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29.餓鬼と化した貴族

一方その頃。 ガレから数キロ離れた荒野を、ボロボロの布を纏った二つの影が彷徨っていた。


「……父上。腹が、減ったよ……」


「歩け、ライル。歩くのだ……」


それは、かつてグラナード辺境伯と呼ばれた男、バルドルと、その次男ライルの成れの果てだった。


イリス王女への不敬罪と、領地経営の破綻(魔枯れによる全滅)により、グラナード家は取り潰された。 屋敷は借金のかたにゴルド商会に差し押さえられ、家臣たちは逃散。 彼らに残されたのは、着の身着のままの服と、プライドという名の呪いだけだった。


「どうしてだ……。どうしてワシらがこんな目に……」


バルドルの目は窪み、頬はこけ、まるで亡者のようだ。 彼の手には、カビの生えたパンの欠片が握られている。かつて「平民の食い物」と見下していたものだが、今はそれが唯一の命綱だった。


「全部……全部あいつのせいだ……!」


ライルが憎悪に満ちた声で呻く。


「アレク兄さんが……僕たちの運を吸い取ったんだ。あいつが魔道具を盗んで逃げたから、僕たちは不幸になったんだ!」


「そうだ……。あれは本来、ワシのものだ。ガレの富も、野菜も、名声も……すべてワシのものなのだ……」


妄想は、飢餓によって加速する。 彼らは自分たちの無能さを認められず、すべての原因をアレクに転嫁することで精神を保っていた。


ふと、風に乗って匂いが漂ってきた。 香ばしい醤油の香り。炊きたての米の甘い匂い。そして、賑やかな祭り囃子。


「……匂うぞ、ライル」


バルドルの鼻がヒクついた。 遠くの闇の中に、煌々と輝く光が見える。 不夜城のように明るい、ガレの街だ。


「あそこに行けば……飯がある。酒がある。暖かいベッドがある……」


「行こう、父上! あそこは元々、父上の領地じゃないか! 僕たちが帰れば、領民たちは泣いて喜ぶはずだよ!」


「うむ、そうだ。王女様も誤解されているだけだ。ワシが正当な権利を主張すれば、アレクなぞすぐに追い出せる!」


二人は顔を見合わせ、ニタニタと笑った。 その笑顔は、もはや人間のものではなく、餌を見つけた「餓鬼」そのものだった。


「行くぞ! 泥棒から、ワシらの楽園を取り返すのだ!」


彼らは最後の力を振り絞り、光の方へと走り出した。 それが、自ら地獄の釜の蓋を開ける行為だとも知らずに。


   ◇


ガレの広場。 宴は最高潮に達していた。


「皆様! 本日のメインイベント! アレク様による『巨大マグロの解体ショー』です!」


セリアの司会で、会場がドッと湧く。 俺の目の前には、遠くの海からゴルド商会に運ばせた(冷凍魔法で保存した)巨大クロマグロが横たわっている。 醤油と米があるなら、刺身(SUSHI)は避けて通れない道だ。


「さあ、見ろ! これが東洋の神秘、包丁式だ!」


俺がミスリル製の柳刃包丁を構えた、その時だった。


「待てェェェイッ!!」


しわがれた怒号が、祭りの喧騒を切り裂いた。 入り口の警備をしていたコボルトたちが、突き飛ばされる。


「なんだ?」 「誰だ、あの薄汚い連中は?」


エルフや兵士たちがざわつく中、広場の中心に躍り出てきたのは、悪臭を放つボロ布を纏った二人の男だった。


「ア、アレク……! 見つけたぞ、この泥棒め!」


バルドルが、震える指で俺を指差した。


「よくも……よくもワシらを騙し、こんな目に遭わせてくれたな! 今すぐその席を降りろ! そこは領主であるワシが座るべき場所だ!」


「そうだ! その魚も、酒も、全部僕たちのものだ! 早くよこせ、この穀潰し!」


ライルがマグロに向かって突進しようとするが、足がもつれて転んだ。 会場が静まり返る。 誰もが、この乱入者が何者なのか理解できず、ただその醜悪さに眉をひそめていた。


俺は包丁を下ろし、冷ややかな目で見下ろした。 怒りすら湧かなかった。 そこにいるのは、かつての威厳ある父でも、小生意気な弟でもない。 ただの、哀れな怪物だった。


「……誰だ、アンタたちは?」


俺は静かに言った。 とぼけているのではない。 今の俺にとって、彼らはもう「他人」以下だったからだ。


「なっ……!? 父の顔を忘れたとは言わせんぞ! この恩知らずが!」


バルドルが喚き散らす。 その時、俺の隣に座っていた来賓たちが、ゆっくりと立ち上がった。


「……不愉快な匂いね。せっかくのお酒が不味くなるわ」 エリル王女が、氷のような視線を向ける。


「なんだこの薄汚いネズミは。アレク殿の親族か? 似ても似つかぬ下劣な顔だが」 ギガン将軍が、巨大な戦斧を手に取る。


「……まだ生きていたのですね。王家からの追放命令、忘れたのですか?」 そして、奥の席から現れたイリス王女が、扇子を開きながら冷徹に告げた。


三人の大物(VIP)に睨まれ、バルドルとライルは初めてその場の状況を理解した。 自分たちが飛び込んだ場所が、楽園ではなく、自分たちを断罪するための法廷であることに。


「ひッ……!? エルフに、ガリアの将軍……それに、王女殿下!?」


バルドルの顔から血の気が引いていく。


「さあ、祭りの余興だ」


俺は包丁を置き、告げた。


「不法侵入者をつまみ出せ。……ただし、飯はやるな。塩一粒たりともな」


「ワンッ! 御意だワン!」


ボルグ長老率いるコボルト隊が、一斉に飛びかかった。 最強の「ざまぁ」――それは復讐することではない。 圧倒的な幸福と繁栄を見せつけた上で、「お前には関係ない」と完全に無視することだ。

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