第8話:蠢く深夜のバイブレーション、逃げ場のない境界線
食卓を囲む二人の間に流れるのは、テレビのニュース番組の無機質な音声だけだった。
隆は味のしない焼き魚を口に運びながら、香織の横顔を盗み見る。彼女は淡々と箸を動かしているが、その所作はあまりにも静かすぎて、逆に嵐の前の静けさを予感させた。
(……気づいてるのか? いや、確信までは持っていないはずだ。あんな水色の糸屑や匂いだけで、浮気を決めつけるなんて……)
自分に言い聞かせ、必死に動揺を抑える。しかし、その理性を嘲笑うかのように、スラックスのポケットに隠したスマホが、太ももの上で**「ヴッ……ヴッ……」**と、短く、執拗に震えた。
麗華からの追い打ちだ。
香織の視線が、一瞬だけ隆の腰元に落ちる。
「……隆、また鳴ってるわよ。そんなに急ぎの仕事?」
「あ、いや……。グループLINEが騒がしいだけだよ。明日、早いからもう寝る準備するよ」
逃げるように席を立ち、寝室へと向かう。
ベッドに潜り込み、毛布の中でようやくスマホを取り出した。画面の明るさを最低にし、通知を確認する。
『隆さん、寝ちゃったの? ……さっき、主人が帰ってきたわ。でも、私の中にまだ隆さんがいるから、主人に触られるのが気持ち悪くて仕方ないの』
『ねえ、明日の昼休み。いつもの公園の裏で待ってる。……来なかったら、私、どうなっちゃうかわからないから』
狂おしいほどの依存。麗華の言葉は、甘い蜜であると同時に、鋭い棘となって隆の首を絞める。
ふと、背後に気配を感じて振り返った。
寝室のドアの隙間に、香織が立っていた。
逆光で顔は見えないが、その細いシルエットが、暗闇の中で異様な威圧感を放っている。
「……香織? どうしたんだよ、急に」
「……いいえ。ただ、あなたが寝言で誰かの名前を呼ばないか、確かめに来ただけ」
彼女はそれだけ言うと、パタンとドアを閉めて去っていった。
隆は凍りついたまま、スマホを握りしめる。
翌日。
約束の昼休み。隆は結局、抗うことができずに公園の裏へと向かった。
そこには、昨日の清楚な雰囲気とは一変し、大きなサングラスに深いスリットの入ったタイトな黒いスカートを合わせた麗華が待っていた。
「……来てくれたのね、隆さん」
彼女は人目を憚らず、隆の腕に絡みついてくる。その指先が、隆のズボンのベルトに伸びた。
「麗華さん、ここは外だ……! 誰かに見られたら……」
「いいじゃない。……スリルがある方が、もっと熱くなれるでしょ?」
麗華はサングラスをずらし、潤んだ瞳で隆を見上げる。
彼女は茂みの陰へ隆を引きずり込むと、自らスカートを捲り上げた。
「見て……。今日は、隆さんが好きな『赤』にしたの。……昨日、あなたが買っていたあのTENGAと同じ色の……」
そこにあったのは、情熱的で、それでいて毒々しいほど鮮やかな**真紅の総レースのパンティ**だった。
隆の理性が、再び音を立てて崩壊していく。




