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30.楽園と地獄の境界線

「は、離せ! 離せぇぇッ! ワシは辺境伯だぞ! この国の貴族だぞ!」 「嫌だ、嫌だぁ! お腹が空いたんだ! あのお肉を食べさせてよぉ!」


屈強なコボルトたちに両脇を抱えられ、バルドルとライルが手足をバタつかせて暴れる。 その姿はあまりに滑稽で、哀れだった。 会場の空気は凍りつき、誰もが冷ややかな視線を送っている。


「……辺境伯?」


ギガン将軍が、巨大なマグロの赤身を箸で摘みながら、鼻で笑った。


「見苦しい。貴様のどこに貴族の誇りがある? その痩せこけた体も、濁った瞳も、己の欲望すら制御できずに領地を食い潰した無能の証だ。我がガリア帝国なら、即座に処刑台送りだぞ」


「ひぃッ……!」


ギガンの殺気に、バルドルが震え上がる。 彼は助けを求めるように、高座にいるイリス王女に目を向けた。


「で、殿下! 慈悲を! 我々はアレクに騙された被害者なのです! どうか、この不届き者を断罪し、正当な権利を我々に……!」


「……まだ、人のせいにするのですか」


イリス王女は扇子を閉じ、氷のような声で告げた。


「貴方たちの領地を調査させました。……酷いものでしたよ。魔法で無理やり搾取され、白く死に絶えた大地。餓死寸前で放置された領民たち。貴方たちは領主としての義務を放棄し、ただ『奪う』ことしかしてこなかった」


王女は、俺――アレクの方を見た。


「アレクは違います。彼は何もない荒野で、自らの手を汚し、泥にまみれ、『与える』ことでこの豊かさを築き上げた。……貴方たちが座る席など、ここには一つもありません」


「あ、あぁ……」


バルドルが膝から崩れ落ちる。 絶対的な権力者からの拒絶。それが何を意味するか、彼にも理解できたのだ。


俺は包丁を持ったまま、彼らの前に歩み寄った。


「父上。ライル。……最後に一つだけ教えてやる」


俺は彼らの目を真っ直ぐに見据えた。


「俺が盗んだんじゃない。アンタたちが『捨てた』んだ。土を、民を、そして家族をな。……捨てたゴミが、今さら戻ってくると思うなよ」


「ア、アレク……待ってくれ、やり直そう。ワシが悪かった。だから……」


バルドルが俺の足元に縋り付き、その手が俺の作業着を汚そうとした瞬間。


「連れて行け」


俺は短く命じた。


「ワンッ!」


コボルトたちが一斉に彼らを引きずっていく。


「嫌だぁぁぁ! お肉ぅぅぅ! 酒ぇぇぇ!」 「アレクゥゥゥ! 呪ってやる! 末代まで呪ってやるぞぉぉぉ!」


その絶叫は、会場の外へ、そして暗い荒野の彼方へと遠ざかっていった。 彼らはこの先、鉱山奴隷として売られるか、野垂れ死ぬか。 どちらにせよ、二度と俺たちの前に現れることはないだろう。


会場に、再び静寂が戻る。 少し重い空気が流れたが、それを吹き飛ばしたのは、酔っ払ったエルフの姫だった。


「あー、せいせいした! 汚いものが消えてスッキリしたわ! さあアレク、中断してたアレを見せてよ! その巨大魚、早く切って!」


エリル王女がジョッキ(竹製)を掲げて叫ぶ。


「……ふっ、そうだな。湿っぽいのは終わりだ!」


俺は気持ちを切り替え、柳刃包丁を構え直した。


「皆様、お待たせしました! これより『ガレ産マグロ』の解体ショー、再開です!」


「うおおぉぉぉッ!」


歓声が上がる。 祭りは終わらない。夜はまだこれからだ。

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