浄化の音色
指先に触れるガラスの鍵盤は、ひんやりとしていながら、どこか私の体温を待ち望んでいたかのように優しく馴染んだ。
譜面台に置かれた古びた楽譜。そこに記されていたのは、あまりに懐かしい旋律、フランツ・リストの第3曲『孤独の中の神の祝福』だった。
(……ああ。これ、知っているわ。教会の高い天井の下、光の粒が舞う中で何度も弾いた、大切な曲……)
私はゆっくりと、祈りを捧げるように最初の一音を響かせた。
静かに、さざ波が広がるように音が溢れ出す。
透明な床の下を流れる大気の流れが、音楽に合わせて穏やかに揺らぎ始めた。
うっとりと目を閉じ、頬を両手で包み込んでいるピピン。そして、ピアノの傍らで私の横顔を見つめるアルカード様。二人の表情からは、いつもの「不自然さ」が消え、純粋な静寂だけが宿っている。
(なんて、温かいの……)
自分の奏でる音が耳に届くたび、私の心の中に柔らかな陽光が差し込んでくるようだった。
頭の奥で、記憶のページが優しくめくられていく。
幼い頃、母に手を引かれて歩いた草原の匂い。教会のステンドグラスから降り注ぐ虹色の影。聖女として人々に祝福を与えた時の、手のひらに残る微かな熱。
それらは、この城に来てから「なかったこと」にされかけていた、私自身の真実の輝きのようだった。
その時、視界の端でアルカード様が淡い光を放ち始めた。
不吉な漆黒の闇ではなく、月の光を集めたような、透き通った真珠色の光。
隣に座るピピンもまた、その柔らかな綿の体から、蛍のような小さな光の粒をこぼしている。
私の演奏に、この歪んだ城そのものが呼吸を合わせているのを感じる。
壁の向こうで蠢いていた不気味な気配が、今は凪いだ海のように静まり返っている。
まるで、呪われた箱庭が、ひとときの安らぎを得て眠りについたかのよう。
「……セシリア、素晴らしいよ。君の音色は、枯れ果てた私の魂に降る雨のようだ」
アルカード様の囁きさえも、今はただの純粋な愛として心に響く。
私は指を止めなかった。
この穏やかな時間が永遠に続けばいい。
城の地下に眠る残骸も、彼らのちぐはぐな記憶も、今はすべてがこの光の旋律に溶けて、救われていくような気がした。
この瞬間だけは、私は囚われの身ではなく、この城を慈しむ「光そのもの」のようだった。




