目覚めと鏡の中の「変化」
顔に柔らかな圧迫感を感じて、私は目を覚ました。
……息が、苦しい。
「……ん、んん……っ」
そっと手でどかしてみると、そこには昨夜ベッドに潜り込んできたピピンが、仰向けで大の字になって私の鼻と口を塞いでいた。ぬいぐるみのくせに、なんて酷い寝相なのかしら。
私は彼女をそっと枕元へ移動させ、ゆっくりと上半身を起こした。
窓から差し込む陽光は、この世のものとは思えないほど鮮やかな紫がかった紅色。
(夢じゃ、なかったのね……)
アルカード様に連れられ、聖女としての地位も、家族も、国もすべて捨ててここへ来た。
昨夜嵌められた指輪の重みが、左手に確かな現実を刻んでいる。
不思議と後悔はなかった。むしろ、私のすべてを奪ってくれた彼への愛おしさが、胸の奥でドロリと甘く疼いている。
私は習慣に従い、身だしなみを整えようと鏡の前に立った。
「……あら?」
そこに映る自分の顔に、思わず見惚れてしまった。
肌が、いつもよりずっと白い。透き通るような白磁の輝きを放ち、毛穴一つ見当たらないほど滑らかになっている。
まるで、少しずつ「生きている人間」から「美しい彫像」へと作り替えられているような……。そんな錯覚さえ、今の私には最高の美容法に思えた。
「うふふ、アルカード様の愛が、私を内側から綺麗にしてくださっているのね」
うっとりと自分の頬を撫でた、その時だった。
「――あまり見惚れないでくださる? 私だって、寝起きは鏡面が曇っているんですから」
「きゃあああっ!」
突如、鏡が不機嫌そうに喋り出した。
昨夜の衝撃をすっかり忘れていた私は、朝一番の悲鳴を上げて飛び退いた。
「ひゃああっ! な、なんですかっ! 敵襲っ!?」
私の声に驚いて、ベッドからピピンが転げ落ちた。
彼女は短い手足をバタバタさせながら、寝ぼけ眼で辺りを見回している。
「うるさいですね、二人とも。朝からそんなに高い声を出されると、私のフレームにヒビが入ってしまいますわ」
鏡……ミレーヌが、あきれたように溜息をついた。
姿見である彼女の表面には、私の驚愕の表情が歪んで映っている。
「おはよう、セシリア! よく眠れましたかぁ?」
ピピンがすぐに気を取り直して、私の足元でピョンピョンと跳ね始めた。
「さあさあ! ピピンがこのお部屋の案内をしてあげますねっ! こっちが素敵なお洋服がいっぱいのクローゼットで、あっちがキラキラしたお手洗いで、ここがピピンの歯ブラシ置き場です!」
「……えっ? ピピン、そこ、私の洗面所よね? なぜあなたの私物がもう並んでいるのかしら」
「ピピンのですから、ピピンが置くのは当然ですぅ。セシリアとお揃いのピンク色のコップですよぅ!」
当たり前のように私の生活圏を占領しているピピンに、私は後頭部の痛みを思い出してツッコむ気力も失せてしまった。
「……ピピン、お黙りなさい。セシリア、こちらへ。身支度を整えましょう。公爵様がお待ちですわ」
ミレーヌが呆れたように言いながら、鏡の中から魔法のように櫛やリボンを取り出した。
彼女の手際は驚くほど丁寧で、私の髪をまるで絹糸を扱うように優しく梳いていく。
ピピンが「セシリアの靴下はピピンが選びますぅ!」と、私の足元で全く趣味に合わない原色の靴下を振り回して邪魔をするけれど、ミレーヌはそれを完全な「無」として扱い、淡々と私の髪を編み上げていった。
「セシリア。少し肌が白くなりすぎているけれど……まあ、あの方の好みに近づいているのだから、文句は言えませんわね」
ミレーヌが鏡越しに、トゲのある、けれどどこか憐れむような視線を私に向けた。
「ええ、とっても素敵よ。ミレーヌ、ピピン。……さあ、アルカード様をお待たせしてはいけないわね」
私は鏡の中の「白すぎる自分」に満足げに微笑み、ミレーヌが用意してくれた、昨日よりも少しだけ「黒ずんだ」美しいドレスに身を包んだ。




