月夜のタンゴ
音楽の奔流は止むどころか、夜の深まりに呼応して、いっそう鮮やかで情熱的な色彩を帯びていく。
旋律が広間に満ちるたび、住人たちの「本来の姿」が陽炎のように立ち上った。その生身の輝きを瞳に焼き付けながら、私は悲しみよりも、胸を貫くような愛おしさに支配されていく。
(ああ、みんな……なんて素敵な顔をしているのかしら。今のあなたたちも、かつてのあなたたちも、私は丸ごと抱きしめてしまいたい)
心根に灯った小さな火は、ステップを刻むたびに全身へと伝播し、指先までを熱く染め上げた。
「アルカード様、実は私……ダンスはあまり得意ではないのです」
密やかな告白。それを受け止めるように、彼は私の腰を引き寄せ、耳元で羽毛のごとき優しさで囁いてくれた。
「心配いらない。君はただ、私の呼吸に身を委ねていればいい。光の果てまで、私が連れて行こう」
たおやかなワルツが静かに幕を下ろすと、大広間の空気は一変した。次に響き渡ったのは、情熱的で鋭いリズムを刻む「タンゴ」
アルカード様のリードは驚くほど力強く、それでいて壊れ物を扱うように繊細だ。漆黒の瞳に見つめられるたび、苦手だったはずのステップは魔法のように滑らかに繋がり、一つの物語へと編み上げられていく。自身のぎこちなささえも喜びに変えてしまう、あまりに完璧なエスコート。
「あはは! 見てください、リアムがヴェノマに振り回されてますぅ!」
ピピンの無邪気な笑い声が弾け、無機質な城の空間が、確かな幸福の騒めきで満たされていった。
(このまま、永遠に時が止まってしまえば……)
そんな切実な願いを嘲笑うかのように、運命の時計の針は残酷に刻を刻み続ける。
やがて最後の一音が夜の静寂に溶け、奇跡のような演奏会は終わりを告げた。
「楽しかったわね」
「たまには、こういう夜も悪くないわね」
「見事な踊りだったでしょ!」
「クラクラする……」
住人たちは口々に余韻を語り合いながら、いつもの見慣れた姿。
そしてさらに時が経てば、それぞれの持ち場へと戻っていく。
その背中を見送る私の胸には、小さな棘が刺さったような寂寥感がこみ上げてきた。楽しい時間が終わったことよりも、光に包まれていた彼らの「真実の容姿」が霧のように消え、再び冷たい仮面の下に隠れてしまったことが、たまらなく切ない。
満たされた幸福感と、やるせない孤独。
相反する感情を抱えたまま、私は冷たいシーツに身を沈め、深い眠りへと落ちていった。
――けれど。
閉じた瞼の裏側では、再びあの情熱的な旋律が鳴り響き始める。
夢の中で、私はまた、大切なみんなと手を取り合って踊り出すのだ。
そこには仮面も呪いも、種族を隔てる壁もありはしない。光溢れる広間で、誰もが一番美しい笑顔を浮かべながら、夜が明けるまでステップを踏み続けていくだけだった。




