1.白化した大地と、土喰いの変人
それから四年が経った。 俺、アレク・グラナードは19歳になり、そして今日、実家であるグラナード辺境伯家を追放されようとしていた。
場所は屋敷の謁見の間。 正面の玉座には、苦虫を噛み潰したような顔の父――当主バルドルがいる。 その横には、ニヤニヤと笑いを堪えている弟の姿があった。
「アレクよ。お前がここ数年、領内の畑で何をしていたか、報告は受けている」
父の低い声が響く。
「早朝から泥まみれになり、家畜小屋に入り浸り、あろうことか『糞尿』を集めて回っているそうだな」 「はい。堆肥の研究です」
俺は真っ直ぐに答えた。 この世界の農業は異常だ。魔法使いが「豊穣魔法」という名のドーピングを行い、土の生命力を無理やり吸い上げて作物を育てている。 その代償として、大陸中の土が白く硬化する「白化現象」が進行していた。
「父上、我が領の収穫量は年々落ちています。原因は魔力不足ではありません。土が痩せ細り、過労死寸前だからです」 「黙れ!」
父の怒声が飛んだ。
「神聖なる大地に、汚らわしい排泄物を混ぜるなど……教会が知れば異端審問ものだぞ! 我が家の恥さらしめ!」 「兄上は本当におかしいよ」
弟がクスクスと笑いながら口を挟む。
「この前なんて、畑の土を口に入れて食べていたじゃないか。あれを見たメイドたちが悲鳴を上げて逃げ回っていたよ。『土喰いのアレク様』ってね」
事実だから否定はしない。 土の味を見れば、酸性度やバクテリアの活性度がわかる。俺にとっては最高の分析機器だ。
「父上、これ以上魔法に頼れば、あと数年でこの領地からはペンペン草一本生えなくなります。今必要なのは魔法ではなく、土を休ませ、有機肥料を与えることです」 「ええい、もうよい! 貴様の戯言にはウンザリだ!」
父は玉座の肘掛けを叩いた。
「アレク・グラナード! 貴様を本日付けで廃嫡とし、この家から追放する! 行き先は……飛び地の『ガレ』だ!」
ガレ。 その名が出た瞬間、周囲の家臣たちが息を呑んだ。
かつての魔法戦争の激戦地であり、地面が「魔断層」と呼ばれる異常硬化岩盤に覆われた場所。 草木も生えず、ただ岩喰いの魔物が徘徊するだけの、正真正銘の「死の土地」だ。
「魔力を持たぬ貴様にはお似合いの墓場だ。そこで一生、泥遊びでもしているがいい!」
父は勝ち誇ったように言い放った。 これで俺が泣きつき、許しを請うとでも思っているのだろう。
だが。
(……ガレ、だって?)
俺は必死に、顔がニヤけるのを我慢していた。
ガレの地面が硬いのは、岩盤が蓋をしているからだ。 つまり、その下にある土は、数百年間誰にも魔法で搾取されていない、栄養たっぷりの処女地である可能性が高い。
しかも、「汚らわしい」と誰も近寄らない場所なら、誰に気兼ねすることなく、思う存分に堆肥を撒ける。 糞尿だろうが腐葉土だろうが、使い放題だ。
「……謹んで、お受けいたします」
俺は深く頭を下げた。 震える声は、絶望からではない。歓喜からだ。
「すぐに支度をして出ていきます。二度と、このお屋敷の敷居は跨ぎません」 「ふん、強がりを。野垂れ死ぬ前に泣いて戻ってきても知らんぞ」
◇
一時間後。 俺はわずかな荷物と、なけなしの金貨、そして愛用の(といっても安物の)スコップ一本を持って屋敷の門を出た。
見送りは誰もいない。 いや、一人だけ、屋敷の入り口で弟がこちらを見ていた。
「残念だったね、兄上。魔力さえあれば、こんなことにはならなかったのに」 「ああ、そうだな」
俺は短く答えて、弟の足元にある花壇を指差した。
「忠告だけはしてやる。その花壇の土、もう限界だぞ。表面が白っぽくなってるのは塩類集積のサインだ。来年は花なんて咲かないだろうな」 「は? 負け惜しみかい? 気持ち悪いんだよ、土マニアが」
弟は不快そうに唾を吐き捨て、屋敷の中へ戻っていった。
俺は肩をすくめ、背を向けた。 もう知ったことではない。
空は晴れ渡っている。 俺の前には、広大な荒野と、無限の可能性が広がっているのだ。
「さて、行くか。待ってろよ、俺の新しい畑」
俺は一歩、力強く踏み出した。 目指すは死の荒野『ガレ』。 そこがやがて、世界を救う穀倉地帯になるとは、この時の俺はまだ(確信はしていたが)知る由もなかった。




