!)
けれど、と少女は思う。
生き延びたのはわたしで――彼女は死んでしまった。
何も成すことのできないわたしが生き残って、誰よりも何よりも尊かった彼女が…彼女だけが死んでしまった。
なぜだ?
口約束だけで満足して、あとは何もしようとしない臆病者のこのわたしを…
なぜ、生かした?
(……なぜ、わたしを生かし、彼女を殺した?)
細微な意匠が施された聖印を見つめながら、少女は思う。
それとも、わたしが何も成せずただ漫然と生きていることが、そしてその惨めさを痛いほどかみしめているこの日常こそが「報い」なのだろうか?
彼女が死んだからといって何が変わるわけでもなかった、この"世界"の現実を目の当たりにすることが。
そして、無力なままに生きている己を知ることが。
(……何も変わらなかった。このわたしですら、ちっとも変わっていない…)
やがて少女のその眸に、まるで湧き出す清水のように涙が滲みはじめた。だが少女は懸命にそれを堪える。
苦しい。
泣きたい。
(だが、わたしには泣く資格すら無いんだ)
少女は唇を噛みしめて聖印を睨みつける。眸の水が零れないように。だってこの涙は彼女のためのものではない。わたしは彼女のために何もしなかったのだから、この涙だって彼女のためのものではありえない。
自分のための涙など見苦しいだけだ。
いっそ、涸れてしまえ。
もはや無意味な細工物でしかなくなった聖印を睨んで立ちつくすしかないちっぽけな自分を笑う。なんて見苦しいことだろう…だがこれは報いなのだ。
(ならば、せいぜい見苦しく生き延びてやるよ…)
渇いた目を精一杯歪めて、少女は自嘲の笑みを浮かべる。