26.神の滴
「……余ったな」
ガレの領地に建設された巨大な穀物倉庫。 その扉を開けた俺は、天井まで積み上げられた米俵の山を見上げて呟いた。
「嬉しい悲鳴ですね、アレク様。二期作が成功し、さらに品種改良で収穫量が増えたおかげで、倉庫に入り切りません」
セリアが帳簿を見ながら苦笑する。 ガレの食料事情は、この一年で劇的に改善した。いや、改善しすぎた。 王都への輸出や、ガリア帝国への味噌・醤油の輸出を含めても、米が余る。このままでは古米になって味が落ちてしまう。
「米を腐らせるのは、元農家として最大の罪だ。……やるか、セリア」
「何をです?」
「『加工』だよ。米を、水よりも価値のある『聖なる水』に変えるんだ」
俺の目が妖しく光ったのを、セリアは見逃さなかった。 彼女は一歩後ずさり、警戒心を露わにする。
「嫌な予感がします。味噌の時のように、またカビを生やす気ですか?」
「ご明察。だが今回は『飲むカビ』だ」
俺はニヤリと笑い、新たな施設――「酒蔵」へと彼女を連行した。
◇
酒蔵の中は、ひんやりとした冷気に包まれていた。 そこには、ガンテツに作らせた巨大な琺瑯引きのタンクが三つ並んでいる。
「酒造りだ。米と、米麹、そしてガレの清らかな湧き水。これらを混ぜて発酵させる」
俺はタンクの一つに梯子をかけ、上から中を覗き込んだ。 中は真っ白な液体で満たされている。 蒸した米と麹が溶け合い、白濁したスープのようになっている。
「耳を澄ませてみろ、セリア」
「音、ですか?」
セリアがおずおずと梯子を登り、タンクの中を覗き込む。
プチ、プツ、シュワァ……。
静寂の中で、微かな、しかし絶え間ない音が響いていた。 泡が弾ける音だ。
「わぁ……。生きてるみたい」
「生きているんだよ。酵母菌が米の糖分を食べて、アルコールと炭酸ガスを出している音だ。俺たち醸造家にとって、これは『命の産声』だ」
俺はこの数週間、温度管理に命を懸けてきた。 温度が高すぎれば酸っぱくなり、低すぎれば発酵が止まる。 まるで赤ん坊を育てるように、毎日タンクに話しかけ、櫂を入れてきたのだ。
「香りを嗅いでみろ」
セリアが鼻を近づける。
「……! 甘い……フルーツのような香り? お米なのに、どうして果物の匂いがするんですか?」
「吟醸香だ。低温でじっくり発酵させた証拠だよ。……よし、そろそろ飲み頃だな」
俺は柄杓を手に取り、白く濁った液体を掬い上げた。 まだ濾過する前の、米の粒が残っている状態。 『どぶろく』だ。
「毒見だ、セリア」
「また私ですか……。でも、いい匂いです」
セリアはもう拒否しなかった。味噌や醤油の経験から、「アレクの作る変なものは美味い」と学習しているからだ。 彼女は柄杓から直接、白濁した液体を口に含んだ。
「んっ……」
彼女の目が丸くなる。
「甘い……! お砂糖を入れたみたいに甘いです! でも、舌の上でシュワシュワして……飲み込むと、喉がカッと熱くなって……」
「プハァッ!」
セリアが息を吐く。その頬が、見る見るうちに桜色に染まっていく。
「な、なんですかこれ……フワフワします……。すごく、気分がいいです……」
「アルコール度数は15度くらいあるからな。飲みやすいからって調子に乗ると、腰が抜けるぞ」
俺も一口飲んだ。 美味い。 米の粒々感、ヨーグルトのような酸味、そして濃厚な甘みとコク。 ガレのマナをたっぷり含んだ米を使っているせいか、飲むだけで魔力が回復するような感覚さえある。これはただの酒じゃない。『エリクサー』に近い何かだ。
「アレク様ぁ〜……。もう一杯ぃ〜……」
「おい、しっかりしろ騎士様」
セリアはその場にへたり込み、とろんとした目で柄杓を求めてきた。 完全に出来上がっている。 元々酒に弱いのか、それともこの「魔酒」が強力すぎるのか。
「うへへ……世界が回ってますぅ……。アレク様、顔が二つありますよぉ……」
「やれやれ。これを商品化したら、国中の人間がダメになるかもしれんな」
俺は苦笑しつつ、泥酔したセリアを背負って酒蔵を出ることにした。 だが、俺は気づいていなかった。 この強烈な「吟醸香」が、風に乗って遠くの森まで届き、そこに住む「酒好きの種族」を刺激してしまったことに。




