第4話 崩壊の序曲、水色の残り香
翌朝。
昨夜の情事の熱が、まるで悪い夢だったかのように、朝の光は無機質に部屋を照らしていた。
隆は重い体を引きずるように食卓につく。目の前では、香織が手際よく朝食を並べていた。
「隆、脱いだワイシャツ、洗濯機に入れておいたから」
香織が背中を向けたまま、何気なく言った。その言葉に、隆の背筋に冷たいものが走る。
(……まずい。麗華さんの匂い、洗っただけで消えるのか?)
「あ、ああ。悪いな。昨日は本当にバタバタしてて……」
「そう。……ねえ、隆。あなたのシャツの襟元、何かいい匂いがしたわ。柔軟剤を変えた覚えはないんだけど。……それに、」
香織が振り返り、その手に持っていたものをテーブルに置いた。
それは、ピンセットで摘まみ上げたような、ほんの数ミリの「薄い水色の糸屑」だった。
「これ、何かしら。私の服には、こんな水色のレースなんてないわよ」
心臓がドクンと大きく跳ねた。昨夜、震える手で外した麗華の水色のブラジャー。あの時、激しい愛撫の中で擦れ落ちた繊維に違いない。
「……あ、ああ、それは、多分……。昨日、電車で隣に座った人の服からでも付いたんじゃないかな。ほら、昨日は混んでたから」
「……そう。ずいぶん『密着』してたのね」
香織の瞳には、感情の読み取れない冷ややかな光が宿っていた。
その時、ポケットの中のスマホが微かに震えた。
『隆さん、おはよう。……今朝、シャワーを浴びたけど、まだ体の中に隆さんの感覚が残ってる気がするの。……ねえ、今日も帰り、寄ってくれるわよね?』
画面を伏せて置いていたが、通知の振動音が静かなダイニングに異様に大きく響く。
香織の視線が、スマホへと注がれた。
「……隆、出ないの? 会社からの急ぎの連絡かもしれないわよ」
「いや、いいんだ。ただの広告メールだよ……」
冷や汗が額を伝い落ちる。
妻の静かな疑惑と、麗華の剥き出しの情欲。
昨夜、麗華の最奥に解き放った代償は、予想以上に早く、そして重く俺の日常を侵食し始めていた。
「隆。今日、帰りにまたドラッグストアに寄るなら、私の洗顔料も買ってきてくれる?」
香織の言葉に、隆は生唾を飲み込んで頷くしかなかった。
ドラッグストア。あそこはもう、俺にとって単なる店ではなく、地獄への入り口にしか見えなかった。




