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50.鉄鍋の儀式

戦場のど真ん中に、ぽつんとテーブルが置かれた。 席についたのは、青ざめた顔の国王と、エプロン姿の俺だけ。 周囲を数万の軍勢が固唾を飲んで見守っている。


「……アレクよ。余を愚弄するか。このような場所で食事だと?」


国王が震える声で唸る。 プライドが高い彼は、まだ状況を受け入れられていないようだ。


「腹が減っては戦ができんでしょう。……まあ、まずは匂いだけでも楽しんでください」


俺はテーブルの上のカセットコンロに着火した。 乗せられているのは、浅めの「鉄鍋(すき焼き鍋)」。ガンテツに特注した鋳鉄製だ。


鍋が熱を帯びてくる。 俺はそこに、白い塊――牛太郎牧場から取れた「牛脂」を入れた。


ジュゥゥゥ……。


脂が溶け出し、透明な油膜となって鍋底に広がる。 この時点で、すでに牛の甘い香りが漂い始める。


「な、なんだその匂いは……」


国王の喉が鳴る。 俺は次に、鍋底に「ザラメ(精製した砂糖)」を直接振りかけた。


「さ、砂糖!? 貴重な甘味を、肉料理に使うというのか!?」


「これが『ガレ流』です」


砂糖が少し溶けたところに、俺は本日の主役――「レッド・バイソンの特選霜降りロース(薄切り)」を、一枚広げて乗せた。


ジュワァァァァァァッ!!!!


強烈な音が戦場に響き渡った。 肉の焼ける音。それは全人類共通の、平和と繁栄の音だ。


赤い肉が、熱と脂に触れて色を変えていく。 そこに、俺は醤油と酒を合わせた「割り下」を、回しかけた。


ジューーーーーッ!!


立ち上る白煙。 砂糖の甘い焦げ臭、醤油の香ばしさ、そして極上の牛肉の脂の香り。 それらが混然一体となり、爆発的な「破壊力」を持った香気が生成される。 メイラード反応の極致だ。


「うっ……!」


国王が鼻を押さえてのけぞった。


「なんだ……この暴力的な香りは! 甘く、香ばしく、脳髄を直接揺さぶってくる! 余の知っている『焼肉』とは次元が違う!」


風に乗って流れるその匂いは、対峙している王都軍の兵士たちにも直撃した。


「おい、なんだあの匂い……」 「肉だ……甘辛い肉の匂いだ……」 「母ちゃん……俺、もう戦えねぇよ……腹減ったよぉ……」


武器を取り落とす音が、あちこちから聞こえ始める。 すき焼きの匂いは、どんな魔法よりも強力な精神攻撃デバフとなって、飢えた軍隊の戦意を根こそぎ奪っていった。


「さあ、焼けましたよ陛下」


俺は、甘辛いタレをたっぷりと絡め、程よく焼けた肉を、溶き卵の入った小鉢に入れた。


「熱々の肉を、冷たい卵にくぐらせて食べる。これが『すき焼き』です。……どうぞ」


俺は小鉢を国王の前に差し出した。


「くッ……! 毒だ! これは毒に違いない!」


国王は叫ぶが、その目は肉に釘付けだ。 飴色に輝く肉。滴るタレ。黄金色の卵。 彼の本能が、「食え! 死んでもいいから食え!」と叫んでいる。


「……ええい、ままよッ!」


国王は震える手で箸(使い方は下手だが必死だ)を取り、肉を掴んだ。 そして、大口を開けて放り込んだ。


ハムッ。


咀嚼。 一回、二回。


「…………ッ!!」


国王の動きが止まった。 目から、一筋の涙がツーッとこぼれ落ちた。


「……溶けた」


彼は呻くように言った。


「噛んでいないのに……肉が溶けた……。脂の甘みと、砂糖の甘み、醤油の塩気が……口の中で踊っている……。卵が全てを優しく包み込み……飲み込むのが、惜しい……!」


「ご飯もありますよ」


俺は炊きたての銀シャリを差し出した。 国王はそれをひったくり、タレのついた肉と一緒に掻き込んだ。


ハフッ、ハフハフッ!


「美味い……! 美味いぞぉぉぉッ!」


国王の絶叫が、荒野に木霊した。 それは、一国の王がただの「空腹な老人」に戻った瞬間だった。 俺は確信した。 この戦争は、俺たちの勝ちだ。

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