31.泥の王国の食卓
スパァァァンッ!
ミスリルの包丁が、赤い巨体を滑るように切り裂く。 背と腹が分かれ、美しい赤身の柵が現れると、会場から「お見事!」と拍手が湧き起こった。
「へい、おまち! 大トロ一丁!」
俺は切り出したばかりの大トロを、あらかじめ握っておいた酢飯(酒粕から作った赤酢を使用)の上に乗せた。 仕上げに、ワサビ(湿地帯で見つけた近縁種)を少し乗せて握る。
コロン。 皿の上に置かれたのは、ピンク色の宝石。 脂が乗り、室温で溶け出しそうな極上の大トロの握りだ。
「さあ、誰が最初に食べる?」
「私だ!」「いや我だ!」「ワン!」
王女も将軍もコボルトも、我先にと手を伸ばすが、俺はその皿を、隣でずっと手伝ってくれていた彼女に差し出した。
「セリア。お前が一番だ」
「……えっ、私ですか?」
セリアが目を丸くする。
「お前が最初から信じてついてきてくれたから、ここまで来れたんだ。毒見役卒業、おめでとう」
「……アレク様」
セリアは少し潤んだ目で俺を見つめ、そして嬉しそうに笑った。
「では、謹んで頂戴します」
彼女は指で寿司をつまみ、口に運んだ。 パクッ。
その瞬間、彼女の時が止まった。 口の中で広がる、濃厚な脂の甘み。酢飯の酸味がそれを中和し、ワサビの香りが鼻に抜ける。 咀嚼するまでもない。トロは舌の上で雪のように消えた。
「んんっ……!!」
セリアが身悶えし、頬を押さえる。
「……言葉になりません。ただ、幸せです」
その一言が、すべてを物語っていた。 続いて、イリス王女やギガン、エリルたちにも寿司が振る舞われる。
「なんじゃこりゃあ! 魚が生なのに臭くない! 口の中で溶けたぞ!?」 「シャリ(米)とネタの一体感……これぞ芸術ね!」 「ワンワン! おかわりワン!」
会場は笑顔と、咀嚼音と、そして「美味い!」という叫び声で満たされた。
俺はその光景を見ながら、自分用に握った赤身を口に放り込んだ。 美味い。 前世で食べたどんな高級寿司よりも、この泥臭い開拓地で食べる寿司のほうが、何倍も美味く感じる。
(……やったな、俺)
追放された時はどうなることかと思ったが、気づけばここには、種族も国境も超えた「食の王国」が出来上がっていた。 土を作り、水を引き、米を育て、酒を醸し、友を招く。 農家冥利に尽きる人生だ。
「アレク様」
セリアが、いつの間にか俺の隣に立っていた。 手には日本酒の入った杯がある。
「貴方の夢は、これで叶いましたか?」
彼女の問いに、俺は夜空を見上げた。 満天の星空。 その下には、どこまでも広がる俺たちの畑がある。
「まさか。まだ序の口だ」
俺は杯を受け取り、ニヤリと笑った。
「米と醤油があるんだ。次は『カレーライス』だろ? それに『ラーメン』も作らなきゃならん。小麦の改良も必要だし、牧場を作ってチーズやバターも自作したい」
「……ふふっ。やっぱり、貴方は欲張りですね」
「当然だ。俺は世界一強欲な農家だからな」
俺たちは杯を合わせた。
チンッ。
清らかな音が響く。 それは、この泥だらけの王国が、新たなステージへと進む始まりの合図だった。
実家? 追放? そんなものはもうどうでもいい。 俺の前には、まだ見ぬ美味なるフロンティアが広がっているのだから。
「さあ、食って飲もう! 明日は早起きして、二日酔いで田植えだぞ!」
「ええーっ! 鬼ですか!?」
セリアの悲鳴と、皆の笑い声が、ガレの夜空に吸い込まれていった。




