第3話 冷めた夕食と、消えない残り香
麗華さんのマンションを出ても、下腹部の痺れは引かなかった。
俺の『すべて』を彼女の中に残してきた喪失感と充足感。
「……ただいま」
アパートのドアを開けると、妻の香織がキッチンから顔を出した。
「あ、お帰り。遅かったわね。残業、お疲れ様」
いつも通りの「良き妻」の笑顔。だが、今の俺にはその笑顔が、心臓を抉る刃物に見えた。
「ふーん。……ねえ、隆」
香織がカウンターに肘をつき、小首をかしげる。彼女が俺の首元に鼻を近づけた。クン、と短く鼻を鳴らした瞬間、俺は息が止まりそうになった。
「……今日、駅前のドラッグストアにいなかった? 私、会社の帰りにバスの窓から隆らしき人を見かけたんだけど」
「えっ……。ああ、まあ、のど飴でも買おうかと思って寄ったけど、結局何も買わずにすぐ出たよ」
「そう。……何か、他にも買ったんじゃないの?」
香織の視線が、俺の仕事鞄へと注がれる。そこには、ついさっきまで麗華さんの水色のブラジャーを外し、彼女を掻き乱していた証拠が眠っている。それだけじゃない。今の俺の体には、麗華さんの甘い香水の匂いと、中出しした後の独特な「男の匂い」が染み付いているはずだ。
「……変なもの、買ってなきゃいいけどね。ほら、ご飯温め直すから座って」
香織はそれ以上追求せず、電子レンジのボタンを押した。ピーという無機質な音が響く。
出された夕食を口に運ぶが、全く味がしない。
すると、テーブルの上でスマホが震えた。麗華さんからのメッセージだ。
『今夜は最高だったわ。……まだ私の中で、隆さんが熱いの。明日も、会えるわよね?』
目の前で無表情に箸を動かす妻。
そして、俺の種を体内に宿したまま、逃がさないと囁く隣人。
俺の日常は、あの一瞬で、完全に壊れてしまったのだ。




