ある使者 :約2500文字 :天使
「世界、終わるわ」
「……はい?」
ある日、神は天使を呼びつけ、ぽつりとそう告げた。
そこは天界。淡く金色を帯びた陽光がやわらかく降り注ぎ、白く広がる雲海が果てしなく続いている。静謐でどこまでも穏やかな場所。神も天使もこの永遠の安らぎの中で時を過ごしていた――はずだった。
「終わるわ、世界」
「いや、語順を入れ替えられても……。どういうことですか?」
「人類を終わらせることにしたのだ。こう……ポン! とな」
神は指をぎゅっと合わせ、そして開いて見せた。天使は怪訝そうに眉をひそめ、小首を傾げた。
「はあ……まあ、神様がそうおっしゃるならお止めはしませんが、理由は……?」
「――だ」
「え? すみません、よく聞こえませんでした」
「……まあ、そこは気にせんでよい。人間たちには心当たりがあるだろうしな。それよりも、お前にはそのことを人間たちに伝えてほしいのだ」
「えっ、なぜ僕が? 神様なら一瞬で済むでしょう。夢に現れるとか、空に文字を浮かべるとか。直接語りかけることだってできますし」
「人類を終わらせる準備で何かと忙しいんだ。いいから頼んだぞ」
「ポンと終わるはずでは……」
矛盾を指摘したところで、神が聞くはずもないのである。こうして、天使は渋々下界へ降りていった。
さて、人類の終わりを誰に伝えたものか。天使にも品格というものがある。路上に降り立ち、誰彼構わずに世界の終わりを喚き散らすなど、あまりにも無様だ。ここはやはり、地位や影響力のある人間に伝えるのがよいだろう。
最初は嫌な役回りだと感じていたが、地上に近づくにつれて使命感が芽生えてきた。選ばれた存在であるという自尊心、選ぶ側であることの愉悦が、じわりと胸を満たしていった。
天使はまず、一国の大統領の寝室に舞い降りた。
夜中、静まり返った室内。規則正しい寝息だけが響いている。天使はふわふわと宙に浮かびながら、自身の纏う光をわずかに強め、目覚めを促した。
すると大統領は低く唸り、ゆっくりと目を開けた。
「な、なんだ……?」
「私は天よりの使い。楽園の小鳥。愛の伝道師。そして時に残酷な子猫。さらに言うなら――」
天使は微笑み、穏やかな声で告げた。人類の終わりを自然な流れで、さも当然の帰結であるかのように。そう、これは悲劇などではない。運命なのだ。
天使は完全に自らの役目に誇りと甘美な愉悦を覚えていた。しかし――。
「……えー、ですからね。何度も申し上げたとおり、人類は滅びるんですよ」
「はん。だからそれは我が国以外の話だろう。わざわざご苦労だったな」
「いや、そうではなくて、全人類が滅びるのです。死ぬんですよ。あなたもね」
「我ら以外な。やはり、私は神に選ばれた存在だ……」
まったく話が通じなかった。大統領は拳をぐっと握り、スマートフォンを手に取ると、何やらSNSに投稿を始めた。天使が何度も言葉を重ねても、 スマートフォンに夢中でまるで聞く耳を持とうとしなかった。
天使は呆れ、仕方なく別の国へ向かった。
だが、結果はどこでも同じだった。大国であればあるほど、その頂点に立つ者の自尊心は肥大しており、天使の言葉をまるで受け入れようとしなかった。誰もが自分だけは例外だと信じて疑わなかったのだ。
小国は小国で、こんな話を公表すれば政敵に『あいつは気が触れた』と格好の攻撃材料を与えることになるのは目に見えているため、揃って口をつぐんだ。
天使は次に、大企業の社長や著名人、影響力のある学者たちのもとを訪れた。だが結果は同じだった。いずれも沈黙を選んだ。
中には、『昨夜、天使が現れて――』と語る者もいたが、周囲からスピリチュアルに傾倒したのではないかと心配されるだけで、人類滅亡の話が真剣に取り合われることはなかった。
天使はその後もさまざまな手段で告知を試みた。
新聞の一面広告に『終末の鐘が鳴る』と大きく打てば、また怪しいカルトの勧誘広告かと眉をひそめられ、テレビの緊急速報のテロップで『神がついに重い腰を上げ、人類を滅ぼす決断』と流せば、「またオールドメディアが」と謗られ、ネットに大量の書き込みをすれば、統合失調症患者の妄想だと蔑まれた。
天使の言葉は罵倒と揶揄のコメントに埋もれていったのである。
どれだけ言葉を尽くそうが手を変えようが届かない。
天使は苛立ち始めた。なぜ伝わらない。どうすれば、この重大すぎるメッセージが人間たちに届くのか。考え続けても、答えは出ず、焦燥が胸の内で膨れ上がっていった。
ついには街頭へ降り立ち、なりふり構わずに人々に直接語りかけた。
人々は足を止めたものの、その意識は天使の言葉ではなく、手にしたスマートフォンへと向いていた。
レンズを向けて笑った。撮影に夢中で、語られる内容など誰一人まともに受け取ろうとしなかった。
動画は瞬く間に拡散されたが、話題になったのは本物かAI生成かどうかという点だけだった。多くの者は企業が仕掛けた宣伝か、個人が注目を集めたいがために作った偽物だと見なし、やはり人類滅亡の話を真に受ける者はほとんどいなかった。
唯一信じ、そして嘆いたのは宗教家たちだった。彼らはそれで生計を立てている以上、さすがに信じないわけにはいかなかったのだ。
しかし、彼らは普段から「終末は近い」などと語っていたため、その言葉はすでに擦り切れていた。信者以外にとっては、またいつものことだと受け流されるだけだった。
万策尽きた天使はふらふらと力なく飛び、やがてあるアパートの一室に迷い込んだ――。
「……あのー」
おれは振り返り、声をかけた。薄暗い部屋の中、パソコンの画面の光と、“それ”の放つくすんだ光に挟まれていた。
「なんですか。まだ途中ですよ」
「あ、はい。すみません……でも、この話を投稿したところで誰も信じないと思うんですけど……その、ほとんど見られていませんし、それに仮に見られてもフィクションだと思われるかと……」
おれは自嘲的な笑みを浮かべて言った。
「でも、あなたは私の話を信じましたよね?」
「え、ええ、まあ……目の前にいますし……」
「なら、それでいいんです。誰にも信じてもらえない気分を味わってくれさえすればね。けけけけけ」
天使は甲高い笑い声を漏らしながら、ぼさぼさに乱れた翼をかゆそうに掻いた。




