言葉の楔
「……返して。それは、あなたが持っているべきものではないわ」
私が凛とした声で告げると、白いうさぎは無機質なボタンの瞳を微かに動かした。
「君の物ではないだろう? だが、私の物でもない。……好きにするといい」
許可が出た瞬間、私は足元に転がっていたリアムの肖像画やマダムの靴を、壊れ物を扱うように丁寧に拾い集めた。ピピンも「はい、どうぞっ!」と、私のドレスの裾を鞄代わりにして、ガラクタの中から証拠品を放り込んでくれる。
「なぜこんなことを……。この迷宮は、あなたが造ったの?」
私の問いに、うさぎはどこか遠い場所を見つめるような気配を見せた。
「好奇心はとても良い。だが、相手が信用できるか分かるまでは、その好奇心は時に毒となる。……警告だよ」
一拍置いて、うさぎは静かに言葉を継いだ。
「ああ、造ったのは私だ。だが、自分が何者で、なぜこれほどまでに複雑な罠を造ったのか……その記憶は、この洞窟の砂に埋もれてしまった。ただ、確信している。私は、君のような人間がここへ来るのを待っていた」
うさぎの声には、長い年月をかけて積もった埃のような、深い孤独が混じっていた。
「この奇妙に歪んだ場所を元に戻すには、深い知識、教養、そして何より揺るぎない意志が必要だ。さっきの黄金の道……君の答えは『正解』だった。だが、解釈は間違っていた。それは大きな、そして致命的なミスだ」
「ミス……?」
「答えは『魂』だ。正解すれば良いという生やさしいものではない。もし君の解釈が完全に間違っていれば、今頃君の魂はあの金貨の中に閉じ込められていただろう」
背筋に冷たい戦慄が走る。聖女としての誇りが、わずかなところで私を繋ぎ止めていたのだわ。うさぎは試すように、さらに問いを重ねてきた。
「私は触れることはできないが、城を崩すことができる。私は見ることはできないが、賢者を愚者に変えることができる。私は重さがないが、英雄の肩を一生重くさせる。私は何?」
私は注意深く、その言葉の裏にある重みを測る。一時の情動に流されてはいけない。英雄を縛り、城をも揺るがすもの。
「……『言葉』。あるいは、それが生む『誓い』だわ」
「正解だ。では、次だ。私は鏡の中に住んでいるが、私を見る者は決して私を見ることはない。私が死ぬとき、あなたも死ぬ。しかし、あなたが死んでも、私は別の誰かとして生き続ける。私は何?」
鏡、死、そして別の誰かとして受け継がれるもの……。
私は自分の胸元、アルカード様に与えられた指輪を見つめ、静かに答えた。
「……『名前』。人は名前を見るけれど、それはその人自身ではない。けれど名前が死ぬ(忘れ去られる)時、その人の存在も死ぬ。そして、名前だけは歴史の中に残り続けるわ」
「素晴らしい……」
うさぎが感嘆の声を漏らし、静かに拍手をするように耳を揺らした。
「驚いた。それほどの深い洞察を、一体どこで身につけた?」
「幼少の頃から、教会で学んでいたの。神の教えは、常に言葉の裏にある『真理』を見極めることでしたから」
私は、聖女として過ごしたあの日々が、今の自分を救っていることに皮肉な喜びを感じていた。アルカード様が私から奪おうとした過去こそが、彼が用意したこの迷宮を破る唯一の武器になっている。
「あなた……。本当は、自分が何者か思い出しかけているんじゃないの?」
私が一歩近づくと、うさぎは静かに横に退き、その背後にあった「小さな扉」を開けた。




