水難の相
「……なんて綺麗なの。まるで、世界が蒼い吐息を吐いているみたい」
幻想的で神秘的な光景に、私もピピンも、魂を抜かれたように立ち尽くした。
ピピンに、以前ここへ来たことがあるか尋ねてみると、ピピンは「ありますぅ。でも、前はこんな綺麗な景色じゃなかったですよぅ」と不思議そうに首を傾げた。
私たちは心を奪われたまま、誘われるように蒼い世界を先へ、先へと進んでいく。
恐る恐る壁のように切り立つ水に触れてみると、魔法の幻などではなく、ひんやりとした本物の水の感触が指先に伝わってきた。
やがて、道が途切れる突き当たりに、水で形作られた透き通るような台座が現れる。
その上には、まるで命の灯火を閉じ込めたような、燃えるように紅い宝石が鎮座していた。
「……これが、マダム・ヴェノマの? 記憶なの? それとも……」
私が震える手でそれを取った、その瞬間。
平穏な蒼の世界は、轟音とともに崩れ去った。
激しい揺れが部屋全体を襲い、驚いたピピンが「な、なんですぅ!?」と悲鳴を上げる。
見れば、今まで通ってきた道のあちこちに小さな穴が開き、凄まじい勢いで水が漏れ始めていた。
「ピピン、逃げるわよ!」
私は騒ぎ立てるピピンをひっつかんで抱えると、来た道をエレベーターに向かって必死に駆け出した。
慌てて抱え上げたせいで、ピピンのお尻が私の正面を向き、彼は私の腕の中で逆さまに近い格好でじたばたしている。
「大変ですぅ! セシリア様、後ろから海が追いかけてきますぅ!」
背後を向いたままのピピンが叫ぶ通り、背後からは濁流となった水が、獲物を追う獣のように迫っていた。
ようやく辿り着いたエレベーター。
ビショビショの指でボタンを連打するが、無情にも反応がない。
「閉まらない! どうして!?」
「あわわわ、溺れちゃいますぅ! 綿が沈んじゃいますぅ!」
絶望が目の前まで迫ったその時、私の視界に、はるか上の方で怪しく光る別のボタンが映り込んだ。
「ピピン、上よ! あのボタンを押して!」
私はピピンを呼び、必死の思いでピピンを肩車した。
「あと少し……あと少し……です……」
正面から、すべてを飲み込もうとする濁流が目の前まで迫ってきている。
「えいっ!」
ピピンが短い手を伸ばし、力いっぱいボタンを押し込んだ。
その刹那、重い扉が滑り込み、濁流に飲み込まれる寸前で、私たちは鉄の箱の中で休息を得られた。
……静寂。
聞こえるのは、私たちの荒い鼓動と、密閉された空間の静けさだけ。
沈黙を破ったのは、ピピンの抜けたような声だった。
「……あはは! セシリア様、またびしょ濡れですぅ! 昨日の今日で、水難の相が出てますよぅ!」
ピピンがケラケラと笑い出すと、私の中で張り詰めていた糸がふっと切れた。
「ふふ……、本当ね。あなたといると、乾いている暇がないわ」
私もつられて、心の底から笑い声を上げた。




